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その文字数、誰が決めた?

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・書評家・エッセイスト として、
自らを定義しています。

ご存じの方も多いかもしれないが、
最近の私は つぶやき の数が非常に多い。

正確に言えば
「投稿に占める つぶやき の割合が…」である。

一時期は毎日のように記事を
投稿していた時期もあるが、
note と私生活、そして心身のバランスを崩して
今のペースに落ち着いた。

たしかに つぶやき は楽なのだ。
最大で 140 文字」
という制約があるので
長文は書かなくともよい
…というより、書きようがない。

一方で記事は、
書こうと思えば 何文字でも書くことができる。

まぁ 実際にはシステム上の文字制限は
無限大ではないのだろうが、
「〇文字以上は書けませんでした!」
なんていう声は聞いたことがない。

私はこれまで、記事を書く際には
2,000 字を ひとつの目安にしてきた。

note を始めたとき
普通、どのくらい書くものなのだろう?」と
ネットで調べた結果が そのくらいの数字だった。
(そんな何時間も調査したわけではないが)

前述のバランスを崩して
モデルチェンジした際は
「毎日 2,000 字はツラいが、
 140 字なら続けられる」
という判断からだった。

だが、最近 ふと気付いたのだ。

「別に 2,000 字にこだわる理由はないのでは?」

 

あくまで 2,000 字というのは
自分が「目安」にしていただけの数字。
さらにいえば、その根拠は
インターネットからの拾い物である。

よくビジネスなどで
「手段の目的化」といって
いつの間にか本来の目的を
見失ったプロセスが
批判されることがあるが、
現在の私の「記事 = 2,000 字」縛りも
それと似たようなものではなかろうか。

当初、「目安(参考)」としていただけの数字に
いつの間にか自縄自縛になっていはしまいか。

そう、

一方で記事は、
書こうと思えば 何文字でも書くことができる

 

一見シンプルで note をしている人が
知らぬはずがない この事実を、
私は 自分が知らぬ間に見失っていたのだ。

何かの仕事を受けたり
企画に応募するのでもない限り、
執筆は もっと自由なものだ。
ましてや エッセイなんて
言わずもがな である。

私はいつも 挨拶文と
末尾の記事紹介部をコピペしてから
記事を書いていくのだが、
ここまで あれやこれやと書いていたら
いつの間にか 1,000 字を越えている。

ここまで 30分足らず。
途中で ちょっとした邪魔が入ったから、
実働 20分程度か。

正直、つぶやき を書くときと大差はない。
つぶやき も書くことをまとめたら、
あとは「どう 140 字以内に収めるか」と
考える時間が生じるからだ。
(ちなみに私は つぶやき は
 基本的に 140字ジャストを狙っている)

たいてい 思いついた散文は、
140 字より「長く」なっていることが多い。
今まではそれを「削って」つぶやき にしてきた。

だが 考えてみれば、わざわざ削る必要もない。
「141 字の『記事』」があっても
何も悪いことではないのだ。

ここまで書いていたら 1,300 字を越えた。
さっきから 5分と経っていない。

こんな軽い感じで書くなら、
記事の頻度が上がっても そうツラくはない。

もしかしたら 私のように自縄自縛、
あるいは 誰かが言っていた
根拠の薄い数字に縛られて、
書くのがツラくなっている人が
他にもいるかもしれない。

そんな人には
「その文字数、誰が決めたの?」
「本当にその制約じゃないとダメなの?」
「もっと自由に 書きたいことだけ書こうよ!」

と声をかけてあげたい。

執筆を、note を、
もっと気楽に もっと楽しく
続けようじゃないか。

目次も見出しもつけない
文字どおりの「散文」だが、
今日は これで投稿しよう。

お読みいただき、ありがとうございました。

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