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3番 あしびきの山鳥の尾の        柿本人麻呂

2017年10月2日/花山周子記

あしびきの山鳥やまどりの尾のしだり尾のながながしをひとりかもむ  柿本人麻呂かきのもとひとまろ〔所載歌集『拾遺集』恋三(778)〕

歌意 
山鳥の尾の、その垂れ下がった尾が長々しいように、秋の長々しい夜をひとりで寝ることになるのだろうか。

『原色小倉百人一首』(文英堂)

「あしびきの」は「山」にかかる枕詞まくらことば。「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」は「ながながし夜」を導き出すための序詞じょことば
つまり、上句はほぼ無内容ということになる。この歌の内容は「長い夜をひとりで眠るのだなあ」につきるのだ。
つきるのだが、この上句の山鳥の実存感は、なんというか、それ以上のものを醸してしまっている。シュールなのだ。
「ひとりかも寝む」の詠嘆の「かも」も結句、五、二の珍奇なリズムのなかで鳩時計のハトのごとくにカモが飛び出していて、シュールである。
恋人に会えない長い夜はつらいつらいと思いながら、それを表現しようとする段ではすでに、別の感興が湧いている。そんな作者のさがが妙に浮き立って見える歌である。

鶏が鳴く東京五輪の五つ輪のそらぞらし世のひとりかも寝む 花山周子 
         

注1:この歌はもともと万葉集の作者未詳歌
「思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を」の異伝歌として載せられていたものが、のちに人麻呂作となっている。
また、「山鳥に寄せて思を陳べたる」歌、つまり題詠でもあった。
注2:「鶏が鳴く」は東にかかる枕詞。

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