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イボガ マイクロドージング体験編 8~9.5日

この記事は、イボガという植物とシャーマニズムについて、これから触れる人のために書いていますが、体験者としての記録であるため、正確性に欠ける部分が見られるかと思いますので、正確な内容が知りたい方は、Japan Iboga Center(http://www.iboga.jp/)へアクセスしてください。

マイクロドージング開始 8日目

アルパカの絵のシュールな感じが気に入り、前回に引き続き、採用。この絵、いいなぁ。

2022年12月9日(金) 昨晩、半量。今朝で半量。
やっぱり半量にすると夢は見るけど、朝には忘れてしまうのかな。何か見てるんだが全く思い出せない。たぶん、脳内で整理がついたことなんだろう。

今日は、午前11時頃、ちょうど摂取から4時間のピーク時間くらいに、「それはあなたの思い込みです」と言われて、言ってる理屈は頭では分かるけど、「そうは言っても、あれこれ・・・」と、心情的には全然納得できずに、頭のおしゃべりが次々と反論を始めるという出来事があった。

その後、もやもやを残しながら、あるネット記事が目に留まり、会社でDXを推進しようとすると、効率化して仕事が楽になるという正論をいくら伝えても、伝えれば伝えるほど激しい抵抗に合うという記事が目に留まった。抵抗勢力の人たちは、自分の環境を変えたくないから言い訳しているだけで、それをもっともらしく口にしているだけだ(記事では、先代の想いを蔑ろにするのか・・・みたいな)という落ち。
イボガの精霊の働きを信じて、少なくない金銭を支払って、日々ディエタをして、好きな珈琲(カフェイン)も断ち、アルコールも控え(忘年会だけは飲んじゃうけど)、毎日自分と向き合って自己変革を試みようとしているにも関わらず、抵抗勢力(エゴ)が激しく反発する。
これもシンクロニシティ。

落ち込んだり、悔しくなったりする気持ちから逃れたくて、情報を遮断し他人からも距離を置くことがあります。自分を守りたくてしていること、してきたことです。
ふとあるLINEグループの投稿で、この文面が目についた。これは自分もよくやってしまう。話がしたくなくなると距離をとる傾向がある。
これもシンクロニシティ

まだ解決できてないので、これは解決すべきクエスト。
何故、その思い込みを採用しているでしょうか、私は。
その思い込みを採用していることで、自分の何を守っているのでしょうか。
思い込みを否定されることは、自分の弱さの何が否定されるのでしょうか。
夜に、瞑想をしたり、自己の思い込みと向き合って、まだクリアはしてないけれど、自分を守ってる殻の存在を感じた。
自分と真剣に向き合う時間をとると、自分がいかに無駄な鎧(概念・思い込み)をまとって生きているかを感じて、他人にも、自分にも申し訳ない気持ちが湧いてくる。

それとは別件のお話。
昔、好きだった子が、幼馴染の年下の彼に猛アタックされて結婚して、遠くに引っ越した。その子とは、今は、もう全然お会いすることは無くなったのだけれど、待ち望んでいた赤ちゃんを授かることができたという話を、昨日偶然に耳にした。
あの子には幸せでいて欲しいなという気持ちになっていたら、スマホで読んでいた漫画のストーリーが、何故か、幼馴染の年下の彼に猛アタックされて結婚して幸せになりましたーというストーリーだった。
シンクロしているはずだから、彼女はきっと今幸せなんだろうな。
これもささやかなシンクロニシティ。

そんなことを思っていたら
私は幸せでなくても、あの人には幸せでいて欲しい。
私は幸せでなくても、あの子には幸せでいて欲しい。
という感覚が、昔からあることに気が付いた。
「私は幸せでなくても」の枕詞が不要。
ただただ「あの人には、あの子には、幸せでいて欲しい」だけで良いのだ。
自己犠牲は決して美しいものではなく、自己虐待に過ぎない認識を書き換える必要がある。「私は幸せでなくても」という枕詞は、「自分さえ我慢すれば」という思考につながり、我慢しているから、病気にもなる。
何故、自分は、「自分さえ犠牲になれば」という自己虐待の思い込みを採用しているのだろうか。
これもクエストだな。

マイクロドージングを昼に意識を持ってくるようになったためなのか、これも課題(思い込み)だなという点が、どんどん出てくる。追いついていないけれど、一つ一つ、イボガの精霊の働きを信じて、向き合わねば。

マイクロドージング開始 9日目

2022年12月10日
昨晩は、端数を摂取。
今晩は忘年会があるので、朝の摂取は無し。明日はどうするかな。

夢も覚えていないし、朝からの出来事も特筆すべきことは無い。
特筆すべきことが無い(シンクロニシティが目に入らない)ということは、昨日のことに向き合う時間ということなのだと思う。

センターと相談すると、反発する、そこをどんどん遡っていってくださいとのこと。彼女のこと、好きだった子の事と、異性との関係性にクエストがあると思うので、異性親(母親)との関係性を軸に、自己探求を深めてくださいとのアドバイス。
病気という状況は合ったにせよ、この歳まで結婚してないわけだから、問題を抱えているんだろうな・・・と思う。結婚してたら解決してるわけではないけれど、自分の場合は、解決がされてないからなんだろうなとは感じた。

昨日の忘年会は、一つの節目のタイミングだったので、昔(約10年前)の自分がいかに生意気だったのかを振り返る機会となった。昔の自分を振り返り、ただ、若かったのだと言えばそうなのだけれど、自分の論理を押し通そうとしていた昔の自分を振り返り、お詫びをさせていただいた。

マイクロドージング開始 9.5日目

2022年12月11日。摂取せず。
昨日は、心の汚れを洗い流す浄化の1日だった。
昨晩の忘年会からの気づきの流れで、自分が理論武装によって身にまとう鎧を抱えて生きてきて、まず己の論理が先に出る心の傲慢さを反省する1日だった。
愛は「存在そのものを受容すること」だと思うのだけれど、この傲慢な自分自身が受け入れられて生きてきたことに対する申し訳なさとありがたい思いが溢れてきて、次から次へと涙が溢れ出た。

先日、感謝とは、お礼ではない。溢れ出るものという言葉を聞いた。
感謝とは、自分の至らなさに申し訳ない気持ちが溢れてきて、謝るしかない。そして、自分の至らなさを理解したからこそ、自分の存在が許されていることに対して、自分の周りすべてに、ありがとう、の気持ちが溢れてくることではないかなと思う。
(一般的な解釈ではなく個人の解釈になりますが)感謝=謝意が感極まるという略語であって、ありがとうの意味とごめんなさいの2つの意味を、心から感じることなのかな。
これは意図して起こすことはできず、自分の鎧がほどけた時に、起こる、もしくは、湧いてくるという表現の方が適当な気がする。

昨日の浄化で、今日は少し素直な気持ちになれている気がする。
汚れを落としただけで、汚れをつける考え・思い込みは、まだまだ解けたわけではないので内観して、内省をして、余分な思い込みをそぎ落としていこう。

ここで一旦、公開。
3000文字くらいでまとまるのが、スクロール量的に読みやすいかなと感じる。

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