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ギリ19歳が行く、インド一人旅🇮🇳③

長くなっちゃったけど、余す事なくエピソード詰め込んでるのでぜひ最後まで読んでください!

⚪︎友達に会うと安心、警戒心も薄まる
3月6日(月)ジャイプール→ムンバイ

  朝早くに起きて、チェックアウトを済ます。昨日ケムラージと6時半にホテルの前に集合と約束をしていた。だが、そこにケムラージはいない。待っている時間はないので空港に向かうためにオートリキシャを自力で捕まえる。交渉も上手くいき、特にトラブルもなく無事空港に着く。

  インドでは空港内に入る時、身分証明書(パスポート)と飛行機のチケットを見せないといけない。これが共通したルールらしい。
  飛行機に乗りムンバイへ向かう。ムンバイは国際空港も兼ねているので綺麗で大きい。だがWi-Fiは繋がらない。電波は弱いがギリギリ繋がる位置が見つかったので、そこで市内への行き方を調べる。電車に乗ればいいらしい。ある程度情報は得られたので空港を出る。
  ニューデリーでは空港を出た瞬間に客引きに声をかけられるが、ここムンバイでは全くない。気持ちがいい。気温はかなり暑いので、これは少ししんどい。また、南国のような木々がそこら中に植っている。今までニューデリーやジャイプールなど茶色や白、単調な色が多かったが、ここムンバイは緑が映えている。一気に南国に来た気分を味わえる。

  ムンバイ空港の近くから電車が出ているらしいが見つからない。スマホも使えないので、勘で少し歩き、大きな道路に出る。するとリキシャから声をかけられる。自分に声をかけるためのリキシャの列もできる。基本的に声をかけてくるリキシャは信頼していないので断り続ける。また関心のないふりをしたので自然と離れていった。
  勘で歩き続け、目の前に3人グループが歩いていたので、とりあえずついて行ってみる。20分くらい歩き、小さいローカルなお店の前に到着。明らかに迷い込んでしまった。この場所は駅の気配もなければ、お店の周りにいた人たちに不思議そうに見られる。
  迷い込んだことを確信したので近くにいた人に市内への行き方を教えてもらった。ここで驚いたことがある。英語が聞き取れない。ムンバイはインドの南部。昨日までいたところはインドの北部。それぞれ異なった訛りで、リズムやイントネーションも違っていた。今まではヒンディー語、ムンバイではマラーティー語というそうだ。話しているうちに慣れてきて、次やるべきこともわかった。リキシャに乗って、15分くらい先の駅に行くとのこと。ちょうどリキシャもいたので乗せてもらう。
  ムンバイのリキシャは日本のタクシーと同じようにメーター制だった。今までのリキシャは乗る前に交渉をする。それが面倒だが、楽しかったことに改めて気がついた。

  駅につき、窓口でチケットを買う。10ルピー、激安だった。プラットホームには英語がほとんどない。自分がどの電車に乗ればいいのかわからないので、聞き込みをする。
  何番に乗るか、どれくらいかかるのかを教えてもらったので電車に乗るが、この電車がとてもワクワクした。まさにインドの電車というような、出入り口、ドアがあるべき場所から人が身を乗り出している。どこの車両もかなり満員で人が1人入るのもなかなか大変。まさにすし詰め、超満員だ。そんな電車に大きいカバンを持った見た目少年の自分が入る。電車に乗る方法もおもしろい。スピードが遅くなったタイミングで出入り口にある手すりを使って、掴み歩きながら乗り込む。運動神経がなかったら大変かもしれない。良いタイミングで飛び乗るようなイメージ。順番の概念がないので、乗ってくる人と降りる人がぶつかり合っている。
  そもそも、出入り口にはドアもないので、風があたる。それも自分は今、その出入り口から10センチほどの場所にいる。経験したことないので落ちそうな怖さもあるが、それよりもワクワクする気持ちの方が上回る。

インドっぽい電車🚃
ここまで怖すぎて写真撮れてない!ごめん!


  駅に着くごとに人は減っていく。停車駅を示す次は〇〇と書かれている電光掲示板が車内にあるが、これのほとんどが現地の文字で書かれている。英語が流れたとしても1秒、それも駅に着く直前。だから注意深く見るが、見落としてしまうこともよくあった。なので近くの人に自分が降りたい駅を告げ、教えてもらうことにした。数十分電車に乗っているが、車内から見える景色は都会。高層ビルが立ち並び、綺麗な道路が見える。しかし、降りようとしている駅に近づくにつれて、スラムのような街並みが徐々に増えていく。格差が顕著に表れていることを実感した。
  近くの人にもう着くよと教えてもらい、電車を降りた。車内でも外国人がいるのが珍しいのか、よく気にかけてもらった。どこにいても気にかけてくれるインドの人の優しさにはこの旅の中で何度も触れた。そして救われた。

  駅を出て、今日泊まるホテルに向かう。このホテルは友達に予約してもらったホテルだ。ホテルのロビーで少し待ち、友達と合流した。
  この友達A君とは小学校からの幼馴染で当時から仲良くしていた。小学5年生で転校した先にいた友達で、優しくでっかい愛で抱きしめてくれるような人。2ヶ月前にも同窓会で会って、たくさん話した。小学生の時の第一印象は身長が高い。当時も今も身長差がかなりある。小学生の時にはその身長差から周りの人に親子かと言われたこともあった。どうも身長差は30センチらしい。多分小学生の頃からこの身長差は変わっていないかもしれない。
  今回、彼は隣町のプネというところで海外インターンシップの活動をしていたので、自分が会いにいくことにした。大好きな友達の1人なので、ずっとこの日を楽しみにしていた。自分は1人で自由な旅をしていたので、こうして知っている人に会えることがとにかく嬉しい。そして、2人でどこかに遊びに行くことや会うことは初めてのことだった。そんな初めてをインドで。おもしろい人生だね〜。

  合流をして、ホテルに荷物を置き、電車に乗り観光地のインド門へ。ムンバイの街の中にはイギリス植民地時代の西洋建築が多く建てられているままだ。インドのはずなのにヨーロッパに来たような感覚に陥る。

ヨーロッパ風の街並み


  2人でボチボチ歩き、寄り道をしながらインド門に着く。2人でいると楽しい。だって喋り相手がいるから。1人でいたら、無の空間に喋りかけるか、犬に喋りかけるか、死んだ顔で斜め下を向きながら歩くしかないから。。

インド門
ムンバイの海


  インド門でもイケメンインド人やご家族、BTSが好きそうな人たちに写真を撮ってと声をかけられる。ひとたび写真を撮り始めると、列ができる。恥ずかしながら有名人になった気分。BTSが好きそうな人にはBTSメンバーだよともちろん言った。案の定、違う!と言われ、勝手にお決まりのくだりをした。あなたはBTSの〇〇に似ているとそれぞれ言われたが、BTSのメンバーに詳しくないので、愛想笑いをしてしまった。ごめんなさい。
BTSに詳しい人、誰に似ている教えてください!似ていると言われた方の名前を忘れました。。

この2人がBTS好きな人!
男前の青年と。
女の子と。

  お昼ご飯と休憩がてら近くのスターバックスに行った。このスターバックスの店員さんも愛想良く、めちゃくちゃサービスも良かった。とても気持ちのいい落ち着く空間だった。インドでのスタバの存在は高級店だと個人的には感じた。インドのスタバは日本と同じ価格。日本でのスタバはたまにいくほんの少し高めのカフェだと自分は捉えている。インドは物価が日本より安く、スタバは全世界ほぼ同じ価格だとすると、インドで暮らす人からすると少し背伸びした高めのカフェになる。スタバの客層もビジネスマンやおしゃれで身なりが綺麗な人が多く、比較的富裕層が利用する場所な気がする。

インドスタバ〜


  2人でゆっくり話していた時に隣にヨーロッパ系の観光客とインド人のガイドらしき人が座る。彼らからどこから来たの?や何しに来たの?と聞かれる。楽しく会話をした。今日はホーリーの前日。このホーリーには前夜祭があるらしく、これもおもしろいらしい。前夜祭は左義長、どんど焼きのようなもので中心に藁を置きそれを燃やす。そして、その間を歩き回るらしい。今回は見れなかったが、前夜祭はこんな感じらしい、、
  このヨーロッパ系の観光客はこのガイドに今日の夜案内してもらうらしく、そのついでに君たちはガイドどう?と言われた。これまではほとんど断っていたが、初めてのお祭り、初めての場所で少し不安があったので一度値段を聞いてみた。1人2500ルピー(約4000円)と言われた。あまりにも高すぎるが値下げしていいよと2人に言われたので5分の1の1人500ルピー(約800円)にしてと言った。あっさりOKをもらった。個人的に高級なお店と思っているスタバで、ヨーロッパ系の観光客と一緒におり、インド人のガイドも好青年っぽいので信じてみた。A君がWhatsApp(LINEのようなメッセージアプリ)を交換し、今日の夜に連絡をしてもらうことになった。かなり時間が経っていたので、次に行きたいところがあると告げ、店を出た。若干の怪しさを感じつつも、まあ大丈夫でしょと楽観的に思っていた。

  スタバを出て、少し歩くとそのガイドが走って追いかけてきた。歩きながらそのガイドはずっと話しかけてくる。自分よりA君が英語が得意なので受け答えをしてくれていた。ガイドはホテルはどこに泊まっているの?と聞いてきた。経験上答えたくないので、ホテルのある道路の名前、GRANT ROADだけ言い、一切ホテルの名前は教えなかった。
  ここでガイドの男が「ハッパする?」とカタコトの日本語で明らかに茶化して聞いてきた。もうこの時点で信頼、信用が地に落ちたので話す価値もない。A君に小さい声で「こりゃあかんわ。なんとかして逃げよう」と言った。その時に自分は心のシャッターを完全に閉めてしてしまったので、全てA君にこの男との会話を任せてしまった。本当にごめんなさい。
  自分は逃げる方法を考え、会話してると悟られないように腹話術で作戦をA君に伝えた。作戦は、ホテル近くの駅まで行く電車に乗り、また折り返してここに戻ってこよう。さすがに電車までは着いてこないだろうと予測してプランを立てた。駅まで歩いている途中の大きい公園でクリケットをしていた。もしガイドがいなくて2人だけならクリケットに飛び込みで参加していたような気がする。そして駅に着き、切符を買ってもらった。
  ガイドの男に明日のガイドをする前に半額の500ルピー(約800円)を渡してくれと言われたので、もちろん渡すつもりでいるが。。500ルピーか、、、この男は怪しいので、明日のガイドも必要ないし、なんとなく信用できない。ここでこの男から逃げたい。でも、簡単に500ルピーも渡したくない!!!値切るしかないか!!400ルピー、1人あたり200ルピー(約500円)で交渉してみたら、OK。思いもよらなかった。この男とたった200ルピーで縁を切れるなら全然OK、ノーダメージ。ラッキー。
  電車が発車しそうなので、慌てて飛び乗る。飛び乗ると言うよりは、飛び込む。電車は発車し、少しスピードがでていた。動き始めている電車に飛び乗るなんてはじめてのこと。身体をドアや壁にぶつけながらも2人でなんとか乗車した。ちょっと痛かった。

  僕ら2人はガイドブックに載っている"世界で1番美しく、忙しい駅"とされるチャトラパティ・シヴァージー・マハラージ・ターミナス、略してCSMTに行ってみたかった。そこまで行くのには一度戻って、タクシー等を使っていかなければならない。ということで、また駅に戻る。あのガイドの男がいないかビクビクしていたが、運良くいなかった。駅を出て、CSMTにUberタクシーを使って行きたいが、このタクシーがなかなかこない。こんなことはよくあるので、何も思わない。ペラペラ喋りながら待つ。ようやくタクシーは来た、タクシーの運転手はデレクジーターに似ていた。
  CSMTに着いたが、この駅は予想を遥かに超えて美しい。重厚な石造建築。外観は10年間行きたくてうずうずしているサグラダファミリアを自分の頭で重ねた。
  そして、人も多い。駅は阪急の大阪梅田駅の2.5倍のサイズ感で、同じような作りで、少し重苦しいような雰囲気。我ながら的確なイメージ図を書けたような気がする!

こんな感じ!伝われ!


  駅に来た目的は観光とチケットを買うこと。A君が明日プネに帰るチケットを買わないといけないので、窓口に向かう。窓口でA君が手続きしている間、自分は何もすることがない。ならば、誰かに話しかけに行こう。別の窓口で暇そうにしていたおばちゃんに話しかけたみた。
「明日はホーリーだけど、どこでやってるの?」
「あちこちでやってるよ」
「ホーリーは何時から始まるの?」
「だいたい10時くらいかな」
「ホーリーでどこか有名なスポットはある?」
「特にないかな、で、ホーリーのためにムンバイに来たの?」
「そうだよ!!」
  こんな感じでニッコニコ、最上級の笑顔で話していた。どこから来たの?やインドのどこに行ったのか聞かれた。このおばちゃんも笑顔。自分もずっと笑顔。笑顔で頬の筋肉がつりそうになったので、めちゃくちゃ笑っていたことにこの時気づいた。このおばちゃんが別のおばちゃんを連れてきて、2.3人対自分で話していた。ホーリーの情報収集もできたし、このお話をした時間もめっっちゃ楽しかった。大満足。A君の手続きも終わったので、おばちゃんズに別れを告げ、駅を出る。

  駅を出て、振り返ってみる。ライトアップされてほんとに綺麗。これまでのインド旅では考えられないくらい綺麗で美しいCSMT。今までは汚くて、壊れてる場所も多くて、暗くて、臭くて、うるさくて、砂埃が舞っていた。THEインドからヨーロッパ風インドに。手軽にヨーロッパを味わいたかったら、ぜひインドに。いや神戸でええやん。異人館でも旧居留地でも。

CSMTのライトアップ


  駅の前で写真を撮ってもらって、ホテルに帰る方法を考える。電車でも帰れるが、歩きでもいける距離。なら歩くしかない。2人でポツポツ歩き、ナイトマーケットにさしかかった。夜ご飯を食べていなかったので、ここで買おうと相談し今日の食料を探す。自分はこれまでにバナナやいろいろなものを買っていたので値下げ交渉のやり方は自分なりにある程度経験してきた。A君は未体験。なんでも挑戦、やってみよう。まずは料金の下調べを複数の露店で聞いていきたい。価格の幅を見極めて、どのくらい下げられそうかを考え、交渉してみる。この旅で1番信頼していたバナナを買い、次はA君の番。A君はマスカットを買ってみる。おおよその値段を聞いて、値下げ交渉をする。めちゃくちゃ上手くいっていた。心に余裕がある時はこの値下げ交渉は楽しい。このインド旅の間、少しずつレベルアップしていく過程が楽しさの源だった。今までいろんな場所でやってきたからこそ、知識と経験が増えてきた。それが楽しい。
  2人で協力して、バナナ、マスカット、ぶどう、いちごを買った。合計で460ルピー(約700円)。その道中でもホーリーの前夜祭の準備をしていたので、寄り道しながらホテルまで帰った。

ホーリー前夜祭の準備中


  ホテルのすぐ手前にコンビニがあった。私たちがすぐにイメージできるようなコンビニ。インドにもコンビニがあった。しかも値段もついている。水やジュースが売っているのは大体路上にある露店。このコンビニは品揃えも豊富で、ジュースはもちろんのこと、アイス、お菓子、薬などあらゆるものがあった。そこで晩御飯用の飲み物やお菓子を買った。
  ホテルまで歩いていると4人組の小学生くらいの年齢の子どもたちに声をかけられた。この子たちがかわいい。彼らから「明日のホーリー、12時くらいから一緒にやろう!」と誘われた。そんな小さな提案が心から嬉しい。それと同時にあのスタバで会った怪しいガイドはやっぱり必要なかったと改めて実感。あのガイドと別れ、ホテルまで帰ってくる間A君のスマホにずっと電話がかかっていたそうだ。

少年たち、またどこかで会おう!


  ホテルで今日の戦利品パーティー。バナナは何本食べても美味しい。文句なし。どんなものよりも信頼できるのはバナナ。ぶどう、マスカットもジューシーな味。少し水分が多いような気がするのでたくさんはいらない。けど美味しい。そして、楽しみにしていたいちご。いちごはそんなに美味しくない!甘くないが美味しいっちゃ美味しい。これらフルーツの美味しさよりも2人で戦った今日の戦利品をこうして食べられたら、どんなものでも美味しい、お腹は満たされる。

フルーツパーティー!


晩御飯も食べたので明日に備えて寝る。

⚪︎インドのお祭り、ホーリー!
3月7日(火)ムンバイ

  ホーリーは10時からと聞いたので9時には起きる。そこから準備をし、ホテルの窓から外を見る。10時になってもホーリーの気配はない。11時になってもホーリーの気配はない。痺れを切らし、ホテルを出る。荷物はロビーに預けて、スマホと少しの現金を持っていざホーリーへ。
  前に書いたようにホーリーはインドでの有名なお祭り。顔や身体に色のついた粉や水風船や水鉄砲を使って水を誰彼かまわずかけ合う。例えるとすればスプラトゥーンのような祭りだ!ホーリーがエキサイティングする、プシュカルやジャイプールといった街もあるが今回はムンバイ。楽しみだ。

  昨日の夜に出会った少年たちと約束していた待ち合わせ場所に行くが、案の定いない。そりゃお祭りに約束なんてあってないようなものだ。そんな約束なんて少年たちはテンションが上がって忘れているだろう。
  というわけで、あてもなくとりあえず音の鳴る方へ歩いてみる。地元の人は僕たちをチラチラみる。チラチラ見られるということは、話しかけていいってことだ。僕たちに興味を持ってくれているのなら、色々聞こう。このホーリーの合言葉は「ハッピーホーリー」だ。目が合った人にハッピーホーリーと言っていればなんとかなる。そして、地元の人も助けてくれる。

  そんな中で顔、身体が真っ赤なパパさん集団に声をかけられ、まずは小袋に入った袋を買う。この粉を買ったということはホーリーがスタートする。このパパさんたちに赤い粉を顔と頭に荒々しく塗りたくられる。嬉しい!ついに始まったよ、このお祭りが!この文化に、この地域の人に、インドに受け入れられたような気がする。ここからずっっっと楽しかった。街はどこもかしこも全身がカラフルな人たちで溢れている。目線の先には粉をかけあったり、水をかけあったりする人たちがたくさんいる。なんてとこにきてしまったんだ。こんな幸せなお祭りはない。

ホーリーの始まり!
(モザイクでいくでっ!)


  自分のモットーは音の鳴る方へ行くことと入れそうなお家には入ってみること、この2つだ。この街では楽団が音を鳴らし、その周りで踊っている人もいる。こんな楽しい空間はここにしかない。音の鳴る方へ、賑わってそうな場所へ行ってみる。そこで年齢は中学生くらいの男女10人以上のグループに囲まれる。リーダーらしき子がまず最初に話しかけてくれた。どこからきたの?やナルトが好きと話している間に粉を顔につけられる。ここで何人にも粉をつけられた。お返しに粉をつけ返す。もちろん、ここでは男女、年齢、国籍なんて一切関係ない。例え大人であろうが、男の子であろうが、女の子であろうが全力でお返しのハッピーホーリーをする。
  そんな感じでみんなとお話をする。スマホを取られ、インスタを開き、彼らのインスタのIDを打ち込む。英語で会話をするが、彼ら彼女たちはとても流暢な英語を使う。自分はそこまで英語が得意ではないので、会話についていくのが精一杯。精一杯どころか最後の方はついていけてなかったような気がする。A君は楽しく会話してそうだった。
  他にも、男の子と女の子がじゃれあって叩き合っていたが、この叩き方が怖い。お互いにまあまあ強めの殴り。ちびった。ただみんなは日本にも興味を持ってくれていたし、あの愛溢れたみんなに出会えてよかったなと度々思い出す。ここにずっといるわけにもいかないので、次の場所へ行くねと言い、みんなとお別れ。ありがとう。

みんなに出会えて良かった、ありがとう!


  音の鳴る方へ、賑やかな方へ行き、少し閑静な住宅街の中を通りかかる。ここのあるお家で家族規模の小さいホーリーをやっている。ここまでは地域規模のホーリーだったのでかなり盛り上がっているが、家族単位なので家の前の小さなスペースで小さく盛り上がっているようだ。さあ、これは入るしかないでしょ。ねぇ、A君。直感的にこの人たちは大丈夫だと思った。少しの相談の結果、入ることにした。
  入り口の空いている門から顔を出してハッピーホーリーと笑顔で言う。一瞬、ここにいた人たちは"ん?"と顔をしたが、すぐに笑顔になって家に招き入れてくれた。ココナッツジュースいる??と聞かれたので当然ながらYES!!!このココナッツジュースが美味しかった。少し癖はあるが、飲める味。初めて飲んだ。もう一杯いる?と聞かれたので、もう一杯ココナッツジュースを流し込んだ。もう一杯いる?と聞かれたが、流石に3杯目はいらなかった。お腹がチャポチャポ。そして、コップの底にココナッツか何かわからない、黒のツブツブがある。これが癖があって辛い。口にも残る。口の中が気持ち悪い。
  また、インドの甘いお菓子ももらった。かなりのおもてなしを受けた。嬉しかった。こうやってたくさんの人たちに優しくされる。ここまで騙されたことや色々なことがあったがこのように優しい人もいっぱいる。この回ではインドの良い面に少しでも気づいてくれたら、知ってくれたら心から嬉しいです。

お父様たちと。


  長くここにいても申し訳ないので、このお家を出る。口にココナッツの黒いツブツブがまだ残っている。道端に少しぺっとして、再び音の鳴る方へ、賑わってそうな方へ行く。ホテルから半径500m以内だが、貴重な体験、経験をたくさんさせてもらった。途中、水鉄砲で少年たちに襲われたこともあった。歩いているといつのまにかホテルに戻ってきていたので、今まで行っていなかった方角へ行ってみる。これが功を奏した。素敵な出会いが待っていた。

水で襲われた、楽しかったな



  この出会いはインド旅の中でも、鮮明に頭に残っている。路地に入ると遠くの方に子どもたちが見える。走り回ったり、水をかけたり遊んでいるのがわかる。ここに日本人2人が近づいていくと彼らの動きがピタッと止まる。初めは伺うように僕たちを見るが、今日はお祭り。ハッピーホーリー、この一言を言うだけで僕たちは仲間になる。
  少年たちに囲まれた。日本から来たよ、ホーリーのためにインドにきたよ、とたくさん話した。ある1人の少年に日本語知ってるぞ!と言われた。その言葉は「いただきます」で、日本文化を知ろうとしてくれていることが第一に嬉しかった。また、別の少年にはクリケット知ってる?と聞かれた。当然知ってるよ!と言ったら、好きな選手は誰?と聞かれた。さすがにそれはわからんよ、、、
  彼らも中学生くらいだが、明らかに自分より英語力は上回っている。流暢に英語を使いこなしている。一方、自分は会話に置いていかれる。程よく適当に相槌を打っていたら、ある子に"俺の話、理解してる?"と言われた。わかってるよ!と自分が言うと彼は"じゃあなんて言ってたか説明して"と言われた。当然ながら説明なんてできない。インドで説明してと詰め寄られる。情けなさすぎる。そこからうまく立ち回ってこの話題をスルーすることができた。心臓がきゅっとなった。ま、そんな時もあるか。
  今日はホーリーなので、粉をつけあい、水風船でも遊んだ。少し野球をかじっていたのでピンポイントにストライク水風船を投げることができる。A君に投げるふりをして他の子に当てたり、当てられたり身体や服はびしょ濡れ。楽しかった。
  突然、隣の家から大音量で音楽が流れる。この曲はホーリーの時によく流れるらしい。音楽が流れるということは、つまり踊ることを意味する。少年たちの中でもおちゃらけた子が踊り始めた。負けじと踊る。彼の踊りに対抗するためには日本の踊りで対抗するしかない。ならば、阿波踊り風でダンスバトルをする。しなやかに腕を揺らし、踊り続ける。少しずつ踊る人が増えてくる。彼らはこれが日本の踊り?と言い、マネをしてついてきてくれる。踊りを通じて心も通わせた。

みんなありがとう!


  そして、この曲の歌詞の中にジェイシリラーム、ジェイシリナーラと出てくる。これらの言葉の意味はさっぱりわからないが、数日前にジャイプールでニッキルとアノジに言わされた言葉と同じだ。自分が「ジェイシリナーラ、ジェイシリラーム」と言うと、彼らはかなり驚く。彼らの父親たちにも"この日本人こんな言葉知ってるぞ!"と言いに行っている。伏線回収した気分。謎の言葉を言わされててよかったなと。
  僕たちは住宅街のど真ん中の路地にいる。こんなに生活感が溢れ、この街に溶け込めているような気がして嬉しい。だが、さらに嬉しいことがあった。少年たちのお父さんがご飯を用意してくれた。と言うのも、僕たちが少年たちと話している間に準備をしてくださっていたらしい。少年たちと一緒に食べたのはビリヤニ。見た目からしても辛そう。だけど、美味しかった。たとえ辛くてもこんなに美味しい食べ物はない。手が汚れていても関係ない。世界で一番美味しい。そして、今まで食べた中でもトップクラスに美味しかった。ビリヤニを振る舞ってもらい、少年たちと食べるご飯は美味しい上に、最高の幸せを感じる。その街に、そこの人たちに、そこの文化に受け入れられたような気がする。この"受け入れられた"と感じることは、日本でも世界でも日常生活でも自分の存在意義を見出せるときかもしれない。それによって私たちは日々幸せを感じているのではないかと思う。このビリヤニを食べて心もお腹も満たされた。A君は2杯目を食べていた。気持ちはめちゃくちゃわかる、美味しいよね。家庭の味で本当に美味しいから。でも、めーーーちゃ辛かった。

最高のビリヤニ!ありがとう!


  ご飯を食べ終え、再びみんなで話していた。写真撮影会が始まり、お菓子を食べようということになった。お父さんがお金を出してくれて、少年たちがスナックを買いに行った。買ってきてくれたのは日本でも見かけるようなポテトチップス。これがやっぱり辛かった。カラムーチョよりももっと辛い。辛いものが好きな人からすれば美味しいと感じるだろう。自分は辛いものが本当に食べられない。辛くないのもたまにはあるのでご安心を。

お菓子とA君と少年M


  気づいたら2時間半は経っていた。1時間後にはA君はプネに戻るために電車に乗らなければいけない。なので、この辺りでお別れをすることになった。少年たちとの別れは寂しかったが、自分たちにとっても、少年たちにとっても最高で素敵な思い出になっただろう。

みんな、ほんとにありがとう!


  このホーリーというお祭りは、他の街や場所でもっと熱狂的な場所がたくさんある。EDMがかかり、みんなで踊るようなものもあれば今日のような規模は小さく、地域に密着したお祭りもある。こうして、たくさんの人の優しさに触れられたことは唯一無二の思い出になった。このインド旅を振り返った時、ふと思い出すのは優しく自分のことを、自分たちのことを受け入れてくださった人たちの顔だ。ありがとうございました。

右2人が自分のこと気に入ってくれてん!
めっちゃ嬉しかったよ、ありがとう!


  あと、もう一つ。数日前にいたジャイプールで出会った物乞いの子どもたちとここの少年たちはほぼ同い年。それも、あの英語力を見ればこの少年たちは学校に行き、英語の教育もしっかりと受けているのだろう。彼らとインスタを交換したので、学校の様子や制服を少し見ることできる。いろいろな自分の心をうごめく想いはあるが、教育の世界に飛び込もうとしている自分にとってこの経験はこれからの何かのきっかけになりそうだ。  
  そして、同時に1つの信念を持った。それは教育を受ける機会は平等にあってほしい、お金がなくても、どんな場所に住んでいても等しく教育を受けられる社会が必要だと心から感じた。少ない文字数でまとめることは難しいが、何年かけてでもこの想いを自分の言葉でまとめたい。日本に生まれ、質の高い教育を受けて15年目。全ての人に感謝をすると共に、これからは自分がどこか国のどこかの街で社会に少しでも還元したい気持ちも芽生えた。"豊かな人がいてこその豊かな地域、豊かな文化、豊かな国、豊かな世界になる"と今の自分は思う。

  では、気を取り直して。預けていた荷物を取るためにホテルに帰る途中にホーリーで汚れた身体を洗い流した。それも道にいた方にここで洗っていくか?と声をかけられた。ありがたく、家の横のパイプからドバドバ出ている水を使わせてもらった。服もびしょ濡れだったが、ムンバイの気温の暑さですぐ乾いた。

  昨日駅からホテルまで歩いた道を逆に歩いていた。道にはホーリーのカラーペイントがあちこちについている。犬もカラフルだった。だが、道に人はほとんどいない。さらに、インドなのに静かだ。どこに行ってしまったのか。そんな少し寂しげな道を2人で歩く。まさに松尾芭蕉の"おくのほそ道"の「夏草や 兵どもが 夢の跡」平泉で藤原家が栄華を極めた場所が跡形もない寂しげな風景を見て詠んだ歌だと思う。ホーリーで盛り上がってたのに、今はそんな光景もなく寂しい。そんな情景に人生の儚さ、無常観を感じる。

  駅につき、A君を見送る。たった2日間、ほんの2日間だったけど、本当に楽しかった。しかもインドで会えたことが何よりも嬉しかった。短い時間だったけどありがとう!!

お見送り、2日間ありがとう!


  さぁ、いま自分がしなければいけないことは2つ。次の街、バラナシに行くためのチケットと今日泊まるホテルだ。まずはチケット。今頭の中で決めているこれからの予定は明日の昼にムンバイからデリーまで飛行機で飛び、夜にデリーからバラナシまで夜行列車で向かう。そのためのデリーからバラナシの電車のチケットはこの駅でスムーズに取れた。次にホテルを探す。アプリを使って、1番安いホテルに歩いて向かう。このホテルまでの距離が遠かった。交通量の激しい大きな道路を自力で渡り、リキシャーに声をかけられても断りながら向かった。
  ホテルに着いた。料金が安いということはホテルなような部屋ではなく、いわゆるドミトリーというものだ。ドミトリーとは大きな部屋に2段ベッドがあり、相部屋で周りの人はもちろん知らない。今回はカーテンがあったので個室にはなっていた。そこに泊まったが案外ここが過ごしやすかった。というのも、1泊300ルピー(約500円)でカーテンの仕切り付き、シャワーもお湯が出る。言わずもがな完璧、文句なし。ここで休憩して、明日に備える。A君から今日の写真が送られてきたので、それを見ながら余韻に浸る。ああ、今日は楽しかった。

ドミトリーの個室の中
お湯が出たら大丈夫!

⚪︎移動日、また優しさに触れる
3月8日(水)ムンバイ→ニューデリー

  朝、心地よく目覚めた。今日ムンバイからニューデリーに行く飛行機は12時発だ。だから念のために8時にはホテルを出た。そして、今日はバスに乗って空港に向かうことにした。エアポートバスの料金は40ルピー(約70円)でかなり安い。バスでぼったくられることもないので安心している。このホテルから空港まではGoogleマップでは1時間らしい。果たしてそう上手く行くのだろうか。
  ホテルの最寄駅から電車に乗るが、それまでの道のりもなかなか大変だった。おそらくスラムの真横を通らなければいけなかったし、治安もあまり良くなかった。駅の表示があったとしても全てヒンディー語なので地元の人に聞くしかない。駅に着いたもののどの電車に乗ればいいか分からなくて途方に暮れる。運良く地元の高校生が来たので電車の何番乗り場かを聞けた。そこからは順調に電車に乗り、目的地のクラ・ステーションまできた。

  駅を降りると大きなバスターミナルになっているが、逆に多すぎてどこかわからない。とりあえずは自力でバス乗り場を探すが見つからない。スタッフらしき人に場所を聞いたが、あっちとしか指を差されなかったのでたらい回し状態になった。そんな時に1人のお姉さんが助けてくれた。自分が困ってあちこちに行っているのを見て、わざわざ列を離れて来てくれたらしい。嬉しかった。そのお姉さんと一緒に列に並び、バスに乗った。バスは予想通り大幅に遅れていた。ホテルを出て2時間かけてなんとか着いた。そのために早くホテルを出ていたので心配はなかった。少し焦ったけど。。

  空港に着き、チェックインカウンターに並ぶ。離陸1時間前に受付は締め切ると表示されているが、残り10分で前には30組ほど並んでいる。焦りはしたがなんとかなるだろうと楽観的に考えていた。いざ自分の番になりチェックもスムーズに済ませることができた。受付が間に合わなくて飛行機に乗れないのではと心配していたが杞憂に終わった。
  ただ、ボーディングタイムがギリギリだったのでご飯も食べられなかった。朝から何も食べていないが、そんなことはよくあるので何とも思わない。飛行機に乗り、ニューデリーへ向かう。この時も体調は悪かった。体調が悪いことが当たり前すぎて書き忘れる。ここから日本に帰るまで鼻も詰まり、においは感じない、ずっと咳をし、喉も潰れていた。前にも書いたがほぼコロナ状態。寝る時と飛行機ではマスクをつけていた。

  ニューデリーの空港に着いた。降りた場所は滑走路。そこから近くに停まっていたバスに乗るが、滑走路を走るのはワクワクする。まだ少年心を忘れていない。前回は夜中にUberタクシーだったが、今回は地下鉄を使って市街地へ行く。そのためにはあの鬱陶しくて面倒な客引きを乗り越えなければいけない。彼らのやり方はわかっている。表情を作り、空港を出る。地下鉄駅までの道のりを頭で線を引き、前を見て歩く。そして地下鉄駅に着いた。誰にも声をかけられなかった。それはそれで寂しい。声かけてよ。ちょっと楽しみにしてたんよ。まあ、何もないのが1番。旅に慣れた顔つきをしていたとポジティブに捉え地下鉄に乗る。リキシャやタクシーよりもはるかに安いので、日中は地下鉄を使ったほうが良い。

  20分ほど地下鉄に乗り、市街地まで出て来た。時刻は15時、お腹が減った。今日何も食べていない。ニューデリー駅の目の前の小さなレストランでサンドイッチとラッシーを頼んだ。どちらもおいしかった。辛くないので。腹ごしらえをしたが、乗る予定の夜行列車まであと4時間はある。できるだけレストランで時間が過ぎるのを待った。この時間もWi-Fiがないのでスマホで調べることも連絡を取ることもできない。だからWi-Fiをもらおうと考え、駅の中にある外国人専用のラウンジに行った。そこで悲しそうで助けてあげたくなるような猫みたいな声でWi-Fiを貸してほしいとお願いした。案外すんなりWi-Fiをもらえた。

  ニューデリーの駅はやっぱり嫌!変な客引き多いし、"青いペン"を持ったおじさんになんか言われるし、チケットはあっちや!って言うし。めんどくさい!もう一生行かんからな!ニューデリーの駅には!!ほんまに、、なんやねん!!!

電光掲示板、12562の電車に乗ったよ
この辺の客引き鬱陶しい!!


  発車予定時刻は21時で、暇を持て余していたので40分前の20時20分にはプラットホームに降りていた。そこの小さな段差に座り、電車が来るのを待つ。線路では野良犬が駆け回り、ふくよかなネズミが走り回っている。もう見慣れた。何も驚くことはない、ただネズミを見つめる。座って待っているその場所もおそらく汚いが、慣れてしまったので何も思わない。ただひたすら待つ。待っている間もお金をくれと老婆や老爺にねだられる。今回は断った。

こんな感じやで!
待ち時間はネズミを目で追いかける


  そして21時になった。電車は来ない。遅れることなんて予想通り、気長に待つ。20分後に夜行列車は来た。その電車に乗り、自分の席を探し、チケットと照らし合わせそこに座った。対面の座席でそれぞれ3人ずつ座れる仕様になっている。向かい合った座席で自分は3段あるベットの1番下、最上段には青年、向かい合った座席には父、母、娘の3人家族と芸人の有吉に似た青年だった。
  このご家族と有吉似の青年との思い出はこの旅の中での大好きなエピソードのひとつ。では、次回も楽しみに。


次回、夜行電車でたくさんの優しさに触れる。ガンジス川に行く。の二本立てです!



第1弾

第2弾(前回)

第4弾(次回)

第5弾

第6弾

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