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なべちゃん、介護士辞めるってよ

どうもこんにちは。なべちゃんです。

タイトルの通り介護福祉士をやめて全く別の仕事に就職して行きます。
そこでこの際、介護福祉士としての自分に人生がどうだったのかを向き合い切りたいと思います。

この記事の目的は3つです。
1整理(自分がどういう経緯で今の人生を形成したのか?)
2自分を変える(自分の人生を生きれていない→自分で舵をとる人生へ)
3感謝(僕を変えてくれた人たちのこと)


社会人になって介護をしたことで大きく自分の人生が変わったと思っています。それはよくも悪くも

転職するにあたり介護という仕事といいお別れをして新たな人生を切り開いていきたいと思っています。


「運がいいね」
とよく言われます。
「運転者」
という小説をご存知でしょうか?


に出てくる言葉を引用すると
運はいい、悪いではなく
使うか貯めるかだそうです。
もしかしたら介護福祉士として働くことで運が貯まっていたのかもしれないなんて思うこの頃です。


社長に言われたことが引っかかる

2024年2月
社長に告白しました。
「今年、転職を考えています。」
辞職する旨を伝えました。

「そうか、介護に魅力を感じなかったか」

という言葉が返ってきました。
魅力を感じなかったというか
それで全てまとめてしまわれるのは何か違うと思いました。
そう思ったのは
自分自身に向き合ってじっくりゆっくり言葉を紡いでいきたいと思ったからだと思います。

本記事は介護福祉士として思うことを洗いざらい吐き出そうと思い立ち
この機会に1万文字書いてやると意気込んでスタートした記事です。
ぜひお付き合いください。

整理

介護福祉士をしていてよかったと思っているか?

もちろんです。
介護をしていなかったら夢というものを考えなかったと思います。

他にも感受性を養われたなと思います。

最近こんなことを思うんです。

マルチバースの自分

スパイダーマンはすごいですよね。

ノーウェイホーム
そして、スパイダーバース

マルチバースの世界に突入しました。
これは本当に面白くて
自分も同じように
別世界の自分はどんな暮らしをしているのだろうか
去年は特に考えていました。
きっと、大きく変わっていたとしても肝心なところは変わっていないんだろうなと思っていました。

最近、改めてこのことを考えることがありました。

そしたらすごいことに気がついたんです。

始まりはもしも結婚してこどもができていなかったらというものでした。

あっ!

自分が存在するためには
まずは親が同じように同じ人と結婚して僕を産んでくれないと
僕が存在できないんだ
て思ったんです。
それがどんな果てしないことなのか想像しました。
もう考えるのめんどくさくなって

マルチバースなんてないんだ
って思ってます

始まりはどこか

僕という存在は僕が生まれた時に始まったのか。
でもよくよく考えたらそうじゃないんです。
僕はこの瞬間、この時間でこの場所で生まれます。
って生まれていません。
始まりはもっと手前です。
親が出会うところから
でももっというと親が存在していないと僕が生まれませんから
という感じでどんどん遡り合戦に突入して行きます。
何が言いたいかというと
全てがシームレスにつながっている。
ということです。
きっとあの瞬間、この場所で、あの言葉を言わないとこの世界にならなかったことがいくつもあったことだと思います。

ということでまずは介護福祉士になるきっかけについて語っていきます。

介護福祉士としての歴史

そもそもなぜ介護士になったのか

どうして介護士に働きたいと思えないのに働くようになったのか
自分が思っていることを整理して伝えて行きます。

今思えば専門学校に行くところからはじまっていました。
高校時代、本当は大学にいきたかったのですが、学力の面。そして自分から挑戦せずに諦めてしまいました。
高知県立大学の社会福祉学部にいきたいと思っていました。
普通に受験していくことはできないと思って推薦枠で行こうと思っていました。
でも、2枠ある中で3人いました。
僕含め3人。
志望動機なんてものはオープンキャンパスの時先輩たちが面白そうだったから
そんなものしかありませんでした。
僕はこの絶対誰かが落ちる気持ち悪い状況に耐えられず
挑戦せずに諦めてしまいました。
今振り返ると最後までやり切ればよかったと思います。

そしてどうしたいかわからないまま時間が過ぎて先生に案内されて
この学校はどう
という紹介から始まりました。
それが介護の専門学校でした。
そして、
専門学校のオープンキャンパスに行き、近くにデイサービスがあって
志望動機作りに行った思い出があります。
そして、とってつけた志望動機もできました。
こういう言葉はよくないと思っていましたが、その時の自分は物事を前に進めるのに必死で、よくわからずとりあえず自分のできること、やらないといけないことをやっていました。笑

ちょっと話は脱線しますが、18歳ごろからなりたい職業、ビジョンがある人って本当にすごいと思っていました。羨ましいとも思っていました。
だから余計に息苦しかったです。
勉強をバリバリできる人、受験に向けて必死になって向き合っている人たちのこと
自分とは違う世界に生きている人たちと思っていました。

そうして専門学校に入学することになります。
そして、合格します。

自分にとって驚きだったのは
制服がなかったこと
それによってこれまで制服で隠していた自分がちょっとずつ
自己を他人に開示していく自分がいました。

そして新しい寮生活はとても刺激的でした。
学校が終わった後に友達と会うことができるんです。
そして、すぐに学校にも行ける
通学時間は5分。
これはマジで最高でした。
寮は自分にとって神でした。

そもそも寮生活するようになったのは
一人暮らしがしたかったんです。
そして、家賃も安かったということで。
自分が払っていくこともしなかったが、
今思えば親に大感謝しないといけないことなんです
ありがとう
親父

専門学校を辞めることはしなかった。

介護福祉士になりたいと思っていなかったのに、辞めたいと思うことはなかったのか?と思うのですが

専門学生の頃は学生時代で一番楽しかったです。


高校生の頃が一番辛かった。
自分の存在がよく分からず
自分を消してしまいたい。消えてしまいたい
と何度も思っていたところがありました。

専門学校の思い出

面白かったですね。
まずは本当に友達と仲良くなれたことです。
特にYくんにはとてもお世話になりました。
学校が終わった後に時間を合わせて寮で一緒にゲームしていました。
そして、ご飯も作ってくれたりして最高でした。
本当に感謝です。

奥さんとの出会い

専門学校に行ってよかったと思います。
それは奥さんに出会えたことです。
これは本当にそう思っていて、自分に彼女ができてそして結婚して子どもができるなんて夢にも思っていませんでした。


介護福祉士の仕事の向き合い方

学生の頃

とにかく働ければいいと思っていました。
働ければ一人で生きていける

自由になりたかったんです。
社会人になって自分で働いて給料を稼げば自由になれると思っていた。

学生生活は楽しかったです。

正直、自分が介護をしているところはイメージできていませんでした。
それよりかは与えられた学びを学んでいました。
深く考えていませんでした。
今考えたら実習ですら一定期間でしたから全てお遊びみたいな感覚でした。

5年働いてきたことを振り返る

〜入職当時〜

とにかく仕事が嫌でした。
でもどうすればいいかわかりませんでした。
今のままではいけないということはわかっていました。

今振り返ってみると
今までに仕事をしたことがなかった。アルバイトとか
人間関係に苦しんでもいました。

大人に憧れることができなかった
自分はどうすればいいのかわからなかった
この苦しみが一生続いていくのか
その想像した苦しみにも絶望

介護の仕事

・専門学校との違い
実際と理想
学校で学んだことはあくまで理想
実際の現場では
そして自分自身の気持ちも理想をできない自分
その自分にも絶望していました。


苦しい中での唯一、楽しかった思い出
専門学校で卒業ムービーを作成したこと。

何がしたかったのか

何か自分自身を変えないといけないという危機感、切迫感がありました。
とにかく、僕ができること
僕が思うワクワクすることをやってみる
という感じで専門学校の先生を巻き込んでやらせてもらったという感じです。

無駄じゃなかったこと
あの作成したムービーがあったからこそGIFT代表に示すことができた。

僕がイメージした最低なイメージ
夜のイメージ
海に行きたい
そして、自分を消し去りたいというイメージが常にありました。

もっと自分自身を変えないといけないと思い
休みの日に思い立って子ども食堂に見学を考えました。
見学する子ども食堂を探していると
ある名前にひっかりました。
高校時代に面識がある方で、外部講師として一度だけお話ししたことがあった人なんですが、とても印象的で面白い大人だなというのが記憶として残っていました。

そんな中でNPO法人GIFT代表に出逢います。

NPO法人GIFT代表との出会い

きっかけは子ども食堂の見学です。
このままでは病んでしまう
だけど何をしたらいいかわからない
でもとにかく行動してみようと思って
気がついたら検索して高知の子ども食堂に関する様々なHPを検索していました。
するとある名前に覚えがありました。
それは高校時代、外部講師として素敵だなって思える人でした。

そして勇気を振り絞って電話

僕の方は知っているが向こうは僕のことを覚えていないと思っていた。

電話に出てくれ見学したい旨を伝える
すると僕のことを覚えてくれていた。
子ども食堂見学はコロナ蔓延のため休止中とのことでした。
しかし、話は続き
「せっかくのごえんなのでファミレスで会いましょう。」
ということでファミレスでお会いすることになりました。

そして、NPO法人代表のMさんさんにファミレスで出会うことになりました。

話の内容は
今の自分自身の状況でした。
仕事が苦しい、そんな中でもやれることがある
それをワクワクしながら伝えていました。
Mさんは可能性を殺さずじっくりゆっくり僕の話を聞いてくれました。

今覚えばコーチングでした。
できるよ
できるようにするために今何ができるかを考えさせてくれました。

この感動体験がきっかけで
夢を語る場がめちゃくちゃ大切なことを学びました。

そうして、
「夢を語ることを当たり前にする」
という自分の夢ができていきました。

「夢はあった方がいいですか?」
この質問に僕は

あった方がいいです!

そもそもなぜこの質問が生まれるのか
質問者の中で揺らいでいる
自分は夢を持っているけど、他の人に傷つけられた過去がある。
本当に正しいのだろうか。そういう気持ちがあるからこそでる質問なのかなって思います。

人それぞれ夢の定義はあると思いますが、自分自身は夢をワクワク生きるため、自由に生きるためのヒントが詰まっているものだと思っています。

人によってめっちゃ大きい夢、世界一のプレイヤー、世界平和
そして逆に小さな夢 子どもの成長を見守る 貯金 ダイエット 

僕は夢は大きいものが夢とか一番にならないと夢じゃないと思っていません。
自分が想像するとワクワクしてくるものが夢だと思っています。

だから明確じゃなくてもいいんで、これワクワクするってものがある方が楽しく生きれるから夢ってあった方がいいと思っています。


2自分を変える

これから何を変えるのか
自分の人生、自分で決める

ずっとわかりませんでした。
自分は何がしたいのか
どんな仕事をしたいのか
どう生きたいのか
働き始めたころ何もわかりませんでした。

しかし、幸運なことに自分の強み
そして広がった可能性が僕にはありました。


自分は介護福祉士として働く中でどんな可能性を広げたのか


嫌すぎて広がった可能性

今を生きることが大切と仕事が教えてくれた

だからこそ、自分のストーリーを楽しむ
それはよくも悪くも
自分にとって悪いことは必ず起きる
でもそれは自分でしか体験することのできない物語と僕は思っています。

仕事とはということが自分なりに考え、答えが出たこと

黒川さんとの出会い

僕にとってメンターの人がいます。
病院に就職して出会った人です。
その人に憧れました。
なぜ憧れたのかというと
自分の意志で動いていると思ったのです。
他の人は
当時の僕からは機械のように歯車みたいに動いているように見えていました。
使う言葉も腑に落ちない。
これが大人というものなのかと思っていました。
そんな中、2階病棟で勤務していた人が僕がいる3階病棟にきて、一緒に働くことになりました。
とてもよく気にかけてくださり、いろいろ話しかけてくれました。
その頃の自分は今の自分と比べて自信がなく、いろんなものに怯えながら働いていたと思います。
毎日、言われたこともできない感じで自信なんて一ミリもありませんでした。

介護士として誇りを持って働いていることはできませんでした。
そんな僕に
可能性を感じさせてくれました。
もっとこの人から吸収して近づいていきたいと思わせてくれました。

そして、いろんなことを教えてくれました。
自分自身からも学ぼうと努力しました。
本当に些細なことが大きくなることも学べました。
それは、利用者様の姿勢です。
長時間、同じ姿勢でいると簡単にいうと傷になります。
だから、体位変換ということをします。
この体位変換も気を使わないと体が硬直してしまいます。

体を観察するポイントを教えてくれました。
利用者様一人ひとりによって、体の違い、簡単に言ってしまえば特性が違うから、このポイントを押さえたらいいよと教えてくれました。

黒川さんと一緒じゃない時も自分なりに考えて
体位変換を工夫していました。
教えてもらったことを思い出しながら、楽な姿勢を考えるのは楽しかったです。仕事で楽しいと感じたのは初めての感覚でした。
一人だと一生気づけなかったことだと思っています。

当時勉強したこと

体の使い方。

体位変換

ベッドから車椅子移乗


今も続く黒川さんとの関わり


年に一回会う中です。笑
この前も会いました。2024年4月中旬
災害ボランティア後の報告会で
やっぱり僕にワクワクを届けてくれる素敵な方です

2年〜3年目
転職

転職した経緯としては
看護師の方に紹介してもらったことがきっかけでした。
それまではいっさい転職という思考はなかったのですが、紹介されたことにより自分の頭の中で思考が始まりました。
介護士としてもっと他のところで働いてみたいというのが正直な気持ちでした。
自分自身が介護士福祉士として向いているのか
挑戦して探ってみたいと思っていたんです。

4月末に病院を退職し、5月からデイサービスで働くことになります。

転職してどうだったか

正直、やっぱり介護士ではない
というのが正直な気持ちでした。
心で動いていない感じ
仕事だから動かないといけないという気持ちで仕事しないといけない
そう思っていました。

そんな中あることがきっかけで本当の気持ちに出会います。

それはNPO法人GIFTのキャンプイベントです。

3年〜5年
3年目の4月にNPO法人GIFTサマーキャンプイベントにカメラマンとして参加します。

GIFTがサマーキャンプを企画するのは2回目です。
一度お誘いがあったのですが、断って参加できていないところがありました。

5年働いてわかった自分の強みについて

これは奥さんに言われたことなんですが、

1カウンセラー
中傷度高いことを言語化することをよくしている

「これってさあ」

「僕はこう思う」

頼まれてもいないのによくするよね

すごいありがたいことを教えてくれました。

確かに空気というか言語化しづらい問題を
この問題が起きている背景には
こういう要素がある
というふうに言語化したがる傾向にあると思っています。

そして
それに対応した向いている職種として
1カウンセラー

2社長

3講演家

3つも提案してくれました。



人の話を聞く

まっさらにすることができる。
いい意味で興味がない
まずは聞く

話しやすいと人によく言われます

僕が持っているスーパーパワーの一つです。


僕には何ができるだろうか
一回、介護の仕事を置いておいて自分ができること
自分自身の強みはなんなのか
その強みを使って働きかけることはできないか
自分自身で考えて動くことはできないかと考えていました。

介護でできるワクワクなことはないか
自分自身でできることを考えていました。

高校時代に一緒に学んだことのある人がいました。
その人と仲良くすることが結構楽しかったです。
そこで
一緒にお弁当を食べることを目標にしていました。
まさこさんという看護師がいたことを思い出しました。今になってはいい思い出です。

コミュニケーションの仕方について

コーチングの考え
これはNPO法人GIFTの代表から教えてもらったこと。

夢を考えさせてくれる時間
自分自身もできるかもしれないと思わしてくれる人
自分自身の話をしたいと思わせてくれる人

スパイダーマンに救われたこと

映画に救われていました。
休みの日
自宅のアパート近くのTUTAYAによく言っていました。
ヒーローに救われました。
特にスパイダーマンに救われました。
こんな自分でもやれることがあるのかも知れないと思えたんです。
僕の運命を変えてくれたんです。
ありがとうございます。
スパイダーマン!

僕が好きなスパイダーマンを紹介して行きます。
以前からスパイダーマンは好きでした。
2000年
サムライミのスパイダーマンは有名でよく見ていました

でも
本当に憧れ始めたのは実は

アメイジングスパイダーマン2
です。

最初と最後のシーンに心奪われました。

最後のシーン。子ども

スパイダーバース
最後のマイルスの言葉

トム・ホランド スパイダーマン
親愛なる隣人

マーベルスパイダーマン ゲーム

スパイダーマンは僕にとってなんなのか

希望そのものです。
自分にもヒーローになれるかもしれないと思えました。
スパイダーバースは特にそう思いました。


GIFTの存在

自分にとっては自分が好きになれる場所
ここなら何かできるかもしれないと思わせてくれる自分にとっての居場所です。それは今になっても変わりません。
ここでなら自分の可能性を広げれると思います。

働く上で感じたこと

利用者の気持ちについて考えることがあります。
老いってどんな気持ちになるのだろうか?
できたことができなくなる。
仕事をしていてこんな話によくなります。

「病気になる前は、もっと自由に外へ出かけれていたのに。こんな体になってしまったから。もうダメだね」

それに対して、職員によって様々ですが、僕はこういうふうに答えています。
「できたことができなくなるのは辛いですよね」

主体性のない大人

信念の無い人はあたかも正しいことを言う

と言うのが僕の言いたいことです

その人は僕が初めて働き出した病院でも一緒に働いていました。

転職する際、その人が先にデイサービスに就職し、そのあとを追うような形で自分もデイサービスに就職しました。
病院の頃は特にそこまで違和感を感じなかったんですが、

僕は高齢者を支えて何になるんだろう

批判も覚悟で書いていく内容ではあるのですが、素直な気持ちなので語らせてください

正直なんなんだ
って思っています。
なんで若者の可能性が、そして小さい子どもの可能性が奪われるんだろうか
なぜここまで支えないといけないだろうか

と言うのも
自分は職場で厨房業務(食事の提供、食器類の洗い、片付け)

ほとんど食べずに食材を捨てている時
「なんなんだろう」
「シンプルに悲しい」
食材が無惨に死んでいくような感覚
この使われないエネルギーをただ捨てている自分にも悲しかったです

ワクワクしない大人

人間ってワクワクで生きていると僕は思うのです。
直感ですが
介護の現場はワクワクが少ないように感じます

蔓延しているコンテキストは

仕方がないという雰囲気が介護業界全体に流れているのではないかと考えています。

大きく、職員と利用者さんから出ています

職員は、言いたいことはたくさんあるけど、介護職は食いっぱぐれないから仕方なく働く

利用者さんは、本当は家で過ごしたい。でも家族には迷惑がかかる。一人で過ごすことができないから、仕方なく….

若者のワクワクがない
だからこそ、ワクワクを外に求めて動いていたのかもしれません。笑



弱い人の気持ちがわからない人

最近の学びですが
ゴールがなければ組織は分裂する
ということを学んでます。
これは実際、自分の職場に起っていることなんですよね。
自分が所属している会社は中小企業、ベンチャー企業だと思っています。
大企業のように仕組みで回っていない分、一人一人の行動がダイレクトに会社に影響します。
なので、職員一人一人の意識
”なんでこの職場で働いているのか”
という意識がとても大事に思えます。
そして
”なんでこの職場で働いているのか”
この部分を強めるのがゴール設定です。

大枠のゴール(理念)
この組織は何を前提に存在しているのか

一年後のゴール(目標)
数字的な目標
今期の売上がどれくらい

これらのゴールがあるからこそ、一人一人の職員が立ってきて、結束力と推進力が高まります。


3感謝

僕を変えてくれた人たち

介護に感謝

親友との出会いについて

もともとは僕自身が夢を語るYouTubeチャンネルを開設して、動画を撮りたい。
でも、撮る人がいないということでいろんな人に声をかけ、自分のやりたいことを自分自身が語っていたことがきっかけでした。

友達の友達が繋いでくれたのです。

高知のオーテピアの近くにあるスタバで2時間ほど話すことができました。
今振り返っても、鮮明な記憶として残っています。
とても意気投合して話していました。

そして、彼がインタビュー動画
初の人になってくれました。

こちらその動画となっております。


結婚式にも行きました。



マニュアル作成

働く最後の日をイメージしている

利用者に感謝する
直接思いを伝えたい利用者が何人かいる

Iさん
あなたがやめたら私利用しなくなると言ってくれた利用者

Yさん
なべちゃんがやめたら泣くわ と言ってくれた利用者

ある日、休みの日に約束してあったことがありました。

同僚にあんま良く無いんじゃないか
と言うことで今後会うことは無くなりましたが、自分にとって初めて仕事で感動した日でした。
今振り返るといい思い出です。
そんときは
結局、仕事という関係で繋がっているところがある。


今の職場にとても感謝していることがあります。
それは育児休暇を2ヶ月取得させてくれたことです。

コロナの影響で生まれる瞬間、立ち会うことができませんでしたが
出産の日は自分が休みの日だったので、奥さんから陣痛が来ました。
とLINEがあった時
頭をフル回転して、奥さんがいる四万十市に直行しました。
出産予定日より早く出産しました。
1週間ほど働いた後、10月から12月まで育休を取得しました。

赤ちゃんがちょっとずつ成長するのは本当に感動です。

学び

500万の価値がある。

子どもができると言うことは、他人を愛し、自分を愛せたと言うこと。

そしてこれから語っていきたいこと
・仕事を通して背中を見せたいと思ったこと

子どもが大きくなって(5歳ぐらいから)
大人を観察するぐらい成長した頃から
僕は見られる側になると思いました。
そして、大きくは仕事をどう思うかが鍵となる気がします。

僕に与えられた選択肢は大きく2つです
仕事から帰ってきて

「はあ、今日も仕事疲れた!だるい。いきたくない」
もう一つが
「今日も仕事最高に頑張った。お父さんが頑張ったからいろんなことが進んでよかった。人の役に立つ仕事っていいな」

僕は後者として生きていきたいと思っています。

そのために今何ができるか

今まで培ったスキルを導入して仕事に影響させる。


最後に


今思えば人生
難しいようで簡単です。
要するに全部自分次第なのです。
何を信じるのか。
どういう人生にするのか
他人が持っているのではなく、自分が持っているのです。
そして、選択によってどのようにもなるのです。
やってやります。
最高の人生に


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