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①自己の見解等の受け手として、何かしらプラスになる人々、かつネガティブな刺激等を受けない人々の意図:②そうした人々への伝播による全体にとってより効果的な浸透

🔴<はじめに>🔴


私の見解等を表現や提供、シェアする際の「自己の見解等の受け手として、何かしらプラスになるかつネガティブな刺激等を受けない人々や存在たちへの提供」という意図について示す。

また個人的な欲求として、表現したいというニーズ、またより多くの人々に見て欲しいというニーズ、また自ら視点からの良い影響を相手や全体に与えたいというニーズを持っている。そう言ったこともあり、SNSに投稿している。

その上で、自らの確からしい感じる本質的な認識と、他者が幸せであることに対して幸福を感じる性質、および他者が幸せであることへのニーズから、以下に示すような意図でもって取り組む。行う。

繰り返しになるが、私は、表現したい、多くの人に見て欲しい、個々人や全体にポジティブな影響を与えたい。ただ表現することによって生じうる陰的な作用は、できる限り抑えたり、生じなくさせたい。

これは個人的に、他者が幸せである状態を好む性質のため。また個々の存在が幸せか、快かどうかといったこととは別視点で、私の観点での全体において、また理想となる全体の方向性において、結果におけるポジティブな変化であっても、そのプロセスにおいて「も」、幸せのままで変化することが望ましいと思うため。

そうした点から、SNS等にて、不特定多数の人々に見える形で表現するが、その際、以下のような意図を加味して行う。

これは「しなければ」といった感覚や、こうしたことをすることが優れている、正しい、評判が良い、といった感覚ではなく、個人的な様々な領域や方向性でのニーズが充足されること(充足されることに繋がること)によって生じる、「幸福感の質」を高めるため、また物事を行う際に「自らの中でのしっくりくる感覚」にするために行う。また示す。

それぞれの個性によって、どのような認識やエネルギーで行うことがしっくりくるのか、幸福感が高まるのかは、それぞれだと思う。その大小の違い、時に微細な違いが、それぞれの色や役割の違いとなり、それぞれ独自の管轄を担うことになると思っている。そういった意味で、今回示す意図も、私独自の「勝手な」こだわりだ。



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「自己の見解等の受け手として、何かしらプラスになるかつネガティブな刺激等を受けない人々の意図、そうした伝播による全体にとってより効果的な浸透」


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私の表現することは、プラスになり得る全ての人々や存在たちではなく、それぞれの軸を意識的無意識的にズラすこと無く受け取れたり、または整えることができる人たち、私の見解にネガティブな刺激や強いショック等を受けてしまわない人たち(それぞれの方面で感受性が強い人たちでも伝える内容や発するエネルギーの相性などから、ショック等はあまり受けなくて済む立ち位置や役割の人たち)、に届くように意図する。

各役割や性質、属性、方向性、領域を担ってくれている人々、魂たちが、それぞれに何かしらプラスになるような変化が生じた場合、それぞれの役割や性質、属性、方向性などが加味された形のもの(反映された形のもの)として表現化される。

それをそれぞれの場でそれぞれが表現したいこと、発揮したいこと、発揮することを行う際に、その変化が付着した状態で表現されるため、関係した人々や存在たちに自然と伝播する。(また意図的に表現せずとも、生じた変化が、それぞれの思考、行動、立ち振舞い、エネルギーとして反映され、周囲や関わる人々や存在たちに伝播する。)

その際、伝えた内容に関して、それぞれの役割や方向性、性質、属性などが加味され反映された形での影響となっているので、伝えた内容に関して他者(特に見解を受け取った人と同じもしくは似た役割や方向性、性質、属性等の相手や人々に対して)に伝える場合、「似た役割や方向性等の感性や価値観、共通認識などが加味されたもので伝える」、ということが生じやすい傾向があると思われる。結果、受け取り手も理解しやすかったり、抵抗感や心身の刺激(ネガティブな感覚やストレスなど)が少ない形で受け取れる。(ここでの「受け取り」とは、内容の拒絶や拒否、懐疑的であることも含めての内容を受け取るということ。)

これにより、自己の見解等が何かしらプラスになる可能性がある役割や方向性、性質、属性、個性等の人々ではあるが、直接伝えると何かしらネガティブな反応や刺激、強いストレス等が生じやすいような役割や立ち位置の人々に対して、その負担を和らげ、理解しやすく、スムーズにプラスへ持っていきやすい形で提供できる。

また「情報の全体への伝播における、ネガティブな刺激や負担の程度という観点」で見た時に、そのネガティブな刺激を低減する程度や割合が引き上がることにより、潜在的にプラスとなり得る情報の受け取り手へと、必要な情報が届く可能性も高めることができる。


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また、情報が届いた際に、それがプラスになるとは言え、ネガティブな刺激やショック等が生じるものであると、罪悪感や劣等感、混乱や自己嫌悪、自己否定などが生じ、それぞれの役割や方向性などにおいての「発揮のパフォーマンス」が落ちやすくなる。

またネガティブな刺激やショック等により、怒りや攻撃などの自己防衛が生じ、各々においてプラスになり得る情報でも、はじめからシャットダウンしてしまったり、それぞれにおいてプラスになる作用が「自己防衛的なフィルター」により、弱まってしまう場合がある。

そうした点からも、潜在的にプラスになる可能性がある人々であっても、「ネガティブな刺激やショック等が生じない、影響をカットできる人々」、それでいて顕在的もしくは潜在的に何かしら求めている人々に届くように意図する。


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こうした情報の伝播を意図することで、「皆が幸せのまま更なる幸せになる」という流れに持って行きやすくなる。皆が幸せのまま、更にそれぞれにおいての体験や変化変容、成長をしていける流れに持って行きやすくなる。また刺激が心身における「苦痛」という段階に至らず、それぞれにおける、幸福感や快適さの中で、または苦痛をそれぞれにおいて快と感じられる範囲内におさめやすい形で、それぞれにおいての体験や変化変容、成長をしていきやすくできる。

この情報の伝播のアプローチは、「幸せのまま、さらなる幸せになる、なり続ける」ということに繋がる、一つの流れ.アプローチ、文化形態と位置付けることができる。こういったものを張り巡らせ、個々人の在り方、文化やシステムとして落とし込み、機能させていく。それにより、人類を「幸せのまま、さらなる幸せになる、なり続けるような世界」の創造、構築へと、繋げていくことができる。


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なお、私の言う「プラスの影響」とは、私の見解等に同調や賛同するものというよりも、それぞれの方向性や役割がより浮き彫りとなったり深まるような気付きや見解、変化などが生じることを示す。故にその結果として、自らが示す見解や方向性とは異なったり、逆方向や相反するものでも構わない。それぞれが担ってくれている役割や方向性、個性だからこそ、出てくるものだと捉えているため。またそれらが全体を向上させることに最も寄与すると思っているため。



※<補足:引き寄せの法則等の方向性への対応としての「リアリティのあるお伽話化」>※✅

更に、上記で示した想定される作用や流れにおいて説明した、ネガティブな観点からの事象自体を、リアリティのあるおとぎ話、として示す。これは起こっている現象を何かしら関連付けて把握したり洞察し対応する領域とは別の、引き寄せの法則的なものが管轄する領域への対応として行う。

引き寄せの法則等についてだが、意図することにより生じる体験や事象をある程度現出させたりはできても、現状での個としての各自のこの方面での力や、魂の意図(魂が望む体験、テーマなど)等により、ある程度規定される場合があると感じる。また意識により世界の構成自体(実際的とされる事柄など)も望む体験により絶えず意識的、無意識的に深い領域で変化させていると思われる。(パラレル移動などもこれ。)その上でのこの世界軸の基礎的な設定などは動かしづらい場合もあると思われる。

また上記に示した個々の魂の個性により、世界自体への働きかけもやりやすい事柄、事象などの違いがあると思われる。そうしたことから、世界自体への働きかけは、効果的だが、万能ではない。

これはゲーム内のキャラクターが、ゲームを構成するプログラム部分を書き換えることができるようになり(またはそうした機能を持っていて作動していることに気付き)、ゲーム世界の対象や情景、生じるイベントなどを書き換える、追加修正する、しているというような感じだ。ただ、プログラム部分の書き換えができるようになっても全てができるわけではなく、ゲームの大まかな流れやいじりづらい設定等がある、ということだ。そこも変えていけると思われるが。

さらに、生じさせた事象を実際に体験するのはゲーム内のキャラクターのため、生じさせた事象を望む方向性で体験するにおいて、そのキャラクターの能力、スキル、操作方法といった領域での蓄積も、それぞれの体験の方向性やパターン、内容によっては必要になってくると感じる。

これはキャラクターの操作や能力、スキルなどのことを考慮する必要性を感じないような願いや体験等であれば、この部分はほとんど必要ないと思われる。またどのような内的感覚で体験したいか、叶えたいか、またこの生み出した体験を通じて魂として、キャラクターという器としてどのような意識や状態を回収したいか(魂に刻みたいか、統合させたいか)によっても、単に表面的に体験すれば良い、叶えば良いといった方向性からは異なる方向性に行くと感じる。
(深い視点ではある意味、「ただ体験すれば良い」とも捉えられるが、ここではそれを踏まえた上で、個として(魂として)のより表層の領域における満足感を高めるという観点から捉えている。)


またプログラムの書き換えの能力の程度によっても、できる程度や範囲が異なると感じる。(これらの書き換え等を行えたかを感知できるかどうかも含め。)またこれは繰り返しになるが、そのプログラムの書き方や書き換えられる場所や対象が、各キャラクター(個々人)ごとに設定された違いから得意不得意、また程度の違いがあるというように感じる。(意識的、または無意識的な引き寄せ、体験世界の創造に関しては、体感的には占星術的な側面が結構奥で作用しているようにも感じる。)それぞれの体験したい魂のテーマ等によっても、あえてできない、できる、これはしづらい等があると感じる。個人的なより深くの認識はちょっと異なるが、わかりやすくはこのような感覚で捉えている。)

※<補足:終了>※✅





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