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父は空を飛びたい

私の父は80歳を越えている。
年齢だけ聞くと「おじいちゃん」のイメージを抱くだろう。

しかし父は未だに野球の審判をしている。
無駄に走ったり跳んだり、鉄棒にまたがり両手で鉄棒を握り体を真横に倒してグルングルン回転したりしている。(何のためにそんなことをするのかは分からない。)

コロナ禍になる前は行き先も日程も何も決めない1人旅にしょっちゅう出掛けていた。
(年齢的には徘徊と呼ばれてもおかしくない)

数年前の1人旅ではパラグライダー体験に申し込んたが、天候不良で中止となり不貞腐れて帰ってきたことがあった。

父の長年の夢は空を飛ぶことなのだ。

家族の中で誰よりも好奇心が強く、新しいもの好きで何でもやりたがりだ。
KinKi Kidsのコンサートを「お父さんも観てみたい」と言い実際に参戦した。
ペンライトを振り「堂本ーー!」と声援を送るのは広い会場で恐らく父1人だけであり、とても目立っていた。

言い出したら聞かない束縛嫌い&自由人の射手座である。
父のやりたいようにやるさまを、時に呆れたり驚いたりしながらも私たち家族は面白がって眺めていた。
そんな父には様々な失敗談や可笑しなエピソードが多く、父の周りは常に人が集まり笑いが絶えなかった。

そんな父が病気になった。

これまで大きな病気も長年せずに、何の薬も服用せずに迎えた80代。
2022.12月の上旬から肩や肘、膝の違和感を訴えていた。違和感は次第に痛みに変わり、そうこうしているうちに新型コロナに感染した。
幸いにもコロナは軽症であり、かえって安静と隔離を守らせることに苦労した。

年明けには全身の痛みにより立ち上がることも大変になり、特に朝の手指のこわばりが目立ったためリウマチを疑い専門医を受診した。
諸検査の結果、リウマチと診断された。

ステロイドとメトトレキサートを主剤として治療が始まったが、炎症反応の数値が下がらず貧血の所見もみられた。

注射での治療に切り替える予定であったが、念のため他の病気が隠れていないか調べることとなり胃カメラと大腸カメラが急きょ行われた。
3月1日に結果が出た。

父は胃がんだった。

ちょっと厄介な状態にあるらしく、さらに大きな病院へと紹介転院となった。
医師から説明を受けたあと、父は病院の廊下で母と私に頭を下げた。
ふざけた口調で「いやいや参ったね!心配かけて申し訳ないね!またしばらくお世話になりますよ!」と言った。
頭を深く下げた父がどんな表情をしているのかは見えなかった。

私は「はい喜んで〜。」と笑って答えたが、胸が苦しくて少しでも気を抜いたらその場でひっくり返りそうだった。

リウマチのひどい痛みに耐え、大好きな運動や旅行もできなくなり、審判の仲間たちとも会えず、大好きな少年野球の子ども達とも遊べず、それでも泣き言ひとつ言わない父である。

それどころか「俺は心配ないよ。ババア(父の母)は103歳まで生きたから100歳は間違いない。それよりお前たちが先に逝っちゃって俺1人残ることが不安だよ。」と、逆に母と私を励ましてくれるような父だ。

そんな父にまだ試練を与えるとは、なかなか意地悪な神様もいたものだ。

しかし意地悪な神様に私は言いたい。

うちの父を甘く見ないほうが良い。


父は絶対に元気になる。
何故なら「空を飛ぶ」という夢をまだ叶えていないからだ。
そして今年の夏は北海道に一人旅に出る予定もあるそうだ。

ちなみに私の両親は年齢が一回り以上離れており、私は父が40近くなってからの子どもである。
歳がいってからの子どもということもあってか、私は父にとても可愛いがられて育った。

写真の中の幼い私は常に父に抱っこされているか肩車されている。
食事のときには、父は必ず自分の膝に兄と私を1人ずつ座らせていたそうだ。
父がタバコの煙で作る丸い輪っかを、膝の上で喜んで見ていたのをうっすら覚えている。

普段はポンコツだが、いざという時に頼りになる父。何か困ったことやトラブルが起きると最後には必ず父に相談していた。
どんなときも味方となり、とことん楽観的に「生きて笑ってさえいりゃ大丈夫だ。何とでもなる。」と励ましてくれた。

そんな父を今度は私が支える番だ。
そして元気になった父が空を飛んではしゃぐのを見たい。
(まちがいなく珍事が起きるはずだ。)
写真に撮られることも大好きな父なので、空飛ぶ勇姿をたくさん撮ってあげたい。

そして「一人旅はやめて家族みんなでまた北海道に行きてえなあ。」と父が呟く。
父の大好物であるカニをたらふく食べさせてあげたい。

胃がんと告げられた翌日、父が私に「お誕生日おめでとう。せっかくの誕生日なのに心配かけて悪いね。」と珍しく神妙な顔で言った。

「私のお父さんになってくれてありがとう。謝ることないよ。私なんて40年以上もお父さんに心配かけてるんだしさー。」と私が答えると父は言った。

「それもそうだな!!じゃあ良いか!!!」

……………。
父はどこまでも父であった。

週明けから父は新しい病院へ転院する。
父は厄介な病と闘うチャレンジが始まり、私たち家族はそれを支えるチャレンジが始まる。

父にとっても私達にとっても今までとは少し違った日々となるだろう。
つらいことも多いだろう。
それでも私たち家族は「3人で一緒に居られる今を大切にし、出来るだけ皆そろって楽しくゴハンを食べる。」ということを目標に決めた。

そして、まんがいち父が心折れそうになった時には「生きて笑ってさえいれば大丈夫。」ということを今度は私から父に何度でも伝えてあげようと思う。