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私たちの細菌毒素研究の歴史(3)

前回の記事はこちら↓


ある大学院生の失敗

前回の記事では、ボツリヌス神経毒素は分子内切断を受けることで毒素活性が上昇することを紹介しました。毒素複合体は、神経毒素を含めて5つのサブユニットタンパク質から構成されています。そして、それらのタンパク質にも分子内切断が生じています。そのメカニズムについて研究していた大学院生がある時失敗をしでかしてしまいます。

NTNHAタンパク質の分子内切断はなぜ起こる

神経毒素タンパク質の分子内切断は、トリプシンと呼ばれるタンパク質分解酵素あるいは、それに似た機能を持つ酵素によって生じることは古くから知られていました。そして、それ以外のタンパク質に見られた分子内切断も同じような酵素によって生じているのは明らかでした。しかし、NTNHAというタンパク質に生じていた分子内切断だけは、どのような酵素によって起こっているのかがわかりませんでした。

タンパク質分解酵素の基質特異性

 タンパク質分解酵素には、「特異性」というものがあり特定のアミノ酸をターゲットにしてタンパク質を切断します。神経毒素タンパク質分子内の切断部位は、必ずアルギニンかリジンのC末端側で切断されていたので、トリプシンあるいはそれに似た酵素によって切断されていることが分かっていました。

トリプシンの基質特異性
トリプシンやそれに似た酵素は、アルギニン(R)あるいはリジン(K)というアミノ酸をターゲットとし、そのC末端側のペプチド結合を切断する。

 しかし、NTNHAタンパク質の切断面にはそのような法則性がなく、なぜ切断されているのかがわからないままでした。そこで、これを解明する研究に取り組んだ大学院生がいました。

NTNHAタンパク質を切断する酵素を探せ

NTNHAタンパク質の分子内切断は、スレオニンとセリンの間のペプチド結合が切断されていることが前回の記事の研究結果から分かりました。そこで、そのような特異性を持つタンパク質分解酵素を探すことから始めました。1年近く研究を続けましたが、酵素を見つけることはできませんでした。

 一方で、この実験を行うためには、分子内が切断されていないNTNHAを入手しなければなりません。詳細は割愛しますが、その大学院生は苦労に苦労を重ねてようやく無傷のNTNHAタンパク質を得ることに成功しました。しかし、その後、彼は信じられない失敗を犯します。

苦労して作ったサンプルを・・・

その頃のことを思い出してみても、なぜそんな事をしたのか全く記憶にありませんが、彼は、せっかく苦労して入手した無傷のNTNHAタンパク質サンプルを、研究室のサンプル保管庫の中に1週間以上放置したままにしまいます。

 タンパク質の研究をされた方ならわかると思いますが、このように苦労して入手したサンプルは、冷凍するなり、安定化剤を入れるなりして大切に保管するものです。しかし、彼は、そのような処理をしないで保管庫にしまってしまいます。1週間後、ようやくサンプルのことを思い出します。すっかり落ち込んでしまいましたが、もったいないと思い、電気泳動で放置後のサンプル内のタンパク質を確認してみました。すると・・・

無傷のNTNHAは自発的にその分子内が切断されることを発見
こちらのデータは、管理された温度条件下でサンプルを静置した実験の結果。

NTNHAは自己触媒により分子内切断が生じることを偶然に発見

入手した時には無傷のままであったはずのNTNHAタンパク質がSDS-PAGEという電気泳動によって解析すると、切断された2つの断片になってしまっていました。さらに、プロテインシーケンサを使って切断部位を確認すると天然の複合体中のNTNHAタンパク質と同じ位置で切断されていることがわかりました。

 この結果は、にわかには信じられず、放置してしまった時と同じ条件で再現性を確認したところ同じ結果が得られました。サンプルの中に若干量のタンパク質分解酵素が混入にている可能性も考えられましたので、サンプル溶液のタンパク質分解活性を測定しましたが、検出されませんでした。さらに念の為、タンパク質分解酵素を除去するためのアフィニティーカラムも使用しました。それにもかかわらず、NTNHAタンパク質には自発的に分子内切断が生じました。

 すなわち、NTNHAタンパク質は、分子内切断反応を自己触媒することによって、自発的に切断されることが明らかとなりました。同じ現象は、その後、大腸菌による組換えNTNHAタンパク質においても生じることが示されています。

 ちなみに、その時の大学院生は、今この文章を書いている私です。この時の研究成果は、私の博士論文の一部になっています。失敗が思いもよらない結果を産んだ幸運な話でした。 

(続きます)