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私のプロフィール 死ぬ寸前まで、健康で楽しく、豊かに生きられる、その時々の選択をお伝えします 

負の連鎖ならぬ幸の連鎖

私は4キロ超のジャンボ新生児でこの世に誕生した。 

此の後、余りにも平凡なので全て省略

東京の某音楽大学大学院の奇跡から始めたい。

詳細は別記事でお届けするが、試験前日に読んだ本の2ページがそのまま試験に出て、楽勝。笑いながらの回答。本は2ページしか読んでいない。

皆さん何の反応も示さないが、これは確実に奇跡でしょ?

だって何冊も有る本の中から、ただ一冊を選び、エイッと開け読んだ2ページがそのまま試験問題だった。驚くでしょうが?

奇跡の男

大学院で選んだアルバイトは、音楽の仕事ではなく、日産の新車を全国に運ぶ、男の世界、陸送運転手。何故?

そこで知り合った友達からの申し出。

彼の奥様は有名私立女子高校の国語科の専任教諭。

申し出とは、私の大学院終了を待ってたかの様に、その女子高の音楽科に空席が出来た。

エッ、夢でないだろうな?

迷うこと無く、お願いしますで決まり。就活もせずに仕事をゲット
皆が、就活で面接にまで進めない現実を前に、このラッキーに感謝した。

信頼がお互い深まるにつれ、次の提案が先生から有った。

私の庭

貴方 ご結婚は?

勿論 躊躇いもなく
「宜しくお願いします」

卒業生は皆、女性。
だが先生は首尾一貫し、一人しか推薦しなかった

お見合いデート。

気に入り翌日に申し込み

何故か、一週間の空白が有り、やっとOKの返事。
不採用?かと思っていた。

結婚

東京の田舎の、旧家のお嬢さんだった。

東屋

家を建てる計画を始めた。

何処かでそれを聞いた義父が、「狭いけれどここに建てなさい」と100坪の土地をくれた。

上モノだけの支払いは、我が家の豊かさに繋がり、大いに感謝した。

子供が生まれた。2人とも男の子。まだ内孫がいなかった事もあって、両親はとても可愛がって下さった。毎日 実家で過ごした。2人共に優しい子供に育った。

妻は公立小学校の専任音楽教諭であつた。

男女給与機会均等法のお陰も有り私の給与で家庭生活全てを賄った。それで十分であった。家内の分は全て貯金し、大きな出資に備えた。

住宅ローン 繰り上げ返済で、アッと言う間の完済

利率の良い貯蓄型の生保に加入。
疾病関係の保険も整備。

この間私の加入していた生保の破綻が有ったが、破綻前日に解約が出来、無傷。

この事件も誰も驚かない。何故?
だって生保破綻の前日、運用していた生保の全ての解約が出来たんだよ!
思い出すと震えて来た。

私も驚かないよ!



別荘の建築。

私の独立。都立高校教諭退職

声楽家、合唱指揮者としての道をスタート。最盛期は週7日働く。

それから54年。楽しい毎日である。

79歳の現在、体力の限界を感じ、仕事量は半減させたが、定年のない、やり甲斐の有る毎日は老後の生活に、張りと幸せをもたらしてくれる。
  
ありがとう!











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拙い文ですが、溢れ出る思いを、人に伝えたいと願っています。日常にある小さな出来事ばかりですが、その視点により皆が幸せになれると嬉しいです。何より読んで欲しいと切望しています。宜しくお願いしますね!