人生はそううまくはいかないけれど

足りないもの

大学生活、いろいろありました。
コロナ、勉強、人間関係、サークル、、、
楽しかったことも、しんどかったことも。
就活はそこに「しんどかったこと」として連ねられることになりそうです。
そうならないように、noteをはじめたのです。

私は、自己犠牲のタイプらしいです。
他者のために自分を削る。
まるでかっこいいヒーローのような雰囲気ですが、そんなもんじゃありません。
誰かのためにいることで存在が認められるのだと、本気で思っていました。
誰かのために動くことが、
誰かのために苦労することが、
誰かのために我慢することが、
生きていていいということと同義だったんです。

だってそうでしょう。
生まれる理由なんてないのだから、誰かに必要とされていないと生きている理由なんてありません。
誰かのために、なんてきれいに言ってますが、何よりも自分のためです。
自分が生きていていいのだと感じたいがために動くのです。

もはや自傷行為と同じです。

友人から、
「YONEはどこに行ったって苦労役をすることになる」
と言われました。
本当にそうだと思います。
そうやって生きてきたから。

でも、苦労してきたのは本当に自分のためだけだったのかと問われると、
そうでもない気がします。
あんなに頭を悩ませたのは、本気で彼らを想っていたからです。
あんなことをやってのけたのは、本気であそこが好きだったからです。
大好きな彼らが笑っていてほしかった。
大好きなあの場所にずっといたかった。
大学生になってから、初めての感情でした。
まわりまわって、結局は自分のためだったのかも、とも思いますが。

私は、そんなところで働きたい。
「大好きだ」、「大好きな仲間のために」、「大好きな会社のために」という気持ちを原動力にしたい。
私に足りないのは、誰に価値提供したいか。
誰を対象にするかなんですよね。

「困っている人がいるから助ける」
なんてきれいなことはできません。
大好きな人だから助けるんです。

私が大好きだった彼らは、
真剣で、情熱にあふれていて、努力家でした。

こういう人が困っていたり、不条理な壁にぶち当たっているのを見るのがつらいです。どうにかしてあげたい。

そうだ、私は不公平が嫌いなんだった。
きちんと報われてほしい。
努力は必ず報われるわけじゃない。
そんなのわかっています。
でも、納得はできません。

人生

人生はそううまくはいきません。
報われないことなんていくらでもあります。
納得できないこともいくらでもあります。
でも、それを知っているのは、私がそれだけ頑張って、なおかつ報われることがなくて、打ちのめされて、それでも次こそはと立ち上がった経験があるから。報われないならいいや、と諦めていないから。

きっとこれからも、これまでの人生とは比にならないくらいの不条理と出くわすでしょう。
そのたびに私は何度も立ち上がれるでしょうか。

力をつけたい。
不条理に立ち向かえるくらいの力を、何度も立ち上がらせてくれる力を、
仕事をする中で身につけていきたい。

ひたむきに頑張っている人のために仕事をしたい。



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