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自分のボンネットを開ける

「どうせ誰も見てないから好きに書いてやろう。」

と思って、数日前に初めてnoteを書いてみました。しかし、早くも数人の人に読んでもらっていて驚きました。人に読んでもらえてるうちに、自分が協力隊の受験を踏み切った時の心境を記しておこうと思います。

現在、僕は子どもの頃からなりたかった教員になり、働いて数年が経ちます。

多分、世間では珍しく?子どもの頃からの夢を真っすぐ叶えた人間です。しかし、子どもの頃からの夢を叶えることができて、めでたしめでたしというわけにはいきませんでした。


子どもの頃からの夢であった教員として、
働きはじめて2年、3年…
と年を重ねていくごとに自分の中で


「あれ??」


という違和感を覚え始めました。
最近その違和感をなんとか言葉にできるようになってきたので、正直に記しておきます。



違和感の正体は、

「今後の自分の姿について」

でした。


数年教員として働き、気づいたことがあります。

それは、自分は教員として「研究者」のように授業や教育というものを極めようというタイプではない。
かといって、子どもの頃に思い描いていたような、子ども思いの「熱血教師」になれるかと言われるとそこまでの情熱は持ち合わせていない。
それなら「一公務員」と割り切って、定時になれば即帰宅し自分の趣味や家族のために時間を使うような人間というわけでもない。



自分で書いていても虚しくて、情けないのですがこれが本音です。


教員として「これからだ!」という時期に、
自分の「これから」について見失ってしまった感覚がありました。
自分としては、特別手を抜いて働いているわけではないのですが、子どもの頃に思い描いていたような熱量でこの仕事に取り組めていないことに悔しさや虚しさのようなものを現在も感じています。(これは多分まだうまく言葉にできないところです。)
 さらに、いわゆる教育困難校で日々子どもと真剣に向き合っている友達や、4年働いてこの仕事にやりがいを見つけて、楽しんで担任をしている友達をみると、「自分はこれでいいのか?」と、モヤモヤが大きくなる毎日です。


教員という仕事は世間的に色々言われていますが、僕の場合は外的要因ではなく、自分の内的要因に原因があります。

 僕はこの仕事が嫌いなわけではなく、転職したいかと言われるとこの仕事よりもやりがいがあり、良い仕事が見つかる気はあまりしないです。さらに付け加えると、もし転職した場合、今より多少給料上がったり、多少待遇の良い仕事に就けると思います。でも、この職業は今の自分の能力で就くことができる、ほぼMaxギリギリの仕事だと思っています。

かなり、端的に言えば

「色々思うところはあるし、モヤモヤはあるけど心の底から教員を辞めたいわけではない。」

というのが本音です。


うーん…。


ここまで書くのに3日くらいかけたのですが、自分の文章力ではこれが限界です。僕は大学で心理学を専攻していたのですが、人間って本気で悩んでいるときって悩みをスラスラ言葉にできないらしいです。
だから僕はこの違和感に本気で悩んでいるんだと思います。




そこでやっと出てくるのですが、この悩んでいる状況において

「今の仕事から一旦距離を置いてみよう。」

「JICA海外協力隊に派遣されることで、自分の人生が良い方向に進めば」

という考えが、JICA海外協力隊を受験する決定打となりました。
(そもそも協力隊に興味をもち、受験しようと思った元々の根っこのしっかりした志望動機は別にあるのですが、その話はまた。)


そして現在、協力隊に合格し、自分の人生においてものすごい機会を得たと感じています。(語彙力…)
 

また、自分の


「これから」


の人生が協力隊に合格したことで、少しでも良い方向に進めばという期待も感じています。





ラストになって
「自分語りをしすぎた…。」
と思いますが、これがnoteを書く本来の目的のひとつなので、後悔はしないことにします。




自分の知り合いが読むころには、僕はアフリカなので何を言われても
ノーダメージ!なはず…。




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