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『ムーンライト』映画レビュー

アカデミー賞作品賞に輝いた「ムーンライト」を家で鑑賞。
観終わった感想として「面白かった」と一言でまとめられるような作品ではないことはわかった。
何かを吐き出さないとすっきりしないが、社会的テーマも広く扱われており容易く整理できない作品であった。

今から観終わった後のもやもやを整理していこうと思う。

映画を見終わってすぐアウトプットが出来ればいいのだが、この作品に関してはすぐにアウトプットするよりも時間をおいて作品を考え直しながら深く味わった方がいいアウトプットができると思った。(私の理解力、言語化能力は置いといて...)

まずこのもやもやする原因は、特に大きい展開がなければハッピーエンドで終わることもなく「あれ、終わり?」という半端な形で終了してしまったことによるものだ。心が揺れ動くというよりも、静かに主人公の心情を追っていくという楽しみ方なのだろう。

また、マイアミの貧困地域が話の舞台であり、人種問題に関して憶測の知識で見ていたこと、さらに主人公がゲイであることなどマイノリティに焦点があたっていたために、日本人の環境からするとかなり自分事化するのが難しかったためだと思われる。

ここまでの内容で取り扱われるテーマを単語で列挙してみる。

人種、スラム街、いじめ、暴力、ドラッグ、LGBT、純愛

挙げてみると遠いどこかの国で、自分とは異なる人種で関係ない話なんだろうなとどこか他人事で済ましてしまい、全く外の世界に関して無知で目を向けようともしていなかったことを反省した。

前提を整理したうえでタイトルの「ムーンライト」がどのような意味を成しているのかに触れてみたい。
作中では、シャロンの父親代わりであったフアンの言葉で冒頭に述べられている。
「黒人の子は月明りで青くなる」

フアンは作中に亡くなっており、亡くなった背景もなければ死因もわからない。シャロンの理解者として傍にいた人物が急にいなくなり衝撃を受けたとともに展開がさらに読めなくなっていった。

作品を一通り見終わった後、ムーンライトとは何を表わしているのかを考察すると、外的環境で人がどれほど影響を受け、運命を変え得ていくのか(ライト)を意味していたのだと思う。

作品では母親が身体を売り、ドラッグに手を染めているだけでなく、心を開いていたフアンが亡くなり、自分がゲイであることをからかわれいじめに遭い、というかなり入り乱れた中で自己否定にはしるシャロンの気持ちがリアルで生々しいくらいに描かれていた。

自分が何者なのかわからないという時期は誰しもが通る道だ。アイデンティティを形成していくのはかなり外的要因が影響する。それを自分がどれくらい需要できるか、自分って何だろうという答えのない問いを探し求めるヒューマン物語だった。

自分を受け入れるためには、自分が育ってきた環境や経験を含め大丈夫だと思えることだと思う。
作中でもフアンは「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな。」と子供の頃のシャロンに伝えている。

どれだけ社会に歪んだ環境にいて、つらい経験をしたとしても自分が正解だと思えばそれでいいのだ。
幸せの尺度は常に自分が持っていて、他人にどう思われようと個人が幸せであればそれ越したことはないのだ。

色々もやもやしたものを吐き出しきった。
映画を味わうってこういうことなのかな?

万人に受ける作品ではないが、芸術的で綺麗なストーリーを好む人にとってはかなりお勧めできる物語であった。
泣ける映画=良い映画と思われがちだが、そうではないと気づかされ、私の感性が刺激された映画であった。

あらすじや内容は割愛させていただくので、気になる人はぜひ見てみてほしい。

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