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祖父のトマト 3段落エッセイ

亡き祖父は戦争から帰ってから、漁師をしていた。何ヶ月も帰ってこない遠洋漁業。母は子どもの頃、生活が苦しくて大変だったと語る。でも私が物心ついた頃には祖父は花農家をしていた。泳ぎがうまくて、10メートル以上も素潜りできて、魚を捌くのが職人のように上手だった自慢の祖父。

花農家になったきっかけは運命的だった。地元の海で、どこかの船が難破し、泳ぎ自慢の祖父も救助活動に。助けられた人たちと皆仲良くなった。彼らは、気候が似ているからきっとよく育つ、と花の苗だか種だかを贈ってくれたらしい。ああ、詳しく聞いておけばよかったな。もしかしたら、軌道に乗るまで助言を受けていたのかもしれない。とにかく、祖父は40歳を超えて漁師から花農家へ転職したのだ。よく、テレビの番組で華やかに飾られている花を指しては、おじいちゃんが作っている花はあれぐらい立派に飾れる花なんだと自慢してた。

晩年の祖父は、年金生活になって花を育てる体力がなくなってからは、トマトを栽培していた。あれ以上のトマトを食べたことがない、と断言できるぐらい美味しいトマト。30年以上花を育てた経験、水分量を細やかに調整するためのビニールハウス、トマトを育てるには高価すぎるオリジナル配合の肥料・堆肥を惜しみなく使っていた。店頭で売るためには見た目も大事だけれど、祖父のトマトは見た目を少し犠牲にして美味しさに特化していた。水分をギリギリまで減らして濃い味にすると、少し割れてしまう。熟しきったものを収穫して食べるトマトの美味しいこと。真っ赤に光ったトマトを丸のままガブリといくと、トロッとして瑞々しく甘く、太陽を閉じ込めたような旨みが凝縮されて全身に沁み渡るような味だった。家族と親しい人にしか贈らないトマト。どこからか聞きつけてきた何人ものバイヤーに懇願されてもガンとして売らなかった。少ししか作れないし、商売にするにはお金も手間もかけすぎているから。偏食な我が子もあのトマトだったらきっと食べたのになぁ。懐かしく思い出す。

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