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ギリ19歳が行く、インド一人旅🇮🇳④

⚪︎初めての夜行列車に揺られて。
3月9日(木)ニューデリー→バラナシ

  電車が大きな音と共についに動き出した。もちろんスマホも電波がないので繋がらない。できることは何もない。退屈すぎてじっと座っていた。本当にやることがないので目を閉じて、壁に寄りかかっていた。前にいたご家族はヒンディー語で何か話しているが、もちろんわからない。そんな時間が数十分続いた。この間も目を閉じて、時間が過ぎるのをただ待っていた。

  その時、肩を叩かれた。驚いた。肩を叩いたのは前にいた芸人の有吉に似たお兄さん。このお兄さんは英語も喋れる。英語力なら同じくらい。そして、このお兄さんにご飯いるか?と言われた。有り難たくいただいた。このお兄さんにいただいたご飯はチキンビリヤニ。

  そして前にいたご家族と有吉似のお兄さんがヒンディー語で何か話している。どうもそのご家族からもご飯をいただけるらしい。そして、お兄さんから牛肉は食べられるかと聞かれた。もちろん食べられるが、この質問の意図としては宗教的にOKかということだ。

  インドにおいて総人口の8割が信仰しているヒンドゥー教では牛は神聖な動物とされているので牛肉が食べられない。そして、このご家族はイスラム教徒、いわゆるムスリムだろう。イスラム教の教えでは"豚"肉は食べてはいけないが、"牛"肉は食べてもいい。

  その中でお兄さんからビリヤニ、ご家族から牛肉をパンではさむものをいただいた。食べ方も見よう見まねで教えてもらった。

  これがめちゃくちゃ美味しかった。心が満たされるのはもちろん、ビリヤニのお米の色を見てもらえれば分かる通り辛くない!牛肉は少し辛かったが、全然食べられる辛さ。おいしかった。こんな見ず知らずの少年にご飯くれるだなんて、、

感謝してもしきれません。。


  そして、有吉似のお兄さんと前にいたお母さんが話している。ヒンディー語での会話なので何を話しているかはわからないが、なんとなく話していることは見当がつく。その会話の中で、彼はどこの国の子?と聞かれ、英語を使える有吉似のお兄さんが"ネパールじゃないかな"と言っていることを聞き取れた。それを言った後に、お兄さんが自分にどこの国の出身か質問してきた。日本だよと答え、お母さんの反応を見るが特に驚くこともなく、あぁそうというような感じ。

  そしてなぜネパールが聞き取れたのかには理由がある。この旅の中で出身はどこかと聞かれた時に自分はたまにどこの国か当ててみてよと言っていた。その時によく中国、ネパール、韓国、日本の順番で言われていた。どうもネパール顔らしい。これも新たな発見なのかもしれない。このどこ出身かでネパールと言われたのはジャイプールに行く夜行バスに乗る前、路線バスの場所を教えてくれた人、路線バスの中で大豆をくれたおじさんの2回、その他もお土産屋さんの人などちらほら言われていた。

  このお母さんから有吉似のお兄さんを通じて質問された。ヒンディー語(母)→英語(兄)→私→英語(兄)→ヒンディー語(母)で通訳をしてもらった。質問は日本にもムスリムはいるの?と聞かれた。日本人のイスラム教徒は数%で、最近は外国人のイスラム教徒も増えてきている。でも、数は少ないと拙い英語で伝えた。反応もああ、そうか。というようなものだった。そして、お兄さんからは日本では何が信じられているの?と聞かれた。仏教と神道(アニミズム)のミックスと答えた。これに関しては2人とも驚いていた。

  ご飯も食べさせてもらい、いま自分はとても満たされている。時刻は0時になろうとしている。寝るためにみんなで座席を上げて3段にし、シーツや枕を用意する。それぞれが当たり前のように協力し合って寝る用意をした。枕、シーツは多分清潔そう。このシーツが掛け布団代わりなる。シーツの薄さは修学旅行で行く旅館の敷き布団を包むあの薄いシーツと同じ。

この2人ずっとイチャイチャしてたで


  ほんの少しスリや置き引きの心配があった。ほんの少し、ほんの少しだけ怖かったので、外国人だとバレないように寝転んでいる間はシーツを顔まで覆っていた。時間にしたら大体6〜7時間、目覚めては寝るの繰り返しをしていた。その間も枕元に小さなゴキブリや虫が来るのは当たり前のことだった。だが、インド旅の中で公衆衛生の概念はどこかに飛んでいっているので、全く気にならなかった。

  そして、トイレ(小)に行きたくなった。この車両の後方にあるらしい。揺れる車内で手をつきながら進む。トイレらしきところに着いた。が、扉はバタバタ激しく開閉を繰り返している。身体に当たったら普通に痛そう。いざ、中に入ってみると、汚い話だが、おしっこが便器外に溜まってはみ出して床に流れている。便器は線路に垂れ流しの和式便器のシステム、そして電車は何度も揺れる。

  日本の新幹線のように、男性用小便器や洋式便器があれば良いのだが、そう簡単にはいかない。さらには、揺れてバランスの取れない場所で、できるだけ的に入れようとするとしゃがむ必要がある。抵抗感はかなりあったので、立ったまま意地ですることにした。いざしてみると、狙いはブレブレだった。用を足し、自席に戻ろうとするが、今履いている靴は他人のおしっこがついていた。少し嫌だったが、その後も特に気にするわけでも無かった。

  空はだんだん明るくなってきた。途中、何個か電車は停車し、時刻は8時30分になった。予定であれば目的地のバラナシに着いているが、まだ着かないらしい。さらに、スマホの電波もないので今どこを走っているかはわからない。もしかしたら乗り過ごしているのではと不安に襲われる。こんな時は目の前の有吉似のお兄さんに聞き、教えてもらった。まだだよ、次の駅だよと聞き、安心する。もう着くかなとそわそわして2時間経った。

  そして遂に目的地のバラナシに着いた。有吉似のお兄さん、ご家族の皆さん、特にお母さん、周りにいた人たちに笑顔でお別れを告げた。自分も周りにいた人も笑顔だった。改めていい出会いだったと今もなお振り返る。

  昨日の夜、外国人専用ラウンジでWi-Fiをもらい、安そうなホテルの目星をつけてスクショをしていた。それを元に行きたいが、12時間インターネットに触れられていないネット依存症クソ野郎なのでバラナシ駅の外国人ラウンジでWi-Fiを借りるために入ってみた。交渉した結果、Wi-Fi使うならお金払えと至極真っ当なことを言われた。結果インターネットを使えなかったが、とりあえずホテルを探しに行こうと街中へ出てみる。

  案の定ここバラナシは観光地なので、オートリキシャが鬱陶しい。めちゃくちゃ強引に「乗れ!」と言ってくる。頼むから静かにしてくれ、ほんまにもうええって。と思いながらリキシャを探す。停まっているリキシャより、走っているリキシャを捕まえた方がいいことが経験上多いので、なんとかして捕まえた。そこから市内、ホテル街へ行く。

  ホテル近くの少し大きな公園の前に停めてもらい、ホテル探しが開始した。マップをみることができないので、自分で歩いて聞き込みをしていく。世間話をしてそうなおじさんにも、露店の店主にも、近くを歩いている少年にもたくさん聞いた。まあまあ時間がかかった。おじさんにはあっちやと言われた場所も違い、たらい回しにされたが、なんとかなって無事に着く。だが、このホテルには泊まれないらしい。そうなったら次の手段を考える。その前にWi-Fi貸して〜と猫のような可愛い声でねだった。普通にWi-Fiを貸してもらい3個ホテルをリストアップした。

1.ガンジス川近くの安宿
2.日本人が経営していて、日本人が泊まる日本人宿"サンタナ"
3.日本人が経営していて誰でも泊まれるゲストハウス

を目指してここからの道と周辺地図を大量にスクショした。そして、いざ出発。  

  今回はサイクルリキシャを使う。サイクルリキシャとは自転車+人力車のようなもので、バイクのオートリキシャ🛺に比べて値段が安い。短距離の移動なら使った方が良い。このサイクルリキシャのおじさんに川沿いまで連れて行ってもらい、雑踏をかき分け、そこからホテルを探した。

  まずは日本人宿のサンタナに行くことにした。このホテルは路地の奥にある。スクショを頼りに大通りから路地に入っていく。ここバラナシはデリーやムンバイ、今まで行ったところに比べてハエの量がとてつもなく多い。ハエを手でなぎ払い、路地裏にいる野良牛の横を通り、野良牛のうんちを踏みそうになりながらも歩いていく。意外とすんなりサンタナに着いた。ホテル探しがめんどくさくなったのでここに決めた。

  中には同世代の若者たちが大人数いた。チェックインをしたが、まだ部屋が空いていないみたいなのでロビーに荷物を置く。今日この若者たちがチェックアウトなので、それを待って荷物を入れる。ロビーの椅子で座っていても暇なのでお散歩に行くことにした。

  バラナシはガンジス川で有名だ。なので、サンタナからもすぐに行けるガンジス川のガートに行く。ガートとは、簡単に言えば川の岸に設置された階段で、お祈りで川に入るためのもの。後で写真をいっぱい載せるのでそれで多分分かると思う!そして、炎天下の中歩いているが、日差しが体力を奪っていく。ガートに降りる手前に野良猿がいた。野良猿はやっぱり怖い。どんな動きをしてくるかわからないので、戦う想像ができない。野良犬なら高いところに登れば大丈夫そう、、

  いざ、ガンジスへ。息を呑むような、目の覚めるような鮮やかな光景だった。というのも、このガンジスには少し思い入れがあった。この川は沐浴をすることで全ての罪を浄化することができること、どんな病気でも治ること、信仰としてたくさんのことが信じられている。

ガンジス川の沐浴と観光用ボート


  そして、ヒンドゥー教での輪廻転生も関わっている。輪廻転生とは簡単に言えば、私たちは何度でも生まれ変わり、生前の行いによって次に生まれ変わる世界が決まるということだ。つまり、現世で良い行いをしていれば、来世は良い世界に生まれ変わることができて、現世で悪い行いをしていれば、来世はひどい世界に生まれてしまう。そこで、その永遠のループから抜け出そうとして、ガンガーに遺灰や亡骸を流すとされている。

  自分はこの輪廻転生の考え方は好きだ。ヒンドゥー教を信仰している人がどのようなお祈りをして輪廻転生を願うのかが知りたかった。そして興味を持っていた。だからこのバラナシのガンジス川にはなんとしてでも行きたかった。

  このガンジスには国外の観光客はもちろん、国内の観光客も多い。つまり、ここでもたくさんの人がいる。ガートには団体の観光客、観光用ボートの客引き、オレンジ色の服を着た人たち、家族で沐浴している人、それを見る人や写真を撮る人、さまざまな目的を持った人がいた。

左側の場所をガートという


  川を見ながら下流へ歩いていく。1キロ以上は歩いていただろうか。長い距離を歩いていても飽きない。右手側にはボートが多く停泊していて、それに乗る団体の国内外の観光客を横目に、左手側には火葬による火が燃え上がっている。ボートの客引きには高額の料金をふっかけられ、少年の物売りには何度断ってもついてくる。自分の目に入ってくる光景の全てが魅力的なのだ。

左下の黄色いのはお祈り用の花らしきもの
奥の煙の場所に火葬場


  適当なところで折り返し、また川沿いを歩きホテルに戻ってきた。ご飯屋さんやラッシー屋さんへの道をスクショした。まずはラッシー屋さんのBlue Lassi(ブルーラッシー)へ行く。猛暑の中、悪路の坂や路地を歩いた。何度も迷った。迷っては引き返し、迷っては引き返しの繰り返しだった。ただ、散歩は好きなのでこの時間も好きだった。

  このブルーラッシーはこれを読んでいる人全員に行ってほしい場所だ。日本にもインドにもよくあるラッシーは飲み物だ。だが、ここでは食べるラッシーが売られ、これを求めて多くの観光客が訪れるらしい。この店の敷地の広さは電車の待合室くらいしかない。狭い店の中に多くの人が肩を寄せ合い、小さくなって食べる。壁は青色で包まれてまさにブルーラッシーだ。壁には無数の証明写真が貼られている。これを貼っていくのが文化だそうだ。

  そして、私は全ての種類が入ったラッシーを頼んだ。これがめちゃくちゃ美味しかった。120ルピー(約190円)だった。美味しすぎて写真を撮り忘れた。なので1回目の写真はありません。"1回目"ということは2回目はあります。

  また、食べている時に白い布で覆われたご遺体を担ぐ集団が何度も店の前を通った。肘やひざ、顔のシルエットがいやでもよくわかる。そして、皆さんはこのままガンジスの火葬場へと向かう。生と死が思っているよりも身近にあるインド。何もかも衝撃だった。

スクショの残骸でも。ほんの一部です


  次に少し歩いたところにあるご飯屋さん、KASHI CHAT BHANDERに行った。バラナシに来る前の下調べで時間があれば行きたいと思っていたところだ。この店は店内も外も賑わっている。ドアもなく、アメ横のチョコレート叩き売りのような店の形。上手く例えられない。それで、なんとなく店内に入り、相席させてもらった。店内も店外も見渡す限りインド人。外国人観光客のかの字もないくらいローカルにも程があるローカル店だった。

  その店ではダヒプリというものを食べた。ほんのり甘く、少し辛く、パクチーも入っていて食べたことのない味だった。でも美味しかったことは確かだ。ダヒプリを食べていたら、相席していたお兄さんにCHURA MATARが美味しいよと言われた。気がついたら頼んでくれていた。いまだにこれがなんの料理なのか、名前が何なのかわかっていない。そうはいうものの、これも美味しかった。ダヒプリと謎の料理を7割程度食べた時、胃が荒ぶり始めた。美味しいが吐き気はする謎の料理。美味しいことは間違い無い、多分良くない油だったのでは。謎の料理を全て平らげ、イニエスタに似た店員さんにお会計のヒンディー語を教えてもらった。この人とは全くわからないヒンディー語で会話した。愛嬌のあるよくわからないおじさんだった。

ダヒプリ
CHURA MATAR、謎の料理


  ご飯もラッシーも食べて腹ごしらえはできたので、再び散歩へ。すでに体調が悪い中、ガンジスに入ってもっと体調を壊すのは勘弁なので今のところ入る予定はない。一度ホテルに戻った。荷物をドミトリーに運び込み、ロビーにいた日本人とインド人職員に18時からプージャと呼ばれる儀式が近くのガートで行われることを聞いた。18時まで時間を潰し、ガートに行ってみた。

  ガートに着くともうすでに人だかりができていた。着くまでの道にもお土産や集まった人にせびる物乞いの人も猿もたくさんいた。プージャを約30分鑑賞した。圧巻の一言ではあるが、それよりも蚊が多くて不快の気持ちが勝った。バラナシには数日滞在するので、また明日に行こうと決め、早々と切り上げた。そして宿のサンタナの自分のベットで今日の疲れを癒した。寝転んでいる間、顔の周りをコバエがブンブン音を鳴らして飛んでいたのが少し嫌だった。気にしても仕方ないので布団を被り寝ることにした。

次回、おばあちゃんの亡骸が火葬場でそのまま姿で焼かれるのを見る。日本人とたくさん話した1日です、お楽しみに!


第1弾

第2弾

第3弾(前回)

第5弾(次回)

第6弾

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