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主体性 part1

人生において最も大事にしている言葉は何かと言われたら、僕は

「主体性」

と答えるだろう。

人は物心ついた時には命があり、容姿と身体が既に決定づけられ、家族に囲まれ、社会の中にいる。
こう書くと私たちは命を能動的に与えられているような気がする。
気づいた時にはすでに私の人生は始まっているのである。

それでは、この与えられた人生を一体どう扱えば良いのだろう。

この「与えられた人生である」ということがベースにある以上、あまり思考を働かせなければ、私たちの人生は文字通り、周りに流されて進んでいく能動的なものになるだろう。
周りがこういうから
家庭がこうだから
自分の才能なんてそもそも人より劣っているのだから
そんな考えが生まれてきそうである。
「親ガチャ」や「片親パン」などの流行語も
そんなところから生まれている気がする。

ーーー

さて、私たちは今、生きているということが事実である以上、どこに向かって、どのように生きていけば良いのか。

その答えはひとつしかないのだと思う。

「主体的に生きる」

これに尽きるのではないだろうか。

私たちは、生まれてくることや、物心がついた時の周りの環境を選ぶことはできない。
ベースは能動的にスタートするのが人生なのかもしれない。
しかし、その与えられた人生に、主体性のスイッチをONにした瞬間、人生は全く別の鮮やかな景色になると確信している。

ーーー

私の経験から話すと、
かつて働いていたゼネコンでの現場監督業務は、それはそれは苛烈を極めた仕事環境であった。
今までの常識が全く通用しない人間関係、自分の知識や技術が全く通用しない現実、ミッションをクリアするための多大な労働時間などなど、
自分で病気を疑うほど、いや、病気であってくれと望むほどの自己肯定感の喪失を味わった。
その根底には、仕事は「やらされるもの」であったから、つまり、能動的なものであったからだ。
しかし、その経験は人生において最も重要な価値を生み出してくれたことは、そのだいぶと後に気付くことになる。
時に激烈な経験は、本当に自分が求めていることを明確化する唯一のマスターピースだった、ということがあるのだと思う。

私は自ら仕事を選び直すことになった。
いや、正確には、初めて仕事を自ら求め、選ぶことになったのだ。

最初の就職は、この過酷で激烈な労働時間の先にある偉大なる目標があって仕事を選んだのではなく、
周囲から見た私の人生を形作る為にとれる唯一の手段だったように思う。
会社のこと、その先の目標、そこにいる意味など、真剣に考えていなかったのが現実であった。

夜、自分に絶望しながらベッドから見える空を眺めながら、人生とは、仕事とは、見栄とは、自分とは、そんなことを深とした夜の静けさの中考えていると、その感情が初めて顔を出したのだ。

「主体的」に生きたい

その感情だった。

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