電車にて
竹内まりやさんの「駅」という歌がある。
ざっくりまとめると駅で昔の恋人をみかけてあんな思いやこんな思いが込み上げるという素敵な歌だ。
本当に良い曲だ。
私も先日、10年以上前に付き合っていた恋人を電車で見かけるという出来事があった。
ギランバレー症候群に罹患し、歩行に杖が必要となってからというもの、電車やバスを利用することは正直あまり好きではなくなっていた。
そんな中、思いがけない出会いである。
彼は同じ電車の同じ車両で、しかも向かいの真正面の椅子に座って本を読んでいた。
……Σ(゚Д゚)おおっ!?
髪には白いものが混じり、もちろん歳をとっていたが全体的な雰囲気は変わっていなかった。
最初は「似てるなあ!」くらいに思いチラ見をしていたが、あるところを見て「これ本人だな…。」と確信した。
手である。
長身の痩せ型という体格のわりにプクッと丸い手をしていた。
彼のずんぐりむっくりした手が好きだった。
何かに集中しているときに人差し指で親指の爪を弾く癖も変わっていなかった。
私達は二人とも自由人で気ままであり、映画を観に行ってもお互いに自分の観たいものを観ていた。
あとから互いに観た映画の感想を言い合うのが楽しかった。
一緒に旅行に行った先でも数時間の自由時間が私たちには必要だった。
その時間にお互いのために選んだ変なお土産をあとから交換するのが楽しかった。
ある日の夕飯中に「あ、そういえば仕事を辞めたよ。」と突然きかされたこともあった。
同じ看護職だった彼に「へえ。今度はどこの病院に勤めるの?」と尋ねると「しばらく北海道で写真を撮るよ。」という予想外の答えが返ってきた。
「寒い。」という理由で想像していたよりもずっと早く帰ってきた。
何が理由で別れたのかは覚えていないが、最後の最後に「どちらが先に別れを考えていたか」という下らないことで揉めたのは覚えている。
「私けっこう前からそろそろ別れたほうが良いって考えてたよ。」
「俺はもうずいぶん前から思ってたし。」
「いや、私はその前からずーっとだし。」
「いやいや、俺の方がたぶん先だと思う。」
「とにかく私のほうが先だから。」
……どっちでも良い。
そのうち「付き合う前から別れたいと思ってたし!!」と言い出しかねない二人である。
そんなことを懐かしく思い出しているうちに、目の前の彼はメガネを外し読んでいた本をカバンにしまった。
降りる駅が近いのか、彼は顔をあげる。
瞬間、目が合った。
彼は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに立ち上がりカバンを背負った。
電車は速度を落とし、彼は私のすぐ横にあるドアの前までやってくる。
私は最後にもう一度だけ彼を盗み見るべく顔を上げた。
すると彼も私のことをじっと見ていた。
私が手にしている杖に目をやると彼は少しだけ目を伏せ、小さな会釈をして電車を降りて行った。
私だと分かったのだろうか。
あの頃の日々を覚えているだろうか。
最後の下らない言い合いも覚えているだろうか。
覚えていなくとも良い。
彼が元気で楽しく過ごしているなら良い。
私は懐かしい背中に向かって「今、私のほうが先に気づいてたし。」と心のなかで呟いた。