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72番 音に聞く高師の浜の            祐子内親王家紀伊

今橋愛記

音に聞く高師たかしの浜のあだ浪はかけじや袖のぬれもこそすれ 
祐子内親王家紀伊ゆうしないしんのうけのきい〔所載歌集『金葉集』恋下(469)〕

歌意 噂に名高い高師の浜のいたずらに立つ波はかけますまい。袖がぬれると大変ですから。─噂に高い浮気なあなたの言葉は、心にかけますまい。あとで袖が涙でぬれるといけませんから。

 『原色小倉百人一首』(文英堂)より

1102年、堀河院艶書合ほりかわゐんけさうぶみあはせという歌合うたあわせで詠まれた歌。藤原俊忠ふじわらのとしただ

「人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言はまほしけれ」

私は知れず思いを寄せています。荒磯ありその浦風とともに波が寄るように夜になったらお話ししたい 

『原色小倉百人一首』(文英堂)より

と送ってきた歌への返歌が72番である。

俊忠の歌は、思ひありその浦風に波のよるこそ あたりが、ギャザーのようにその波の揺れを際立たせながら、同時にそこに意味も重ねてきて、
最終的にその波がざわわわーとこちらに届く塩梅。

このけそうぶみあはせ、というのは男のひとから女のひとへ求愛の歌を贈り、それに女のひと側が拒否の歌を返すという「懸想文の形をとった歌合」。
この勝負は、祐子内親王家紀伊に軍配が上がった。

本などには この返歌さすが。これぞ。と書かれているものの
個人的には今日現在、この歌のすごさが まだあんまりわかっていない。

当時藤原俊忠は29歳、祐子内親王家紀伊は70歳前後だった。
祖母と孫ぐらい年の離れたこの二人が、艶書合という機会によって疑似恋愛の歌をこしらえて、その塩梅を競う。
どういう雰囲気のものだったのか。気になっている。

もうだいぶ前のことだけど、当時20代くらいだった短歌の友だち(男の子)が、とてもすてきな人なんだと70代くらいの女性の歌人のことをいうとき、そこに淡い憧れのような感情も見ることができて その友だちの様子をとってもいいなと思った。

その数年後、40歳くらいのすてきな女のひとが、男の人におばちゃんとからかわれていて、わたしはその落差にくらくらするのだった。

翻案は、物語がある人とない人のことを、波と星と星くずにした。

音に聞く
Takashi Okaiのストーリー
あまたエピゴーネンはあれども    今橋 愛


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