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「カイロ大学を首席で卒業した」と自称した東京都知事小池百合子はとくに歴史学や社会学の履修以前になにか重大な素養欠落を思わせた,「一貫したアジア系他民族差別」を強固に抱く人物,かといって確たる政治的な信念は不在,歴史的な認識も不備で一般教養からして問題あり有害無益の政治屋(前編)

冒頭の問題指摘


 ※-1 本日は2024年8月31日,関東大震災が発生してから明日9月1日は101年目となる

 1) 昨年,2023年9月1日が関東大震災が起きてからちょうど1世紀が経つ日付になっていた。たとえば,同年の8月25日付けで発行された『現代思想』9月臨時増刊号は「総特集関東大震災100年」と銘打っており,その内容には「[討議]飯田由貴 + 朴 沙羅「虐殺の歴史の延長線上に立つ」という対話形式になる記事も掲載していた。

 同誌にはさらに,新井勝紘「『虐殺絵』が時代をこえて射るもの」という寄稿をしており,最後部でこう語っていた。

 虐殺を描いた本横小学校の山崎 巌君,童画家の河目悌二,日本画の萱原白洞,それに居員画家の大原彌一と見てきたが,誰の作品も,その出現までの経過は順調ではなかったが,明確に虐殺事件の全容を記録し,事件の本質も見抜いての描写と私には見える。

 100年という時間を要したことになるが,いまこそ,これらの絵に光を当てる歴史的意義があるのではないか。教科書から「虐殺の」が消え,「虐殺」はなかった,「虐殺ではなかったというの驚くべき言説が表舞台で語られ,

 さらにいまだにヘイトスピーチやヘイトクライムに向き合わされ苦悩している在日に人びとがいる現実社会に,あたかもタイミングをあわせるように,これらの虐殺絵がでてきたことに,描写陣の時代を超えて射られた強い意志を感じるのは私だけではないだろう。

 いまこそ,虐殺絵に託した主張には耳を傾け,目をしっかり開けて対面すべきと私は思っている。彼らからバトンを託された者として,その責任を果たすべく動かねばならないとの認識を深めている。

註記)前掲,新井勝紘「『虐殺絵』が時代をこえて射るもの」『現代思想』39頁。

新井勝紘「『虐殺絵』が時代をこえて射るもの」

【参考記事】-『毎日新聞』から-


 2) ところで,新井勝紘が上のように言及した関東大震災直後,とくに関東地方(東京市・神奈川県・千葉県・埼玉県など)で,その最大の統計とりまとめでは6661人もの,当時日本に居た朝鮮人が虐殺された。次表を参照されたい。

非常の幅ある一覧表
「日本側は少な目に挑戦側は多め」という具合に
単純に分けて理解するわけにはいくまい

 
 本ブログでは,新井勝紘が発掘した関東大震災直後に発生したとくに朝鮮人に対する(中国人や日本人もいたが)虐殺現場を描いた,当時の「本横小学校の山崎 巌君,童画家の河目悌二,日本画の萱原白洞,それに居員画家の大原彌一」については,別途,つぎの記述(2023年8月7日)で触れていた。

そして,関東大震災の虐殺問題についてはとくに,小池百合子の極端なまで否定しつくした観点を集中的にとりあげ議論した「連続3回になる記述」もおこなっていた。昨(2023)年のいまごろに記述したそれらであったが,そのリンク先住所も以下に紹介しておきたい。


 3) 小池百合子は2016年8月2日以来,東京都知事に就任してから2024年7月の都知事選でも選ばれ,3回目の任期に入った。同年7月の都知事選で当選した直後の9月1日にも,彼女以前までの都知事たちだと,毎年9月1日にもたれる「 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付を中止」していた。

 ウィキペディアから関連する説明をしばらく参照し,以上のごときに関連する事情をもっとしっておきたい。なお,本ブログ筆者の補正的な記述もくわえてある。

 --1973年9月29日,関東大震災のさい流言を原因として虐殺された朝鮮人の供養のため「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」が,墨田区の都立横網町公園に建立された。1974年9月1日,追悼碑前で第1回「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」が開かれた。

 当時の美濃部亮吉東京都知事は「51年前のむごい行為は,いまなお私たちの良心を鋭く刺します」と追悼のメッセージを寄せた。以来,主催者の実行委員会は毎年追悼文の送付を要請し,歴代知事もこれに応じてきた。

 ところが,2017年3月2日の東京都議会本会議で,自民党の古賀俊昭都議が,「虐殺の犠牲者数について,式典の主催者が表明する『6千余名』という説は根拠が希薄である」などと問題視し,追悼文の送付を見直すことを求めた。

 補注)この古賀俊昭の論法(リクツ)をおり広く,つまり当たりまえに適用させていえば,つぎのようにも確実に妥当していえる。

 それならば,その『6千余名』以外の虐殺者数に関した「各数値(統計・集計)」についても,それらなりにいちいち「根拠が希薄である」と留保を付しておく余地があると。

 要は,それらの全部について,その種の疑念を突きつけておく必要があるといっても,語弊はない。公的機関や公人的な立場からその数字がまとめられ公表された数値・統計に関しても,ひとまずそういっておかねばおかしいことになる。

 そもそも,当時にあって大日本帝国政府がその虐殺者数をより正確に集めて計上するといった作業をしたなどとは思えない。要は,そのような期待は問題外の事項であった。ましてや,関連する統計・集計がまとめられて,総括的に出てくる事情すら,もともとありえなかった。

 本ブログ筆者が思うに,関東大震災時直後に発生した朝鮮人大量虐殺事件によってその被害者となった人びとの数は,中国人も含めての調査となるが,現在に至ってはいろいろな文献・資料がかなり多く提供されており,これらが簡単に入手できる時期になってもいる。

 それゆえ,それらからその犠牲者数を徹底的に調査し,その計数としてひとつひとつを積み上げていく作業によって,いわば間接的な精査作業を実施したうえで,あらためて積算する努力が必要である。観念論争をさせないためにも,その必要性があったはずである。

 2022年2月24日「プーチンのロシア」が開始して以来,現在も継続中である「宇露戦争」においては,両国間の戦闘行為において発生した,つまり撃破された兵器・武器の損害状況に対する把握は,非常に多く残されている動画・画像などを徹底的に精査して,かなり正確な水準まで把握されている。この数値・統計が現実のそれと完全に一致するかどうかは,けっして完璧とまではいえないけれども,昔の戦争におけるその把握数に比較すれば,相当に実数に近づいた計上が可能になっている。

 関東大震災時直後に虐殺された朝鮮人や中国人についても,その手法を1世紀も前の文献・資料までを手探りでいちいち調査することになるにせよ,現状のごときに「『その犠牲者数の数値・統計』がそこまでバラバラに乖離しているのであれば」,つまり,その数について水掛け論的な応酬に終始させないためにも,より現実に即した実証的な調査作業が必要ではないかと考える。

 本ブログ筆者にはその能力はない。だが,すでに数多くの関連の著作や史料のなかには,当時において虐殺の場面を語った人たちも大勢おり,また記録されていた資料・統計も豊富とはいえないまでもけっこうな分量あるのだから,これらを徹頭徹尾,調査・分析したうえで,重複を除く注意もくわえたうえで,その計上・集計を根気強くおこなっていけば,これが一番,より現実の結果に近づいた数値・統計として,いわば,なんとかより信頼性のありうる把握・認識として獲得できるのではないか,などと考えてみた。
 
〔ウィキペディアに戻る ↓ 〕 f
 4) 同〔2017〕8月24日,各紙の報道により,小池が要請を断ったことが明らかとなった。『週刊文春』は古賀の要求による影響を指摘している

 そして8月30日,墨田区長の山本 亨が小池に追随し,追悼文送付を取りやめたと報じられた。日本共産党東京都議団は小池に対し追悼文の送付中止を撤回するよう要請し,NPO法人「ウィメンズアクションネットワーク」など各団体はウェブ上に墨田区役所や東京都庁の住所や電話番号を記し,「東京都知事と墨田区長に追悼文拒否の撤回の声を届けよう」と訴えたが 9月1日,小池も山本も結局,送らなかった。

 2017年から2023年まで東京都知事からの追悼文送付は停止されている。小池は理由について「毎年(都慰霊協会が営む)大法要において,都知事として犠牲となった全ての方々への哀悼の意を表している」と説明している。(なお,今年2024年も小池百合子は送らないと回答した)

 この対応には批判する声が上がり,式典実行委員長で,日朝協会東京都連合会会長の宮川泰彦は「悲惨な虐殺の歴史を受け入れない,認めないという姿勢の表われではないか」と述べている。また,小池は関東大震災における朝鮮人虐殺に関して「なにが明白な事実かについては,歴史家がひもとくものだ」と述べており,虐殺の有無について明確な認識を表明していない。

 補注)政治家(政治屋)たちはしばしば,このような文句のたぐい,ここでは「なにが明白な事実かについては,歴史家がひもとくものだ」というセリフは,二重の意味で欺瞞があった。

 ひとつは「それは歴史家がひもとくものだ」という当人自身が,実は「独自にひとつの歴史を無化させる試みを謀っていた」点であり,

 もうひとつは,そういったかたちでもっていわば,文字どおりに「裏表するリクツの使い分け」によって,実は「二重の欺瞞」そのものに浸っている自分の立場を誤魔化している点であった。

〔記事に戻る→〕 2024年8月5日,東京大学の教職員が小池に対し,朝鮮人虐殺の史実を認め,犠牲者へ追悼メッセージを出すよう求める要請文を提出した。要請文は外村 大,市野川容孝ら83人の連名で書かれ,小池が「虐殺の事実があったかどうかの認識を示さないあいまいな回答」しか述べないことで「評価が定まった学説への信頼を毀損している」と批判した

 5) 小池百合子の場合,なにに関した知識であっても,自称するところの「カイロ大学文学部」を卒業しただけの,その見識や歴史観に相当する教養や学識があったようには,とても思えなかった。看板に偽りありであると同時に,その中身からしてトンデモのまがいものであった。

 小池百合子は要は,自分のいまの地位をどのように死守していくか,いつまで長く都知事をやっていられるかの自己の利害関係に立ってのみ,つまりその点にまつわる損得勘定からのみ言動しているに過ぎない。実際,東京都知事になって公約にかかげた諸事項で,まともに実現した案件はひとつもなかった。点数を付けたら間違いなく赤点未満であった。

 いってみれば,関東大震災時直後に東京都(当時の関東各県)で大々的に発生した朝鮮人虐殺という「歴史の事実」が,小池百合子の「現在の立場」からみてどのように観察されうるかといったら,ただ「いまだけ,金だけ,自分だけ」といった現代日本政治に瀰漫する「悪徳の政治風土」から,一歩もその枠内から出るものたりえなかった。

 彼女の都政においてのこれまでの実績のなかに,これといって都民のためになるものがあったか? 東京都は財政事情に大きな余裕があるゆえ,美濃部都政のまねごとはできた。だが,世界的にも有名であるこの日本の首都の最高責任者として,なにか改革だとみなせる事業を創案,実行しえたことはない。

 2020東京オリンピックにおいて選手の宿舎用にいったんは準備して利用し,その後は一般に分譲するとした晴海フラッグ地域の集合住宅群建築にさいしては,三井不動産への都政幹部たちの天下りと交換条件のようにして,あらかじめ,その敷地を安い土地値(相場の10分の1の価格)で同社に提供しておきながら,現在はその当初の目的とは無関係な投資ないしは投機のための不動産物件と化した空き部屋がめだつ,その晴海フラッグという住宅用地域になってしまった。

 この晴海フラッグ地域だけでなく,神宮外苑の緑を,自分が以前は「緑の狸」というあだ名をもらい,まんざらではないかのように演じてきたはずだったが(!),こんどは,もう完狸も住めない(?)ような神宮外苑の緑に再開発するというのだから,聞いたほうが呆れる。

 小池百合子は森 喜朗とは不仲であったが,神宮外苑の緑の再開発(?)に関しては共同戦線を張っていたように振るまっていた。東京オリンピックのときは,開催都市の首長でありながら,実質の立場としては「蚊帳の外」に排除されていたくせに,結局,やることなすことには哲学も理念もなにもなかったことだけは,明確な痕跡を残してきた。

 彼女の履歴詐称的な人生行路の足跡そのものが,緑の狸の化け方を真似ていたわけで,この人間としての狸もまた,人をさんざんに化かしながら生きてきた。しかし,この程度の喰わせ者であって,なおかつ,履歴詐称が実質的な売り物:看板として生きてきた女性であっただけに,過去から現在まで,日本の政治を壟断させかねない事象をいくつも惹起させてきた。

 これからもこのまま,この「東京都の女性知事」をさらにノサバラセているようでは,今後の日本全体は,この首都からしてますます地盤を沈下させられていく。

 さて,話題がだいぶ小池百合子にからまってしまったが,ここでは,関東大震災時直後における「朝鮮人大虐殺事件」に対して示した,彼女なり無視の態度表明,つまり,意図的にそれを無化させようとした歴史感覚は,実は,自分なりの確たる信念やその後の勉強があってのそれではけっしてなかった点を,あらためて強調しておきたい。


 ※-2「小池百合子」と「追悼文」の連語をもってネット上を検索してみたら,明日:2024年9月1日「関東大震災発生後 101年目」を踏まえたと思われる各種記事が,あれこれみつかった

 「小池都知事の追悼文不送付に抗議 朝鮮人虐殺,式典実行委」『山陽新聞』2024年08月26日 17時44分 更新,https://www.sanyonews.jp/article/1600858?rct=global_syakai

 1923年の関東大震災のさいに虐殺された朝鮮人らを悼む9月1日の式典の実行委員会が〔8月〕26日,東京都庁で記者会見し,式典に追悼文を送らないとした,小池百合子都知事の対応に抗議する声明を発表した。

 声明は「虐殺の歴史的事実から目をそむける,あるいはなかったことにしたい,との思いがあるのではないか」としている。

 小池氏は初当選直後の2016年に送付したが,2017年以降は送っていない。23日の定例記者会見で,都慰霊協会が主催する大法要に言及し「すべての犠牲者に慰霊の気持ちを表している」と述べ,今年も追悼文を送らない考えを示した。(記事の引用終わり)

 ここに来て,あえて指摘するが,2016年8月2日から都知事の椅子に座った小池百合子は,関東大震災時直後に虐殺された朝鮮人たちの存在を,当時の時点に関した指摘となるが,それおはっきり断定してもいいが,まだよくしらなかったのである。

 ところが,前段で触れてあったように,

 「2017年3月2日の東京都議会本会議で,自民党の古賀俊昭都議が,「虐殺の犠牲者数について,式典の主催者が表明する『6千余名』という説は根拠が希薄である」などと問題視し,追悼文の送付を見直すことを求めた」ことがきっかけになって,小池百合子はこれに自分も同調しておいたほうが,都議会の運営・対応において有利と判断したのである。

 要は,当時はそれだけでしかなかった彼女の立場であった。したがって,その後に繰り出してきた彼女側のリクツが,「関東大震災における朝鮮人虐殺に関して「なにが明白な事実かについては,歴史家がひもとくものだ」というヘリクツ,いいかえれば逃げ口上になっていた。

 歴史の問題に関して「なにが明白な事実かについては,歴史家がひもとくものだ」といって,自分が歴史研究家でないからその論点から逃げられるという思考回路の作りもどうかしている。けれども,自分自身はなにも考えもせずに,都議会運営上において,都知事としての立場から有利・不利の計算・駆け引きだけで,そのような遁辞を煙幕に利用していた。

 だから,カイロ大学を首席で卒業したという大ウソだけが,対照的に浮上するほかなくなっていたのが,彼女の学歴詐称疑惑の上に構築してきたつもりの「嘘だらけの人生」の一片であったことにもなる。

 ※-3「『逃げ回る姿,恥ずかしい』 朝鮮人追悼文不送付で小池都知事に抗議」『朝日新聞』(編集委員・北野隆一)2024年8月26日 17時00分,https://www.asahi.com/articles/ASS8V22TVS8VUTIL00LM.html

「逃げ回る」といわれてもたいそう困るのが
小池百合子の頭中に控える感性

 この記事は,小池百合子の関係する姿を「逃げ回る」と見出しで表現していた。だが,東京都においても1世紀前に起きていた大事件を,基本的に少しは勉強していみようとする気すら,もともとなかった彼女のみっともなさをとらえだと思うが,このように「批判する表現」を見出しのなかにかかげていた。

 --関東大震災時に虐殺された朝鮮人らを追悼する式典に,小池百合子・東京都知事が今年も追悼文を送らない考えを示したことに対し,主催する日朝協会などの実行委員会は〔2024年8月〕26日,都庁で記者会見した。「知事の要請拒否は看過できない」との抗議声明を発表し,担当する公園緑地部の職員に提出した。

 追悼式典は例年,9月1日に東京都墨田区の都立横網(よこあみ)町公園にある朝鮮人犠牲者追悼碑前で開かれている。実行委は今年の式典への追悼文送付を8月1日に知事あてに要請。都からは14日にファクスで「送付しません」と返事があった。

 宮川泰彦・実行委員長は「虐殺された朝鮮人犠牲者への追悼は必要ないというのに等しい。歴史的事実から目をそむけ,なかったことにしたいのではないか。恥ずかしい歴史に目を向けず逃げ回る姿こそ恥ずかしい」と批判した。声明を受けとった職員は「知事や関係部局に速やかに伝えます」と応じた。

 一方,虐殺犠牲者の人数などを問題視し,追悼碑の撤去を求める団体「そよ風」が1日午前に同じ公園で予定する別の集会に対し,作家や弁護士,大学教授らが24日,声明を発表し,都に公園使用許可を出さないよう求めた。

 過去の集会での参加者による言動が2回,都にヘイトスピーチと認定されたことを指摘し,「彼らは追悼のためではなく死者を冒瀆(ぼうとく)するため公園を占用している。慰霊の日に慰霊の公園で許される集会ではない」と主張した。(引用終わり)

ところで,いつのまにか,ミズ「元・緑の狸」は「三猿」のごとき存在に変身していたのかもしれない。もっとも,そういったぐいの猿まねはよしたほうがよかった。

 要は,それでも自分自身の頭でなにかを多少は考えたうえで,関東大震災時直後に東京都で大勢虐殺された「朝鮮人の慰霊のための追悼文は不要だ」と,彼女は結論していたはずである。


 ※-4「『歴史見つめて』 朝鮮人追悼式典,追悼文見送りの小池知事に抗議」『毎日新聞』2024年8月26日 18:55,更新 18:56,https://mainichi.jp/articles/20240826/k00/00m/040/189000c

 1923年の関東大震災時に虐殺された朝鮮人の追悼式典に小池百合子・東京都知事が8年連続で追悼文を送らない方針を示したことに対し,式典の実行委員会は〔8月〕26日,抗議文を都に提出し,改めて追悼文を送るよう要請した。

 式典は1974年からおこなわれ,歴代知事は追悼文を送ってきた。小池氏は2016年に送ったが17年以降は送っていない。その理由として,式典とは別に都慰霊堂でおこなわれている都慰霊協会主催の大法要で「すべての犠牲者に哀悼の意を表しているため」としている。

 実行委は小池氏に式典への追悼文を要請したが,今月14日に都側からは不送付を伝えられたという。実行委の宮川泰彦委員長は都の担当者に抗議文を手渡したのち,「悲しい歴史から目を背けたい,認めたくないというのが小池さんの姿勢ではないかと危惧している。歴史をきちんとみつめて二度と同じ事を繰り返さないと誓うことが同じ間違いを起こさないことにつながる」と訴えた。(引用終わり)

 小池百合子の「すべての犠牲者に哀悼の意を表している」という返事は,二重の意味で欺瞞が含まれていた。

 たとえていえば「火事で不幸にも死んだ人」も,「強盗に襲われて気の毒に命を奪われた人」も,同じに各事件における死者,犠牲者として追悼しておけばいいというリクツは,説明するまでもなくいちじるしく不均等,ないしは関連する事情に関して決定的な欠損事項があった。

 いずれの犠牲者も追悼は必要である。だが,いうまでもなく「後者の事件に関して強盗が殺人者に変わった件」は,度外視しておいてよろしいというのが,小池百合子流に特有であった「ことば本来の意味」をぶち壊した,それも “ド” の着くヘリクツであった。

 「死んだ」ことじたい,共通項としては変わりがないのだから,強盗にどう殺されたとかいった問題にあは関心などもたずに,ただ死んだという点にのみ悲しみを向けて追悼しましょうなどといったら,実際にその強盗に家族や知人を殺された人たちが納得などするわけがあるか? そのような発言をする人がいたらたちまち,非難の矢がただちに継がれ射られる。

 小池百合子は,関東大震災時直後から東京都でも発生していた朝鮮人に対する “嬲り殺し” どころか,各種の凶器を振るった「殺人行為の結果」,何千人もの彼らが殺された事実はしっていながら,同じく関東大震災のときには死んだ人たちもたくさんいたのだから(もちろん日本人たちのこと),いっしょにまとめて追悼したことにしておけば「オーケーよ!」と,真顔で語りつづけてきた。

 彼女のそうした態度に剥き出しになった感性は,尋常ではない。あるいは人間的でも人道的でもない。リクツとしてであっても,つまり集合論的に考えても完全に破綻していた。それでも自分の考えをあらためるつもりがないのが,この「東京都知事」であった。もちろん,関東大震災時直後に発生していた朝鮮人虐殺を認めたくないネトウヨ連中は,この黒・百合子の発想と決断を大歓迎した。

 人間というものに関して昨今は,いまや男女参画平等なる日本社会のあり方に関して,まだまだ未完成状態にあるけれども,こと悪徳の栄えに関しては,それもとりわけ小池百合子に固有の都知事的な個性の発揮模様としてならば,これだけはけっこうな出来上がり具合になっていた。彼女がなにかを始めると,なにかと問題が深刻化してしまう事例が多かった。

 なお,次項の※-5に登場させる筆者は韓国人の父をもつ女性の発言となる。

安田菜津紀・画像


 ※-5 安田菜津紀・フォトジャーナリスト「朝鮮人虐殺 史実を認めない意味」『毎日新聞』2023年8月29日,https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230828/pol/00m/010/001000c

「お話しすることはございません」

 東京都人権部の窓口にいるあいだ,この言葉が担当者からいっったい何度,繰り返されただろう。無限ループする動画を延々とみさせられているような感覚にさいなまれ,うすら寒ささえ覚える。

 〔2023年〕8月17日,アーティストの飯山由貴さんらが,話しあいの場などを求め,申し入れに訪れたときのことだった。

 背景を振り返っておこう。2022年8月30日から11月30日にかけて,都の外郭団体である東京都人権啓発センターが主催し,飯山さんの企画展「あなたの本当の家を探しにいく」が東京都人権プラザ(人権啓発センターが指定管理者)で開催された。

 この展示では付帯事業として,映像作品〈In-Mates〉上映とトークが予定されていたが,プラザを管轄する人権部が「懸念」を示し,結局上映は禁じられることとなる。

 〈In-Mates〉は1930~40年に,都内の精神科病院に入院していた2人の朝鮮人の診療録にもとづき,在日コリアンのラッパー FUNI さんが,戦前を生きた2人と,いまを生きる在日コリアンの葛藤を言葉とパフォーマンスで表現していく。

 映像には,当時の背景をしろうと,飯山さんや FUNI さんが,在日コリアンの歴史に詳しい東京大学の外村 大教授の話を聞くシーンがある。このなかで外村教授は関東大震災後のデマのまん延により「日本人が朝鮮人を殺したのは事実」と語っていた。

 ところが2022年5月,人権部から人権啓発センター側に送られた内部メールに,上映に対するいくつかの「懸念」が示された。

 外村教授の「日本人が朝鮮人を殺したのは事実」という言葉について,「都ではこの歴史認識について言及をしていません」とし,関東大震災の朝鮮人追悼式典に都知事が追悼文を送らなかったことに触れたうえで,「都知事がこうした立場をとっているにもかかわらず,朝鮮人虐殺を事実と発言する動画を使用することに懸念があります」という認識を示したのだ。その後,人権部からセンター側に上映不可とする通知がなされる。

 これについて人権部側はあくまでも,上映中止はメールの内容と関係がなく,精神障害者と人権という企画展の趣旨にそぐわなかったからだと主張してきた。(引用終わり)

 ウン? 黒・百合子のいうことが事実のすべてになるというのか? しかも,その都知事としての発言が,あたかも真実にもなりうる勢いをつけてだたが,「関東大震災の朝鮮人追悼式典」をつぶそうとしてきたかのような,小池百合子の演技ぶりは,

 最近だとたとえば,群馬県知事の山本一太もそれに酷似した見本を披露していた。つぎの報道を参照してもらいな感じてほしいところは,こちらの知事も,ともかく歴史修正主義の好例見本を展示していた点である。

 過去における山本一太の政治的な言動をしれば,その精神心理的な背景としての「お家の事情」はよくしれる。おまけに彼は世襲政治屋の1人であった(世襲2代目と判断)。

 山本は,国会議員から県知事に立場を変えてからは,保守王国である群馬をさらに極右化させる役割にかぎっては,よく実行してきた人物であった。いってみれば,その程度に終始する人材でもあった。


 ※-6「小池百合子知事はなぜ追悼文送らない? 法大前総長の田中優子さんら批判 関東大震災虐殺を否定なら『根拠を』」『東京新聞』2024年8月23日 21時29分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/349306

 1923年の関東大震災で朝鮮人が虐殺された問題をめぐり,前法政大学総長の田中優子さんが代表を務める「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」が〔8月〕23日,東京都庁で会見を開き,小池百合子都知事に対し,9月1日に営まれる朝鮮人犠牲者追悼式典に追悼文を送るよう求める要望書を提出したことを明らかにした。

田中優子・画像

 ◆ 理由を語らない知事へ ◆

 要望書は〔8月〕21日に小池知事宛てに郵送した。知事は就任2年目の2017年から墨田区の横網町公園で営まれる追悼式典に,追悼文の送付を見合わせている。今年も見送れば8年連続となるが,理由を明確に語っていない。

 田中さんは,歴代都知事が追悼文を送ってきた経緯を踏まえ「やめたことには相当の理由があるはず。虐殺を否定するなら根拠を示して,議論すればいい」と訴えた。

 虐殺をめぐっては「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言や朝鮮人への差別意識が原因とされており,田中さんは「震災や天災では日常の差別が形となって現れる。二度と起こさないために,毎年9月1日に(虐殺の歴史を)発信するべきだ」と,小池知事の姿勢を批判した。

【関連記事】 小池百合子都知事,朝鮮人虐殺の事実は「それぞれが研究されている」 自身の考えは示さず 関東大震災当時〔⇒小池百合子はなにも勉強しておらず,知識も蓄えているようには全然かんじられないけれども,そのように軽薄な自説を披露していた。

【関連記事】 関東大震災の朝鮮人虐殺を直視しない政治家たち 「上からの虐殺否定」がヘイトをはびこらせる 加藤直樹さんの視点

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 ここでははっきり指摘しておく。小池百合子に田中優子や前段に登場させた安田菜津紀が開陳した議論=論理に対して,真正面から議論する力はこれぽっちもない。おそらくだが,小池に田中や安田を面と向かい討論させたらなどといった想定は,成立不可能であると判定するほかない。

 小池百合子はヘリクツや他者をこき下ろすような話し方はできても,真っ向から相互間の討議をする実力はない。これは,カイロ大学履歴詐称問題以前のそのまた以前の推理となるはずである。

 都知事といった大権力の座に居座っているからこそ,彼女はそのように他者に対しては無礼千万で傍若無人の態度が採れるのであって,素の自分で,それこそタイマンで対話することなど,初めから出来ない相談であった。

 補注)「タイマン」の意味。その1「不良少年少女が用いる語で,一対一のけん のこと。決闘罪の決闘に当たる場合がある。その2「一対一での勝負や交渉,一騎打ち」。[

〔本文に戻る→〕 だから彼女は,関東大震災時直後に東京市でもたくさん発生していた朝鮮人虐殺問題に関した議論ができるわけもなかった。したがって,ともかくその問題からは「逃げ回る」しかなかった。説明する,できる以前のところで停頓していた,いわば,理性放棄・知性以前・感性陥没の基本精神だけがめだっていた。

 本当に思っていた自分の考えがあるならば,相手を説得できるくらいの説明は,容易に提供できるはずだと思いたい。それとも「金持ち,ケンカせず」ということか? しかし「アナタは都知事である……」のに,なにやら「セコイひと」。


 ※-7「朝鮮人虐殺の追悼文『前向きに検討』埼玉・大野元裕知事,小池百合子都知事と異なる対応 関東大震災の式典」『東京新聞』 2024年8月27日 06時00分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/349893

 1923年の関東大震災のさいに虐殺された朝鮮人を悼むさいたま市内の式典に,埼玉県の大野元裕知事が追悼文を送る検討をしていることが,東京新聞の取材で分かった。

 都内の式典で追悼文の送付を見送りつづけている東京都の小池百合子知事とは異なる姿勢だ。識者は「虐殺や差別を防ぐためには,首長や政治家の公式な声明がもっとも有効」と評価する。

 補注)この大野埼玉県知事の意見をひっくり返していえば,「虐殺や差別を防ぐ気がないのであれば,首長や政治家の公式な声明は不要」だとなるのか(?)などと,混ぜっかえすのではなくて,ごく自然にそう考えてみるのもよい。

埼玉県ユーチューブ動画サイトから

 大野知事が検討している追悼文は,9月4日に予定される旧片柳村(さいたま市見沼区)で殺された朝鮮人青年の追悼式典の実行委員会が依頼していた。埼玉県は追悼文の送付について「庁内で前向きに検討中」と回答。実現すれば,朝鮮人虐殺について大野知事が追悼文を送るのは初めて。

【参考記事】 なお途中に挿入するが,『毎日新聞』2024年8月28日の報道をみると,このような記事になっていた。

「前向き」という発言だから事後どうなるかはだいたい予測できよう

埼玉県においては当時「殺されるかもしれない」と判断されて
同県の北部地域にまで護送されてきた朝鮮人たちが

地元の住民たちが手ぐすね引いて待ちかまえていたかのようにして虐殺された

埼玉県の知事が前掲報道のように発言したのはある意味当然である

これに比較して小池百合子はなぜか
かたくなに東京市において大量に発生していたその虐殺の事実を認めない

この小池の考え方(朝鮮人蔑視の心根)は徹底的に批判されたうえで
謝罪と反省をさせておかねばならないほど極悪質

 ◆-1 実現なら「画期的なこと」

 実行委の小川満事務局長は「追悼文を出してもらえたら画期的なこと。県がどのような対応をするのか注目している」と話す。県によると,昨年〔2023年〕も別の団体から依頼があったが,式の直前で検討が間に合わなかったため,送らなかったという。

東京都墨田区の横網町公園にある
関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑


 大野知事は昨年9月の記者会見で「デマ情報に基づいて朝鮮人に対する虐殺があったことは痛心に堪えない」と表明。虐殺の背景に震災翌日,県内の郡役所が,朝鮮人への警戒を強めるよう町村に出した通達「不逞鮮人放火ニ関スル件通牒」があったとも認めていた。

 関東地方の他の5県は,各県内での追悼行事の有無を把握していなかった。追悼文を依頼された場合に知事がどのように対応するか問うと,茨城,栃木,千葉,神奈川の4県は「内容を踏まえて判断」と回答。群馬は「仮に,との質問には答えられない」と答えた。(石原真樹,杉浦正至)

 補注)群馬県については前段で,現知事の山本一太の明示してきた基本的に反動的な立場を,ここで配慮に入れて受けとめておく必要があった。

 ◆-2 主張や政治家の公式な声明が最も有効

 「ノンフィクションライター安田浩一さんの話」  首長や政治家の公式な声明は,虐殺や差別を防ぐためにもっとも有効なこと。埼玉は,畑和(はた・やわら)元知事が報告書「かくされていた歴史-関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件」をまとめるなど,虐殺事件を忘れてはならない,記録にとどめるべきだと取り組んできた。その歴史の上で,追悼文の送付を示唆したことは大きな意味があり,評価すべきだ。

 ◇  ◇

 ◆-3 追悼文を送らない小池知事に抗議声明

 関東大震災直後に虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼し,9月1日に東京都墨田区の都立横網町公園で営まれる式典をめぐり,追悼文を8年連続で送らない方針の小池百合子知事に対して,実行委員会が抗議声明を出した。声明は今〔8月〕月23日付で,26日に公園を管理する都公園緑地部に提出した。

 補注)追悼文を送付しない小池百合子知事宛てに抗議声明を出した関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会の宮川泰彦委員長らの画像は,※-3で掲示してあった。

 小池知事は,式典と同日に同じ会場で開かれる都慰霊協会の大法要で「大震災と極度の混乱のなかで犠牲となられたすべての方々へ哀悼の意を表している」とする考えを示し,都の担当課を通じて追悼文を送らない方針を実行委に伝えていた。

 声明では「自然災害により命を失った被災者への追悼と,人の手によって命を奪われた被害者への追悼は意味合いが異なる」とし,追悼文を送るよう再考を求めた。

 ◆-4 自治体の長として態度を明確にすべきだ

 〔8月〕26日に都庁で記者会見した実行委の宮川泰彦委員長は「二度とこのような過ちを起こさないよう,自治体の長としての態度を明確にすべきだ」と強調した。

 小池知事は就任直後の2016年に1度だけ追悼文を送付した。2017年3月の都議会一般質問で,自民議員から「今後は追悼の辞の発信を再考すべきだと考える」と問われ,小池知事は「事務方が例に従って送付した」と釈明。「今後は私自身がよく目を通したうえで適切に判断する」と答えた。2017年以降は送っていない。(奥野斐,押川恵理子)

 この小池百合子のいいぶんは興味深い。過去においては一度たりとてまじめ考えたというよりは,多分,ほとんどなにもしらなかった関東大震災時直後に発生した朝鮮人の大量虐殺事件であったが,いまの自分の立場にとって,どのようにあつかえば一番有利になるかしか,故人の利害得失でしか考慮できないのが,現在の立場。

 ということで,就任直後の2016年に1度だけは,事務方が前例どおりに「ウッカリしていて,追悼文を送付した」に過ぎず,その翌年からもうだダメ,出さないよということになった。嫌らしい説明(弁明)である。

 大野元裕が埼玉県で知事を務めているが,小池百合子が知事を務める東京都(当時は東京市)においてのほうが,関東大震災時直後に発生した朝鮮人の虐殺数ははるかに多かった。

それでも小池は,式典と同日に同じ会場で開かれる都慰霊協会の大法要で「大震災と極度の混乱のなかで犠牲となられたすべての方々へ哀悼の意を表している」とする考えであるから,追悼文を送らないと応えた。

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【断わり】 「本稿(前編)」の続編(後編)はこちら。

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