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【ジャーナリズム】 「平成は輝いていた」なんて死んでも口にしたくない。平成という時代についての私的覚書。

平成とはなんだったのか。

「ありのままでいい」と歌われた平成


松たか子やMay.Jが「ありのままの姿見せるのよ」と高らかに歌ってから早いものでもう10年になる。それより少し前には「ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」とSMAPが歌っていた。真剣に聴かずとも、小学校や中学校で歌わされた人も少なくないだろう。

しかし、当時「ありのままでいい」「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉に対して「そんな考え方ではいかん」と横槍を入れてくる大人も少なくなかった。

今思うにこの2つの歌は、それまで半ば存在しないこととされていた"格差"がその姿を表してきた時代にあって「競争から降りる」ことを遠回しに勧めていたのではないかと思う。

だからこそ、熾烈な競争社会を生き抜いてきたと言う自負を持っている当時の大人たちにとって、いわば"草食系"な"ゆとり世代"の当時の若者たちの態度を代表するようなこの言葉はなんだか気に食わないものに写ったのだろう。

ただ、別に格差というのは、よく言われた"一億総中流の崩壊"と言うような経済的な、目に見える格差だけを言うのではない。スポーツができるかできないか、勉強ができるかできないかというような、昔からある子どもたちの間での格差。また陽キャであるか陰キャであるか、イケメンであるかブサメンであるか、リア充であるか非リア充であるか、と言うような、ネットスラングから生まれた格差。つまり、そこはかとなく社会にはびこっている見えない格差を言うのである。

そんな格差が内面化された平成生まれの私(私たちと言ってもいいかもしれない)にとって、「ありのままでいられる、オンリーワンでいられる場所」と言うのは何としてでも手に入れたいユートピアであったのだ。そりゃ競争から降りたくもなる。

そのせいか、私は今でも「ありのままでいい」「ナンバーワンよりオンリーワン」と言う言葉になぜだか言いようもない切実さを感じてしまう。

別に今だったらそんな遠回しな言葉は使わずに直接的に「競争から降りよう」と歌うだろう。仮にその歌に対して否定的な言葉を投げかけようものなら、「老害」と袋叩きにあってしまう。


「君たちはかわいそう」と言われた平成


大学生のとき、サウナで一緒になったおじさんから「君たちはかわいそうだ」と言われたことがある。どういう脈略でそう言われたのかはうろ覚えだが、要は君たちが生きている時代は悲惨だということをおじさんが伝えようとしていたことだけは覚えている。それを聞いた19歳の私は「そんなものなのか」と思った。

また、大学でジャーナリズムの授業を担当されていた某全国紙の記者の方からは「君たちはよく生き抜いてきた」とも言われた。この話の脈略ははっきりと覚えているが、要はこれも、君たちが生きている時代は悲惨だということをその人は伝えたかったのである。産まれて此の方不況だし、総理大臣はコロコロ変わるし、アメリカでは戦争が起こるし。よくそんな悲惨な時代を生き抜いてきたと。それを聞いた20歳の私は「やっぱりそんなものなのか」と思った。

今考えるとどの言葉も本質的なものだし、それを聞いて「ふーん」と思ってた当時の自分をぶん殴りたくもなるが、今思うとそういう自分の態度は一種の自己防衛だったのかもしれない。そういう態度を取らないことには自分というのを保てなかったのだ。今自分が生きている時代がとにかく悲惨なものであるということは、いくら世間知らずであっても嫌というほど分かっていた。「草食系な立ち振る舞いだ」と揶揄されようとも「それが俺のありのままの姿だ」と開き直っていた。熾烈な競争に打ち勝つだけの体力なんて既に消耗されていたのかもしれない。


「なんかいやな感じ」がした平成


ライターの武田砂鉄氏は平成の時代の空気感を「なんかいやな感じ」と言い表している。昭和の後期に産まれ、平成の30年を青春と共に過ごした著者である。まさに言い得て妙と言うか、その言葉には私自身深い共感を抱く。


世の中全体が捉えどころのない微妙な空気感に支配されてしまうというのは、この国の精神性であるかもしれない。「空気を読め」という言葉はスラングとして使われているし、実際に「空気の研究」という本が一時ベストセラーになったこともある。まだ読んだことはないが。

あとこれもよく言われるが「主語が省略される」という日本語の特徴も、「なんかいやな感じ」を生みだしているように思う。私の実感を話すと、主語がなければ、世の中の不穏さを誰かのせいにしたくても、その誰かが分からない。だからこそ弱者がその「誰か」という名の標的にされてしまう。要はいじめが生まれてしまうわけである。

何度も語っているように私自身その「誰か」にされてしまった経験がある。そこにあるのは確かに「自分は何かダメなことをしてしまったんだ」というよく分からないない罪悪感だったし、逆にいじめてくる側にあるのは「俺はお前に不快な思いをさせられた」というこれまたよく分からない被害者意識だった。なぜかいじめてきた側に謝罪するよう先生に言われ、あまりの理不尽さに悲しくなった記憶もある。


いじめによる子どもの自死が社会問題として認識されるようになったのは私が中学生くらいのときだったが、そのときはまだ「自殺する方が悪い」というような今考えても胸糞の悪くなる言説が語られていた。

つまり、命を絶った者に対してまで「俺はお前に不快な思いをさせられた」という被害者意識が当然のようにまかり通っていたのである。今そんなことを言おうものなら袋叩きにあうのは目に見えているし、そのようなことをとある劇団員のメンバーが発言したことで問題になった事案は記憶に新しい。

とにかく今のように「いじめは犯罪である」という言説が語られるようになるまでどれほどの命が平成という時代に犠牲になったのか、考えるだけで悲惨な気持ちになる。いじめを無くそうと語っている大人たちを見て「お前は本当に人をいじめたことがないのか」と問いたくなるのは私だけじゃないはずだ。


「輝いていたのか」分からない平成


最近では耳にする機会は少なくなったように思うが、一時期よく囁かれていた「昭和は輝いていた」という言説を、今でも頑なに信じている人はいるのだろうか。最近流行とされている「昭和レトロ」なんていうのも、そんな想いの裏返しなのか。

過去が輝いて見えるのはいつの時代も一緒かもしれないが、私自身が屈託のある青春時代を過ごした「平成」という時代を思い返してみると、そこにあるのはやっぱり「なんかいやな」感じという空気感である。もう一度あの暗い日々を過ごすなんてまっぴらごめんだ。私の青春時代の屈託が自身のパーソナリティから来るものなのか、それとも平成という時代がもたらしたものなのかは分からないが、とりあえず今は時代のせいにしてみるという態度を私は取りたい。やはりそうしないことには私は自分というのを保てない。

もう少し時間が過ぎて、かつての大人たちのように「平成は輝いていた」と口にできる時がくるのか分からない。ただ「平成レトロ」なんてつい数年前まで過ごした時代を懐かしむ動きにはきな臭さしか感じない。それでも、つい「うわー懐かしっ」なんて言ってノスタルジーに浸る自分がいるのも否定はできないが。

それでも私は「平成は輝いていた」なんて、死んでも口にしたくない。それくらいの矜持は持っているつもりである。

それに、その態度を揶揄されるほど私は若くない。

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