いいことを 探して気付く それってさ どうしていいの? 誰のためなの?

 毎日の終わりに抱き枕の豆柴くんと会話する日々を過ごしながら、ネット上で「いいこと日記」という記事を見つけた。どうしても、ないものを探してネガティブな気持ちになってしまいがちだけど、「今、ここにあるもの」を感じ「いいこと」を探していると、考え方が広がりポジティブに気付けるというような内容だった(出典元をメモるの忘れてた…)。私もやってみようと思い、まずは3つのいいことを書き留め、寝る前に豆柴くんに喋らせ、よかったね!と声をかけるようになった。
 そうすると「いいこと」の内容が、「〇〇できた」という項目がほとんどだった。もちろん出来なかったことが出来たのだからいいことではあるのだけれど、それってなんでいいこと?と思った。ああ、そうか、勉強をすることでしか、仕事で成果を上げることでしか自分の価値を認められない、そんな私の思考のクセなのだなと気付く。それで喜ぶのは誰なんだ?そんな価値観の私の親でしょう。親にとっての「いいこと」じゃん。私はそれで嬉しいのか?自分軸で生きてこなかった他人軸で生きる私ってこういうことかと思う。
 まあせっかくいいことって思ったのだから「よかったね。よしよし。」ここまではいいとしよう。次に、「〇〇できて〜〜がいいと思った。」みたいに、できたことからもたらされた、若しくはもたらせられるであろうことはなんだろうな?と考えるようになった。例えば、「重い腰を上げて役所に手続きに行った。行けてよかった。手続きに行けたことでこれからの生活に少し光が見えた。その次に行うべきことが具体的に見えてきてよかった。」というようなこと。そうすると、その「いいこと」は自分にとっての「いいこと」につながるってこと。

 いいことは
 まずは私が
 喜んで
 そして、これから
 そして、貴方に

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