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かなしかった一言

ある視察のために日曜日、札幌へ行った。
14時集合で到着したのが12時半くらいだったので少し時間が空いていた。
こんな時は大型書店で時間をつぶすに限る。

大通駅の近くにいたのでジュンク堂書店に向かった。

目指すは地下1階の理工書コーナー。
目ぼしい数学書の新刊がないかウキウキしながら本棚を眺める。

近年ちょっとした数学ブームなのか数学読み物のコーナーが充実してきているような気がする。ちなみに僕の所属するNPO数学みえる化プロジェクトが刊行した「感じる数学」(共立出版)も地味に売れているそうなので、興味がありましたら是非ともお近くの書店でお求めください。

さて宣伝はこの辺にして。

ある先生の新刊書を立ち読みしていると近くから親子連れの会話が聞こえてくる。

どうやら数学が好きな男の子のようだ。

この本とこの本にする!

すると男の子の父親は

○○にはちょっと難しいんじゃない。
前も似たようなの買ったけどすぐ読まなくなったっしょ。
もう少し簡単なのとか宇宙の本とかどう?

でも男の子は自分で選んだ本を棚に戻そうとしない。

見かねた父親は

そんな読まない本買ったらお金の無駄だよ。

その一言が僕の胸に突き刺さった。

書店にいくと必ず一冊以上は本を購入して帰るのに、その日は一冊も買えなかった。

男の子の父親の意見はもっともだ。
むしろ正論すぎて反論する余地はない。

なぜなら僕も数学書を購入しては最初の数ページだけ読んで本棚の肥やしになっているケースが往々にしてあるからだ。

本を購入しただけで満足してしまい、継続的に学習できていない。
「独学のすゝめ」、「最終学歴より最新学習」だと言っている割には自分自身は、学習しない自堕落な生活を送っている。

だから本を買って知識を得た気になるのではなく、まずは生活習慣を改めるところから始めなければならない。

そんな風に僕は反省したけれど、たとえ無駄遣いになるかもしれないとしても、男の子が知りたいと思う知的好奇心を阻害するような父親の一言は、やはり悲しかった。その子の父親が数学に関心があれば全否定ではなく、何らかの条件付きで購入するとか、どんな風に本を活用していくのか話し合うことができたのかな。

費用対効果ですぐにリターンが得られるものはわかりに目を向けてしまうと、自分の内なる知的好奇心よりもマジョリティが推奨する無味乾燥な実学の方が価値があると思い込まされてしまう。知らず知らずのうちに子どもたちの「知りたい」という自発性を損なわないように、学ぶことの喜びを体現できる大人になりたと思った。

ジュンク堂での出来事は、日本の大学教育への国の予算が縮小している縮図を感じたひとコマだった。

今日も皆様にとって良い一日になりますように。

かなしい時はチコちゃんのシッポをトントンしたいな…。

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