見出し画像

清水の舞台から飛び降りる。ではなく、突き落とされた。


旦那さんに突き落とされたのではない。
何かに…

これは、私の現実創造のプロセスにおいて必要不可欠な事だった。

本当の感情を抑圧して、違う感情のすり替えをすると、大きなストレスが生まれる。それに耐えられなくなると、身体に異変が生じる。
“パニック障害”として症状が現れた時、これは投薬で治すしかないと分かっていたので、ちゃんと通院しながら毎日薬を飲んだ。
友達にも言えず、家族も遠方にいた為、1人で向き合っていた。
旦那さんに泣きついた時もあったが、
「残りの人生50年は、別の女性と生きていきたい。」と、はっきり言われた。(傷口に塩。)

治療を始めて半年過ぎたあたり、はたと気がついた。
(私何やってんだろ。そこまで言われているのに。これただの執着じゃん…)

昔読んだアドラー心理学の本に書いてあった事を思い出した。

敗北を避けるために、時に人は自ら病気になる。

私は、ただ負けたくなかっただけかもしれない。相手より優位な立ち位置なのに、もう劣勢状態。そこで最後の秘策として持ち出した、
“妻は病気。”(だから貴女の思い通りにはいかないよ)

急にアホらしくなってきた。こんなくだらない執着の為に、どれだけ時間を無駄にするのだろうと。

そもそも【自由に生きていこう】って決めてたのは私。中途半端にならないように、背中をドンって押されたんだ。そうしないと飛び降りられなかった。
私の創造した人生に責任を持って、楽しんでいこうと気づきが生まれた。

不思議な事に“気づき”が生まれると、今まで見てきた景色が変わりだす。恨み、怒り、悲しみ、執着、全てが薄まってきた。
結局、身体的治療には約1年かかったが、症状は出なくなった。
今は、遠方にいる旦那さんには、感謝と、“お幸せに”という気持ちしかない。

【清水の舞台から飛び降りる】
飛び降りた先は、どん底暗闇のイメージがあるから、なかなか決断できない。
でも勇気を持って飛び降りたそこは、自分次第でどうにでも変わる。

着地してみたら、そこは可能性に溢れたお花畑だった。🌷

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?