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note のお時間

 noteを始めてみようと決めた当初、軽く戸惑った。自分で何かを書く前に、まずは皆さんの記事を読んでみようと思ったのだが、たくさんたくさんありすぎて、どこから手を付けていいのか分からなかった。

 それでもまあ、我がことながら何を基準に読む記事をチョイスしているのか不明だが、いくつか目を通しているうちに、だんだんと自分の感性に響くクリエイターさんが見つかってきて、心が小さくコロコロ弾む。
 ああ、私は嬉しいと感じているんだな、とわかる。

 特に更新頻度が高いクリエイターさんの場合、会ったこともないのに、何だかすでに友達のような、交換日記を受け取るかのような感覚があって、これがまた良い。
 マラソンで、最後尾をゼイゼイ息を切らしながらヨタヨタ転がる私に合わせて伴走してくれるような種類の優しさを(勝手に)感じてしまう。

 私などはまだまだヒヨッコで、自分が何を表現したいのかも把握しきれておらず、何か書いても読んでくださるひとも少ないが、その貴重な「スキ」から、その方の記事にお邪魔させていただくと、そこにはまた、自分とは毛色の全く異なった世界が広がっていたりしているのが新鮮である。

 世の中には本当にいろいろな人がいるのだということを、垣間見させてもらっている気になる。
 散り散りの場所にいる「交換日記を渡してくれる友達」に本当に会えたらいいなあなどと妄想したりする。

 と、noteにはこのように私に良い作用をもたらしてくれているが、私は要領が悪いのか、他のことをしているとnoteを覗く時間が上手く取れない。また、「読む」方に重点を置くと「書く」ことが出来ず、「書く」方に力を入れると「読む」方がおろそかになってしまう。

 近頃は読む方に重きが行っていて、書く方は正直、手薄になってしまっている。
 「交換日記」だけは受け取って、「ナントカ君はすごいなー」と羨望の眼差しをナントカ君に向けているハナタレ小僧のようだ。

 この要領の悪いハナタレ小僧は、イメージどおりデキも悪いので、今日もこんな支離滅裂な文章を書くのが精一杯です。
 ハナタレ小僧的には「とりあえず毎日更新」が最優先事項なのである。そんなハナタレ小僧に「執筆テーマの吟味」や「文章の推敲」を上乗せするのは酷というものだ。
 もっと自由に、もっとダイナミックに表現したいという欲求はあるが、そうするには自分の頭がまだまだ固いという自覚がある。
 次なる課題はこれかもしれない。
 これを打破出来れば、もっとクオリティーの高いものが書けるようになるかもしれない。
 そのためにはやっぱり「とりあえず毎日書く」のが一番かな。

 ハナタレ小僧、ガンバル!
 

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