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浄すぎたデクノボー

映画「銀河鉄道の父」を観た。
銀河鉄道の、である。

宮沢賢治(菅田将暉)とその父、政次郎(役所広司)の父子愛を描いた映画といったところだろうか。
父と息子の関係が中心となってはいるものの、家族それぞれの関係も随所随所に描かれており、あれは間違いなく「家族の物語」であった。

あれだけ有名な物語や詩を遺した人物ではあるが「宮沢賢治」という人物のことや、ましてやその家族のことまで私は全くと言って良いほど知らずにいた。
素朴で朴訥とした賢治の顔だけハッキリと浮かぶ程度だ。

映画は列車内のシーンで始まり列車内のシーンで終わる。

そして何より役所広司さん演じる「賢治の父」の存在が素晴らしかった。
とにかく凄い。

とりわけ「賢治」への愛情がすごい。


と言っても政次郎は賢治が「長男」だから特別扱いしているわけではなく「我が子」だから大事にしているのである。
当たり前に、極めてシンプルに「自分の子」だから大大大好き!

賢治ラブだぞ♡♡


なのである。
おそらく当時の時代背景から考えると、政次郎は珍しいタイプの父親であったのだろう。

この映画では2つの「父子」が登場する。
1つは賢治と政次郎。
そしてもう1つ、息子としての政次郎とその父(喜助)である。
賢治と政次郎、政次郎と喜助は全く違ったタイプの父子関係ではあるが、父が息子を思う気持ちは同じであるように感じた。

幼い賢治が病気で入院した際のことだ。
政次郎は仕事を放っぽり出して「自分が賢治に付き添う!」と、妻から入院の荷物を奪うようにして支度を始める。
騒ぎを聞きつけた喜助から「たかが子どもの病気くらいで」と制止された政次郎は「たかがとは何だ」と怒った。

政次郎は大きな荷物を風呂敷で背負って転げるように病院にスッ飛んで行き、賢治の看病に当たる。
賢治の腹に温めた蒟蒻を乗せてやり、夜は子守唄を歌ってやる。
おっ母さんのような割烹着を身に着け甲斐甲斐しく我が子の看病をする政次郎は泣きたくなるほど「親」であった。

賢治は真っ直ぐに朗らかに成長していく。
繊細さを秘めて、いつもどこか遠くを見やっているような青年であった。
商人の子どもに勉学は不要だという考えの政次郎と、勉強したい賢治。

父と息子の価値観や思想に距離が出来て行く。
賢治と政次郎は衝突する。
しかし最後は必ず賢治の意志を受け容れる政次郎である。
(ときに妹トシ(森七菜)の大きな力も加わりながら)

祖父の認知症、最愛の妹トシの病気、そしてそれぞれとの死別などを経て賢治の様子が少しずつ変わってゆく。

賢治の繊細さが際立つ場面であった。

賢治はその繊細さや浄さゆえ、受け止め切れないことも多かったのではないだろうか。
しかしその繊細さと浄さを備えた賢治だからこそ、あのような素晴らしい作品を書くことが出来たのだろう。

ところで、映画に関して詳しい内容を書いてしまうとネタバレとやらになってしまう。
映画感想文に初めて挑戦したが難しいものだ。

菅田将暉さん、役所広司さん、森七菜さん、坂井真紀さんなどとにかく豪華な俳優陣が出演しており、演技が素晴らしいことは言うまでもない。

ただ、今まで観てきた映画と決定的に違うことが1つあった。
映画を観て1週間たっても尚くりかえし思い出されることがある。

手の演技である。


演技なのか自然と溢れ出る表現なのかは分からない。

泣き崩れる賢治の背中に優しく置かれる政次郎の手。
喜助の頬を打ったあと、喜助を強く抱きしめるトシの手。
死の淵にあるトシにせがまれ、庭の枝から集めた雪をトシの口へと匙で運んでやる賢治の手。
原稿用紙のマス目も無視して次々と言葉を書き連ねてゆく賢治の手。
賢治の書いた物語のページを1枚ずつ愛おしげに繰る政次郎の手。

そして、病に倒れた息子の痩せ細った背中を拭ってやる母の手。
菅田将暉さんの背中を拭う坂井真紀さんの手が1番印象に残った。

賢治の世話はいつだって政次郎が買って出ていたため、母イチはいつも数歩さがって賢治のことを見守っていた。
そのイチが、このとき初めて「最後くらい私に」と主張する。
背中を拭うというあの決して長くはないシーンに、母としての全ての愛情がぎっしりと描かれていて胸が苦しくなった。

クライマックスでは、政次郎が必死に「雨ニモマケズ」を賢治に向けて大きな声で読むシーンがある。
最愛の息子のためだけに読みあげる「雨ニモマケズ」は素晴らしかった。
映画館のあちこちからすすり泣きが聞こえた。
おそらく全員が思っただろう。
政次郎が賢治に伝えたように。

「良い詩だなあ。」と。


ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サフイフモノニワタシハナリタイ

雨ニモマケズ 宮沢賢治

賢治は愛されていた。
ほめられたい人から充分ほめられていた。
何よりいつも1番近くに、いつまでも変わらぬ愛を無限に注いでくれる政次郎がいた。

映画の序盤に出て来た温めた蒟蒻。
政次郎により賢治の腹に乗せられた蒟蒻。
政次郎の愛情はあの蒟蒻のようなものだ。
「本当は少し熱すぎた」と賢治は微笑む。

浄すぎたデクノボーの書いた数々の物語や詩は、長い年月を経た今も尚たくさんの人々に読まれ愛されている。

おそらくあのバカップルならぬ「バカッ父子」は、銀河を駆ける列車の窓からこちらを眺め「ほら見ろ賢治!お父さんの言った通りになったろう!」「はい!さすがお父さんです。」とキャッキャしていることだろう。

浄すぎたデクノボーの旅がこれからもずっとずっと続きますように、と夜空に願う。


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