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寂しがり屋の人見知り。人生振り返って今年学びたいことを考える。


私は、生き方を学びたい。


【息切れ】

「やっとここまできた」
物心ついた頃から常にそう思っていた。

真冬の持久走。
乾いた空気がツンッと勢いよく鼻から入る。
水分を奪いながら喉を伝い、冷たく肺を満たす。
荒い呼吸で喉が閉じそうな私は諦める理由ばかり考えていた。

ずっと感じていた息苦しさは正にそれで、何故かはずっと分からなかった。

【違和感】

私のこれまでには、常に違和感がつきまとっていた。

・窓ぎわのトットちゃん

小学校2年生。
私は、校庭の枯れ葉がひらひらと風に揺れる様子に夢中になっていた。

「あなたトットちゃんみたいね!」
怒鳴る先生の声で我に返る。

先生には“ちょうど”だったのか、そこは窓ぎわの席だった。

先生には分からない。
小学校2年生にそんな嫌味は通じない、なんてことは。

その枝にある最後の一枚となった枯れ葉が冷たい風に吹かれて、ついに解き放たれそうになっている様子を見ている方が、授業を聞いているよりよっぽどワクワクしたし美しかった、なんてことも。

・連帯は義務

成長するにつれ、考えている事をそのまま話すとおかしな空気になる場面が増えた。
どうやら私が切り出す話題は脈絡がなく、みんなを困惑させるらしい。
「今その話じゃないよ」
「どうして今その話?」
聞き飽きた。
次第に私は周りに話を合わせるだけになっていった。

言い回しを笑われたり、不思議な顔をされる場面も増えた。
その頃の私は“普通”を少し学んでいて、無理に明るくおちゃらけて振る舞うことで“変な人”ではなく“天然”というカテゴリーにどうにか滑り込んだ。
本当はいつだって真面目に話していたのだけど。

多感な時期の女子にとって“変人”とカテゴライズされるなんて事は致命的。
甘んじて天然キャラを受け入れた。

当時は、本当に気が合って一緒にいた子なんていなかった。
かと言って一人になる勇気もなく、違和感から目をそらした。

“青春”と言われる類のことをひと通りこなす10代の日々。
それはまるで消化試合だった。

【正体】

就職氷河期にも関わらず就職活動をさほど頑張るでもなかった私は職を転々とし、非正規事務職員として地元企業に流れ着く。
そこは、地方の片田舎にありがちなミソジニー気質の企業。
思えば、面接時に
「こしかけでしょ?」
と優しい笑顔で言われた時に気付くべきだったのに。
社会経験も浅く、とにかく仕事をせねばと焦る23歳の私は
「こういうものなんだ」
と、いつも通り違和感から目をそらした。

そのミソジニー企業は、まるで理不尽のるつぼ。
それでもすぐに辞めなかったのは、家政婦としてではなく社会人として私を認め仕事を任せてくれる上司に恵まれたからだった。
毎日仕事に行くのが楽しかった。

しかし入社から10年ほど経ったころから次第に環境は変化していく。
信頼できる方々が定年や転職で次々と退職。
様変わりしたそこはもう、毎日出勤が楽しみだった頃の大好きな場所ではなくなっていた。

もはや労働環境や人間関係云々はどうでもよくて、ただそこにいること自体に違和感を感じた。

「私はここに属していない」
妙に確信を持ってそう感じた。

「ここから離れなくては」
強くそう思った。

それが今から約一年前のこと。

【歩】

転職しようにも、ずっとなんとなくで生きてきた私には転職の強みになるような資格はこれといってない。

良さそうだと思う求人を見つける度に備考欄に打ちのめされる。
「チームワークが好きな人大歓迎!」
大抵こんな事が書いてあるのだから。

人が嫌いな訳ではない。
ただ、多くの人の中に居ることや人とコミュニケーションを取るにあたり、どうやら私はかなりのエネルギーを要するらしい。
そのエネルギーの枯渇は、私を嫌な奴にしてしまう。
そんな自分が大嫌いだった。
嫌いな自分でいないために、これ以上人を嫌いにならないために私は人と適度な距離を保たねばならない。

企業に転職するという選択肢はもう考えていなかった。

【向こう側】 

私が目指しているのは、どうにかして企業に属さずに生計を立てること。
個人事業主となるのだから、当然不安はある。
何かあれば収入は途絶えるし、そもそも不安定。

自営業の父とそれを手伝う母の元で育ったので、苦労や上手く行かなかった場合の末路は実際に身近で見てきた。
なので「自営業=自由で気楽」なんて考えは微塵もない。

むしろ、出来ることなら会社勤めをして安定した収入を得たい。

しかし、私は会社に
“勤めたくない”
のではなく、会社勤めが
“出来ない”。

このnoteで文章を書いて誰かに届けることで収入を得られる可能性が1%でもあるなら、やってみるしかない。

自分の頭の中で考えていることや感じていることを言葉に変換する。
それらを繋げて文章にして、頭の中と表現がぴったり合う。
その快感は、登山でクタクタになった後にゆっくり温泉に浸かってポカポカの体で冷えた炭酸水をグイッと飲んだ時のよう。
シュワシュワがお腹から全身に広がっていく。

人見知りな私は、自分の考えを自分の言葉で表現したことを人様に読まれるなんて、日記を読まれるようで恥ずかしい。
しかしnoteで自分の表現したものにスキが付くとくすぐったくもやはり嬉しい。
まだまだ恥ずかしさは払拭できないし、もし自分の表現で人を不快にしてしまったらと思うと怖い。
それでも
恥ずかしさと恐怖、その向こう側を見てみたい。

【気付き】

noteを始めて「スキ返し」や「フォローバック」に翻弄される日々が続いた。
ただでさえ人見知りで、楽しくほかの方々と交流だなんてハードルが高過ぎるのに、お返し目的の下心が見えると悲しかった。

ほどなくして“お返しはしない”という決断に至る。

当初はスキをしてくれた人の記事をまず読んで、本当に興味のある記事があればスキをしていた。
その中である人の記事を読んだ。

その人が綴る言葉はなんとも心地が良かった。
感情的な言葉が並んでいるわけではない。
難しい言葉が並んでいるわけでもない。
シンプルな言葉が並び、それでいて単調ではなくしっかり組み立てられていた。
なによりも想いが溢れている文章だった。

自分が恥ずかしくなった。
万人ウケを狙い、ガラにもなく陽キャ文を書いていたのだ。
なんとも陳腐。無様な文章だった。
それもそのはず。
私のその文章はまるっきり借り物だったのだから。

この文章スタイルはどうだろう。
堅苦しい、偉そう、理屈っぽい、例えが多い、そんなところだろうか。

しかし、いろんな文章攻略法を駆使して書いても結局のところ本人が気持ち良く書いていない文章はきっと読み手に伝わるものだと思っている。
私はこの文体が心地よい。

軸は決めた。

万人にウケなくていい。
心から共感してくれたり、私の表現を好きだと思ってくれるひとが、ひとりでもいればそれでいい。

私のこの想いは、note収益化とは相反するのかもしれない。

それでも、
「これが私の表現したいこと」
と心から信じられる文章を誰かに届けたい。

【自分らしく生きる】

“好きなことを仕事にして生きる”
きっと誰もが望んでいて、それでいて一番難しい。

私には学ぶべきことが山ほどある。

私がこの一年もがいたからといって、どういう結果になるかは分からない。

けれど、今が人生の分岐点にいることだけは分かっている。
少しでもその分岐の角度を広げたい。

これまでの私ならきっと
「恥ずかしいし、どうせ無理」
と、希望からも目をそらして挑戦しなかった。
今の私は、違う。
目をそらさず、しっかり向き合いたい。
1年後、5年後、10年後。
今いるところからより遠く離れた場所にいたい。

そこにいる私はきっと最高の笑顔でいるから。

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