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心の蓋の話

精神科看護師として忘れられない経験はたくさんある。
嬉しかったことも悲しかったことも。
そして、その後の「看護」に大きな影響を与えることとなった出来事がある。

20年近く前の話だ。
当時の私は精神科急性期の閉鎖病棟で2年目を迎えていた。
まだまだひよっこで経験も浅かったが、患者さんとの関係性を築くことを最も大切に考え自分なりに日々奮闘していた。

そんな中、受け持ち患者さんの一人が退院準備として開放病棟へ移ることになった。
この患者さんは重度の「うつ病」で長年苦しんでおり、入院期間も長期に及んでいた。

担当医から退院が決まったことを聞いた私は単純に「わあ!やったー!めでたいなあ!」と喜んだ。
すぐに患者さんのベットサイドへ行き「開放病棟に移れるんですね。良かったですね!きっとすぐに退院ですよ。」とはしゃぎながら声を掛けた。
患者さんは少しだけ微笑んで「長くお世話になって…ありがとう。」とだけ言った。

このとき「あれ?あまり嬉しそうじゃないな。」という引っ掛かりを感じた気もしたが、私はそれを放置してしまった。

ほどなくしてその患者さんは開放病棟へと移って行った。
開放病棟では閉鎖病棟と違って日中ある程度は自由に外出できる。
買い物や散歩にも単独で(看護師の同行なく)出掛けることができた。

私が受け持っていたその患者さんはせっかく開放病棟に移れたにも関わらず、ほとんど病室で過ごしているということを担当医から聞いた。

その患者さんのことが気になってはいたが、相変わらず閉鎖病棟では「何とか鉄扉から出て行きたい」と離院を目論む患者さんや、警察経由での血気盛んな入院患者さんも多く、目の前の仕事をこなすだけで精一杯であった。

例の患者さんのことを忘れたわけではなかったが「そのうち顔を見に行こう」と思いながら時間はどんどん過ぎていった。

そうこうしているうちに、例の患者さんの担当医から「落ち着いているから自宅外泊を試しているよ。」と聞いてホッとした。
……のも束の間。

その患者さんが外泊中に自宅で薬を大量に飲んでしまい、救急搬送されてくるという連絡が入った。
もちろん再び閉鎖病棟への入院となる。

運ばれてきた患者さんは幸い意識もあり、命に別状はなかった。
私はその患者さんを再び受け持つことになった。
容態が落ち着いてきたころ私は患者さんに尋ねた。
「いつから、何が、それほどまでに苦しかったのですか?」と。

患者さんは静かに泣いていたが、しばらくすると「本当は開放病棟へ行くのも退院するのもイヤだった。怖かった。ずっと長いあいだ閉鎖病棟にいて守られていた。私にとって閉鎖病棟は少しも不自由でも苦痛でもなかった。」と話してくださった。

だから薬をたくさん飲んだ、そうすれば閉鎖病棟へ戻れるから、とも。

私は愕然とした。

あのとき、開放病棟へ移ることが決まったときに「当然患者さんも嬉しいはず」と思い込んだ私が「良かったですね!」と一方的に伝えてしまったために患者さんが自分の本当の気持ちを吐き出す機会を奪ってしまった。
患者さんはあのとき心にそっと蓋をしたのだろう。

「患者さん達は閉鎖病棟という閉ざされた場所をイヤがっているはずだ。」
「患者さん達は皆、早く開放病棟に移りたい、早く退院したいと思っているはずだ。」
と私はいつの間にか勝手に決めつけるようになってしまっていた。
(実際そういう患者さんも多いが)

閉鎖病棟は文字通り閉ざされた独特な場所である。
重い鉄扉は施錠され、外出や通信といった行動を制限されることもある。
しかし見方を変えればある意味守られた場所でもあり、外的刺激が少ない環境と言える

疾患や症状によってはその環境を「安心」で「安全」と捉える人もいるのだろう。
そのことを私はすっかり見落としていた。

この一件があってから私は「患者さんの立場になって考える」ということを強く意識するようになった。

退院が決まったときも「良かったですね。おめでとうございます。」とすぐには言わず「退院に対しどう思っているか。」「何か不安はあるか。それはどんな不安か。」ということを尋ねるようにしている。

進学や結婚、妊娠などに対してもつい「わー!おめでとう!やったね!」と言ってしまいそうになるが、一呼吸おいて患者さんの側に回ってから「それについて患者さんはどのような気持ちであるか」を尋ね、患者さん自身の言葉を聞かせてもらうように心がけている。

そして患者さんから語られる不安については「どのような解決方法があるだろうか。」と共に悩み、考えるようになった。
患者さんと共に悩む時間はとても苦しいが、この時間は患者さんにとっても私にとっても大切な時間である。

これからも患者さんにとって「どのようなときにも自分の気持ちを自由にありのまま話すことが出来る存在」でありたいと思う。

患者さんが自分の想いや気持ちに重たい蓋をしてしまうことのないように。

#仕事の心がけ




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