4番 田子の浦にうち出でてみれば 山部赤人
2018年1月17日/今橋愛記
田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人〔所載歌集『新古今和歌集』冬〕
長歌いいよね。と花山さんが言った。いいよね。と堂ちゃんが答えた。おそらく渋谷。お昼からお酒を飲んだりして。若かったね。長歌いいよね。とわたしは言えなかった。
同じにお酒を飲み仲間のようにしていても自分は圧倒的に知識が足りひん。と思ったことだったよ。
なんでそんなことを思いだしたのかと言うと、今回4番山部赤人の「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」。この歌は、長歌(注1)の反歌(注2)で、ほんとうは、この歌の前に長歌がある。長いけど引いてみる。
ざっくり訳したもの
ひらがな
よかったら、ひらがなのところ、声にだして読んでみてください。
意味はほっといて、漢字に変換しようとしたりしないで(これが 自分にはむずかしいことなのだけれど)。
音だけをとっていったら。
難しいことは いっこもわからん わからんのに。それでも、なんか耳に心地よかった。そして、そんなふうに感じることにおどろく。それはわたしが年をとったからなのだろうか。わからない。わからないけど、昔の人が長歌で反歌で たたえた富士山が、わたしの見た富士山とおなじだということがうれしい。20代の頃、30代の頃、それは、すてきなことでも、うれしいことでも なかった。自分の心の変化におどろいている。
花山さんが、第一歌集(2007年)で長歌を発表しているのを先週くらいに知った。
なんと今の時代に長歌作る人がいるんだね。とびっくりしたので、長いけど これも引いてみる。タイトルは「胴」。
字面だけで、本気やな。とわかる。今こそ2月、たーのしく あそべ わたしは渋谷にワープして ぼそっと発音をする 長歌いいよね。そしてまたこっちに もどってくる。
翻案は、新幹線の窓からの富士山を思いだそうとして思いだせないままつくった。
万葉歌人中、最も広い範囲を旅したであろうと言われる赤人には及ばないけれど、若い頃のわたしにも移動があった。そんな移動の途中、新幹線の窓越しに見る富士山は、いつも変わらず富士山で、そこを通るたび ほっとしていた。
トンネルを
いくつ超えたんか
いつのまにか富士山だ富士山だ
うれしい。 今橋 愛
一月のある日、娘(現在3才)と散歩をしていたら別の翻案もできたので、それも載せる。
やま、むこうに みえるでしょ?と
おしえれば子は
やっほーとさけぶ
歩道橋のうえ 今橋 愛
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