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ヒナドレミのコーヒーブレイク     自由と束縛

 私は、現在 六畳一間のボロアパートに住んでいる。束縛されるのが大嫌いな私は、何一つ不自由のない贅沢な暮らしよりは、狭くて多少汚くても 自由な暮らしの方が断然いいと思っている。

 この 汗のしみ込んだせんべい布団やタバコの焼け焦げのある畳、タバコのヤニで茶色くなった壁、その全てに 今では愛着を感じる。『住めば都』とはこのことだろうか。負け惜しみなどではなく、心からそう思う。

 そして一ヶ月に一度だけ、少し贅沢をするのが、私の楽しみでもある。贅沢と言っても、普通の人からすれば、贅沢でも何でもないに違いない。いつもは水道水を飲んでいるが、その日だけは缶ビールを飲む。そして弁当も のり弁から唐揚げ弁当に変える。さらにコンビニのスイーツをつける。そんなことに ささやかな幸せすら感じる。その日が待ち遠しくてたまらない。

 その日は、バイトの給料日である25日だ。(こんなに些細なことで幸せを感じるなんて、オレは何てちっぽけな人間なんだ)と思ったが、それでも構わなかった。

 それからしばらくして、私に彼女ができた。だが、彼女は私を束縛した。だから私は彼女と別れた。分かりきったことだった。異性と付き合うと、多少なりともお互いを束縛し合わなければいられないのか?それとも、愛していれば、束縛したいと思うのか?私にはそれが疑問だった。自由な愛もあるのではないか、と思う。

 そう考えているうちは、恋愛も出来ないかもしれない。あるいは、私と同じ考えの彼女を見つけない限りは・・・。

 だが私は、未だに同じ考えの彼女を見つけられずにいる。生涯独身でいられるほど、私は強くない。ここら辺で妥協しようか、ある時私はそう思った。そうかと言って、前のような束縛する彼女は もう二度とゴメンだった。ただ幾らかの自由が欲しいだけだ。

 1年が経ち、私に新しい彼女ができた。今度の彼女は、自分でも自由が好きだと言っていて、上手くいきそうだった。何ヶ月か付き合ってみたが、かなり自由度が高い彼女で(このオレが自由だと思うってことは、相当自由な女性だな)と思うほどだった。時には 私が羨ましくなるほど、彼女は自由に振舞った。そして生まれて初めて(彼女を束縛したい!)と思い、実際に彼女を束縛した。そしてその結果、彼女は私から逃げて行った。

 その時になって初めて、私は束縛する側の人間の気持ちが分かった気がした。(前の彼女はこんな気持ちでオレを束縛したのか)と。              
                                完

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