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【ジャーナリズム】多様性と社会の閉塞感は表裏一体なのかも。「反知性主義/森本あんり」を読んで。

現代はカウンターカルチャーやオルタナティヴが産まれない社会であるように思う。むしろ何がメインカルチャーで、何がサブカルチャーかということを見分けることすら難しくなっている。

多様化と言うと聞こえはいいが、そこには一種の息苦しさもあるように感じる。メインカルチャーの中に身を置くことで安心感を得られる人もいれば、サブカルチャーに身を置くことで安心感を得られる人もいるからである。

「マイノリティーのために用意されていた居場所がマジョリティに侵食されてしまうのは耐えられない」というのが屈託に満ちた私の最近の悩みであったが、そもそもメインとサブの区別がないならマジョリティも大変だと思う。

最近まで「マジョリティなんてクソだ!」と思っていた私を少し反省してしまう。

今回読んだ「反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体」という本は、アメリカ史の本であるが、カウンターカルチャーの歴史を辿った本でもある。タイトルにある「反知性主義」とは「反権威主義」と言い換えることができる。

カウンターカルチャーが「ぶっつぶす」のはいつも、圧倒的な力を持った「権威」である。アメリカの建国と発展の歴史にはこの権威への反骨精神が一本の筋として屹立している。その精神性が現代に到るまでどれほどの影響を与えているかを読み取れる、非常に面白い本だった。

だが、権威への反発と言う精神性はアメリカに限った話ではない。権威への反発の繰り返しによって人類は発展しているとも言えるのではないか。自己啓発本やビジネス書の謳い文句に倣って言うと「常識を疑え!」と言ったところだろうか。

しかし先ほども述べたとおり、"現代はカウンターカルチャーやオルタナティヴが産まれない社会"である。

要はぶっつぶす相手がいなくなってしまったわけである。そのような社会はときに"閉塞感"と言い表される。

そう考えると、多様性と閉塞感は意外にも表裏一体なのかもしれない。

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