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友達クエスト・人脈もないし友達も少ないが、親友が一人いる。

学校での集団生活は
「協調性を学ぶところ」
だとか言われがち。そして確かにそれを求められる。
しかしその許容は人それぞれで、どうしたって辛い人もいる。

みんながみんな、仲良しこよしでいるなんて出来ないのだから
「学校は人との距離の取り方を学ぶところ」
くらいに思ってみるのはどうだろう。


私は、さみしがり屋なくせに人見知りという面倒な人間。

加えて、小学2年生の時に“トットちゃんみたい”と当時の担任教諭からお墨付きを頂いた。
(参考記事:「寂しがり屋の人見知り。人生振り返って今年学びたいことを考える。」)

「とっもだちひゃっくにんできるかなっ🎵」
のアノ歌にあるように、まるで群れに属する事が必須科目であるかのような学校生活。

私の場合、先生のお墨付きであるそれは役立つどころかむしろ足枷となった。

そんな私にも、幸運なことに“親友”と呼べる友が一人いる。

その親友“モコちゃん”との物語。

【他人時代】

のちに親友となる、モコちゃんとの最初の接近は中学一年生。

モコちゃんは当時はまだ女子には珍しいサッカー部。
私の小学校の友人もサッカー部に入部したことがきっかけでモコちゃんの存在を知ることとなった。

とはいえ、私が一方的に知っているだけの“友達の友達”
つまりは他人。

モコちゃんは、のちに生徒会メンバーになったりするスクールカーストの上位者。

一方の私は、少し目立つ人のその隣にいるモブキャラ。

モコちゃんと私、直接の接点はもちろん皆無。
この時はまだ、生きる箱が同じになっただけのただの他人。

【呼ばれた気がした】

そんな他人時代に、今となっては忘れられない思い出がある。

それはクラス対抗の合唱コンクールでのこと。

「あー、めんどくさい…早く終わんないかなぁ」
そんなことを考えながら、体育館の床で両脚を抱き抱えて組んだ手を眺めていた。

あるクラスの合唱が始まり、伴奏ピアノの第一音が響く。

その瞬間、私は誰かに名前でも呼ばれたかのように、それまで垂れていた頭をクッと引き上げた。
目線の先にはピアノを弾くモコちゃん。

音が大きいだとか、力強い音だとかそういうものでは全くなかった。

詩的に言うなれば“心に響いた”

ちょっとキザだが、これが一番しっくりくるので仕方がない。

初めての感覚に驚いたものの、もちろん当時は
「あ。サッカー部の子だ。なんか…すごいな…」
と思っただけだった。

2人はまだまだ他人同士。

【友達の友達から友達へ】

高校時代、共通の友達がいてモコちゃんの活躍は時折話に聞いていた。まだその程度。

大学時代に居住県が同じになったことで少しだけ近づいて、共通の友人を交えて直接遊ぶようになった。

そして大学卒業後しばらくしてお互いが地元に戻ると、ようやく2人で遊ぶ仲となる。

モコちゃんは、突飛であるらしい私が切り出す話題に対して
「急にその話題?」
とか
「話飛ぶねー」
なんて言わなかった。

今までは
「え?どういう意味?」
なんて言われ続けた私の思考や表現を不思議がったり、せせら笑ったりもしなかった。

「面白い!」「分かる!」「それそれ!」と言って楽しげに笑った。

モコちゃんといると、不本意な天然キャラでいる必要がなかった。

高校時代、制服からお線香が香りそれをネタにされたことがある。
以来、実家の仏間を毛嫌いしていた。
ところが、二人で遊びだした当時はまだ実家暮らしだったモコちゃんからも時折、品の良いお線香の香りがした。
なんだか嬉しかった。

そして何より、自分を見失って荒くれていた二十代当時。
バカな私はモコちゃんに何度も嫌な思いをさせたはずなのに。
モコちゃんは私を見捨てなかった。

今ではだいぶ少なくなったものの、色々と拗らせている私がひねくれ批判モンスターとなって話をしている時は、モコちゃんが激薄の反応でしっかり示してくれる。

モコちゃんは私より断然学力、知識や経験、そして教養もあるのに決してそれらをひけらかさない。

それどころか、モコちゃんは私に自分の弱みを見せてくれた。
だからこそ、人との間に壁を作り自分を守ってきた私でもモコちゃんには自然と弱い自分をさらけ出せたのだろう。

【決定的瞬間】

いろんな迷惑をかけ続けた末のある日。
2人で出掛けた先にモコちゃんの知り合いがいた。
その人にモコちゃんはなんと
「私の親友紹介するね」
と言って私を紹介したのだ。

正直、驚いた。
自分が誰かのそんな大切な存在になれるものだとは思ってなかったから。

実は、ちょっと地面から浮いたんじゃないかと思うくらいに嬉しかったが、そんな素振りを見せずに挨拶をした。

【それぞれのペースで】

もっと仲良くなりたい、ずっと仲良しなんだろう、そう思っていた中学・高校時代の友人達の連絡先はもうほとんどが分からない。

一方、学生時代はほぼ接点が無かった人と、学校生活を終えてからの交流で親友と言い合える関係となった。
人の縁とはなんとも不思議。
同級生という限られた範囲で無理に友達を作る必要なんてない。

  • 友達をたくさん作って賑やかに過ごしたい人

  • たくさんはいらないけど、休み時間や移動の時は誰かといたい人

  • 友達は欲しいけど、お昼は一人で食べたい人

  • 人とは関わりたくない人

私は、相手を尊重するのではなく、相手に合わせないと一緒にいられないのなら友達でなくていい。
たくさんは必要ない。
きっと生きやすいのだろうけど、地元で幅を利かせている一軍さん達と繋がる人脈なんてものもいらない。
十人にも満たないが信頼できる友人がいて、何があっても信じ抜ける親友が一人いる。
それで十分だ。

人とどう関わるのが自分に合っているのか。
それを探るための集団生活があってもいい。
大切なことは、誰かに強要されたり同調圧力があってはならないということ。
仲間はずれやいじめは論外として、
一人でいる=かわいそう
ではない。

一人でいる権利も尊重される環境というのもあって欲しい、と新生活シーズンの空気を感じながら思う。

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