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本日の気付き

私は変わっている


物心ついた時から自覚していた
場所がら(東京の某ヤンキー多めだった区)かもしれないが、
話、というより考え方が合わない
ひたすらに普通の人達は私の知らないところでどんなふうに話しているのか知りたくてたまらず
透明人間になって聞けたらいいのにとずっと思ってた覚えがある
当然口数は少なく、大人しくて暗めの子で、いじめにこそ発展しなかったが小さな嫌がらせは受けた
いじめになぜ発展しなかったのかは、分からないけれど、本来の私は上の兄としょっちゅう喧嘩をしていた武闘派で、仕掛けられたら絶対やりかえす、もしくは大人を味方につけ、勝ちにいっていたと思うので、そういうのが滲み出ていたのか、どうでもいい存在だったのか、、

言いたいのはそこではなかった
変わってるという事は、本当に一部の突出した社会的な有能さが認められた人でない限り殆どなんのメリットもない
生きづらさ半端ない
今は普通を擬態して生きている後社会人の方が普通を求められない事が多いのでまだマシ(場所による)
人は意識しているよりずっと普通を求めている
普通とは自分が理解出来る存在ということ
違いを認めようと最近標語のようになっているが、
男女の違いさえ認められないのに、先にもっとマイノリティな特性を受け入れようとしてる?
のでまず自分が理解できない人を認めるなんてとても難易度が高いと言う事を認識するところからはじめてほしいものだ

いいたいことは、そこでもなかった
ひとまず自分の普通じゃないは年齢を重ねて
なんとか擬態なりでコントロール出来るようになった
がしかし、子供を授かる事により、
事態は振出しに戻るのだ

つづく

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