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あなたのクラスの補欠には、もう入りたくない…

小学校の先生で、2児の父、雄剛です。

「あなたのクラス補欠には、もう入りたくない!」

こう言われたのは、二度目です…。

頑張れば頑張るほど、大変なクラスを任されることに…。そんな中でも、なんとか試行錯誤しながら学級作りを進めています。ただ、その過程では出張があったり、家庭の事情があったりで補欠をお願いすることがあります。自分の裁量ではなんとかできる段階でも、替わりの先生によっては、うまくいかないことってありますよね。そんな時に言われた一言です。

「学校として見守る」ってなんだろう?

昨年度末、今の学年を引き受ける時に「学校としてできる限りサポートするからお願いできないか…」という打診を受けました。「学校として見守る」って何かを考えてみました。

①遠くから見てるだけ…
とにかく遠くから「大変そうだなぁ」と見てるだけ。見てはいるけど、何もないしない。「あなたのクラスの補欠には、もう入りたくない…」という人はここですよね。補欠に入って、当事者として関わることで大変さを実感し、もう関わりたくないと思う…。

②少し近くで見て、できていないところをとにかく指摘する…
①よりは、なんとかしようという気持ちはあるけれども、するのは指摘のみ。それは、遠くから見ている人はなんとでも言えるけど…

③がんがんクラスに入って、なんとかしようと奔走してくれる…
これは助かるけれども、担任とやりたいこと、進みたい方向性が違って「ん〜…」と思うことも。

④付かず離れずで見守って、成長を認めてくれる。必要な支援を提案し、話し合って一緒に戦ってくれる!

どの「見守り」が担任として有り難いかは、言うまでもないですよね。でも、本当にこういう「見守り」ができている学校がどれくらいあるでしょうか?適切に指示を出して見守り体制を学校として組んでいるところがどれくらいあるでしょうか?学校全体に人が足りていなくて、仕方ない部分もあるのもわかります。でも、ここをしっかりしないと、大変なクラスを引き受ける人っていなくなりますよね。実際、大変なクラスを引き受けたくなくて、異動してくる先生に押し付けたり、臨採さんに押し付けたり、場合によっては再任用の先生に任せざるをえなかったり…というケースもよく聞きます。

学校として「見守る体制」…大事です。これは、私が甘えているだけなんでしょうか?なんか今日は愚痴っぽくなってしまいました。すみません。

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