レトロというもの
ある朝のこと。
食卓につくと懐かしいものが目の前に置かれていた。
懐かしい!!可愛い!!!
これは私が保育園のころに使っていたものなので40年近く前のお茶碗である。
このシンデレラお茶碗を納豆でベットベトのヌルッヌルにしながらゴハンをモリモリ食べていた。
大好きなお茶碗だったのに、その存在をすっかり忘れていた。
母は「片付けしてたら出て来たのよ〜。懐かしいでしょう?」と得意げに言った。
そして更に懐かしのアイテムを出してきた。
そうそうコレ!!
私はこの赤い水筒が大層お気に入りで、家で食事をする時にも使っていた。
これらはいわゆる「昭和レトロ」と呼ばれるものだろう。
昭和レトロな物に惹かれるのは、そこに懐かしい思い出の一片が見え隠れするからだろうか。
ちなみに私は電話ボックスを見かけただけで「うわあ!」と胸が熱くなる。
まだ学生のころ、自宅で仕事をする母に聞き耳をたてられるのが嫌で、わざわざ電話ボックスから恋人に電話をかけていたことを思い出すからだ。
聞かれても困るような話でもないだろうに。
だが電話ボックスという独特な(今ではレトロな)空間がロマンチックに拍車をかけていた。
ロマンチックが止まらない、である。(?)
今現在あたり前のように使っているスマートフォンや、夢中になっている流行りのキャラクターなんかもそのうち「令和レトロ」などと呼ばれる日が来る。
物やその時代特有の光景には1つ1つに誰かの思い出が存在する。
今ある物も、遠い未来で誰かの思い出の一片となり「令和レトロ」として懐かしがられるのだろう。
そう考えながら身の周りにあるものを改めて見渡すと、何だか不思議な気持ちになるのであった。
おまけ:
福島の家には母(70歳)が子どもの頃に使用していたランプがまだ残っている。
私はこのランプが実際に灯っているのを見たことはないが、何故かとても懐かしく温かな気持ちになる。