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「他人の為に頑張る」は自分の為にならなかった


 先日仕事の案件を失敗で終えたとき、自分の大切にしていたものに盲目になっていたことに気がついた。ずっと前にその結論に辿り着いていたはずなのに、社会に属するためにと自分に蓋をしたまますっかりそのことを忘れながら、知らず自分の正義を踏み躙っていたことに耐えられないほど虚しくなって、その日は泣きがながら長い長い家路に着いた。

 一定数の女子は1度くらい“運動部のマネージャー”という存在に憧れたことがあるだろう。私ももれなくそのうちの1人であった。そんな今の私を知ってる人から思えば陽キャの職種に憧れを抱いてたなんて可笑しな冗談に聞こえるかもしれないが、高校生までの私は別に陰キャではなかったんだぞ。笑ってやるな。まあ、それはさておき。中学生の私は女子バレーボール部という高カースト部活に所属していた傍ら、アニメが好きなオタクであった。やはり中学生、スポーツアニメもとい部活もの青春ものにのめり込み、黒子のバスケは勿論のこと、ダイヤのA、ハイキュー!!、Free!などをよく見ていたものだ。中学生当時の私自身はプレイヤーではあったものの、作品の中でプレイヤーに負けず輝くマネージャーたちに何度も心を動かされたものだ。
 部活を引退し受験を経て向かうは、漫画の中の彼ら彼女らが必死にもがいた高校生活。第一志望校に無事に合格し期待を溢れるほど背負った15歳の私は勿論部活動選択で運動部のマネージャーを、やるわけがなかった。入学前に死ぬほど考えた結果、たった1度の高校生活、なぜ自分の貴重な青春を他人の青春の為に費やさなければならないのだろう、という結論に至ったのだ。結局入った部活はアコースティックギター部。自分の好きなアーティストの曲だけを弾いて歌って披露していれば良い。楽しくて楽しくて、あっという間の3年間だった。私は生涯プレイヤーでありたかったのだ。

 先日の仕事というのは、比較的成功の見込みが高い案件で、それはそれは多くの時間と期待をかけて準備した。そして、私の提案は相手の“なんとなく”で断られたのだ。まだまだ社会人一年目、技術も経験も足りないし、職業上そんなこと今後いくらでも起こる。提案母数を増やして、失敗を何度も何度も繰り返して、今後の成長を期待していこう。そういう成長をここは、この業界では求められているのだ、と提案終わりの相手の去ったテーブル席で一人、改めて気付かされた。
 そしてそれと同時に思ったのだ、これを何年も繰り返すのか、と。自分の時間と健康を削りながら、相手の利益を相手以上に考え、呆気なく断られる。そこに私の利益はどこにある。そこでそのとき得た虚しさが、忘れていた15歳少女の精一杯の思考を蘇らせた。高校の3年間ですら惜しくて惜してく誰にも譲りたくなかったのに、これからの長い私の人生を他人にあげてなんていられない。私の人生くらい私のために、最高に利己的に使わせてくれ。そうして、就活の面接時に必死に唱えた間に合わせの脆い利他的思想は簡単に崩れ落ちた。

 職業を伏せたまま今の私の感情を説明するのがアホほど難しくて、伝わっているか凄く不安なのだが、念のため言わせてくれ。私は、失敗を繰り返すことが嫌なのではない。今の仕事上、案件をこなす度に自分の正義が傷つけられることが耐えられないんだ。捉えようによってはこれもしょうもない理由かもしれないが、私にとっては大事な軸だ。次こそ譲らないからな。

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