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鬱から始まる異世界ブラック企業狂想曲⑪

今回は東日本大震災の時を書こうと思う。

それは2011年3月11日の15時頃のことだった。
私は上司や同僚に恵まれ、仕事にも慣れ、次の異動が決まっていた。
華金の15時頃に思うことといえば「土日何するかなあ?」
そんなのほほんとしてる時にあの悪夢がやってきた。
まずドン!っと音がして揺れた。
揺れるなあ、震度4くらいか?
またドン!っと揺れが強くなった。
震度6くらいの新潟中越沖くらいかな、3ヶ月コースだな。
さらにドン!っと揺れた
目の前のパソコンが落ちそうになる。反射的に手で抑えるが自分の体を保つのに精一杯でそのまま落としてしまった。
その揺れ方は手塚治虫が火の鳥で描いたような目の前の全てがダブって見えるような揺れだった。
初めての体験に「さすがにこれはヤバイな、実家大丈夫かな?」と思った。
それでも正直、その時の私は家屋の倒壊とライフラインの被害しか想定してなかった。

気が利く人が発電機を持ってきてテレビをつけてくれた。
当然ながら震災のことを放映しており、発災後20分も経たないうちに車で10分程度の場所にある「荒浜で200~300人の遺体」というテロップが流れてきた。
このテロップを見た瞬間、特科団長が意を決して自分の部隊を引き連れて独断で災害派遣に向かった。
しかし、津波の水しぶきで霧ができ、前後不覚に陥り部下達がバラバラになってしまい、何も出来ずに戻ってきた。
その次のテロップが衝撃的だった。「陸前高田壊滅!」
この時はまだ津波を舐めていた。
津波の経験がなかったと言えばそれまでだが、心の中で
「壊滅ってw大袈裟すぎんだろw」
と思っていた。
しかし、次に地元にほど近い閖上がリアルタイムで津波に呑まれて行く映像が放映された。畑、車、家、人全てが津波に呑まれていく。
なんだこれは...現実か?
「あ...実家はもうダメだな。」
私の実家は閖上から10キロも離れていない。
しかし、放映の最後に文字通り閖上を呑み込んだ津波が仙台東部道路にぶつかり、コップを回した時のに飲み物が縁でくるんっと回るように津波が回った。
もしかすると...少し希望が持てた。

その後も続々と壊滅した土地、被害状況が放映された。
夕方には気仙沼の石油タンクが大火災を起こして燃えている。まさに終末を予感させた。
CMは全て差し止められ「ぽぽぽぽーん」という意味不明な公共放送に差し替えられた。
これは大変な事だ...いつもの態勢では到底敵わない。

しかし、時の陸幕長火箱さんが独断で陸自の大量派遣を決定、後日それに押されてようやく10万人態勢の派遣が決定された。

翌日の朝には陸自数万人が夜通しで災害派遣に駆けつけてくれており、その力に胸が熱くなった。


ここからは余談であるが、
当時の与党である民主党では即断できる能力がなかった。
最後まで人命救助、原子力災害対処、ご遺体収容の邪魔をされ、自治体からは現地が混乱してるから来ないで欲しい、と言われているのに自身のアピールのために多数の民主党議員が現地入りした。

その警護のために人命救助やご遺体収容している警察官や自衛官が抜かれ、自治体はただでさえ混乱してる中で民主党議員の対応や無責任な発言(〇〇では△△が不足していると言っている。至急確保しろ等)に翻弄され疲弊していった。

まさに能登半島のれいわ新選組の某議員が行って批判されたが、それが大挙して現地に押し寄せたのだ。

まずは人命の確保が最優先で、それで手一杯どころか食料や水すら不足しているのに、
民主党議員は「有権者の意見を取り入れて生活を豊かにした俺、偉い!」の為に無理難題を何度も押し付け掻き回してきたのだ。

さらに悲しいことに、当時の与党民主党政権ではとても災害派遣の指揮などできず、防衛省に全て丸投げしておりどれだけの負担がかかっていたかは想像に難くない。

しかしながら当時の陸自は今と違い人材が豊富であり、兵站や行政、調達に精通する将官が山ほどいた。
当時の東北補給処でも処長、装備計画部長、計画課長の3人が一角の人物であった。
彼らの獅子奮迅の活躍のお陰で人命救助、ご遺体収容、避難者の支援が最大級に円滑に行われた。
今の陸自は将官ですらみんな本当に小粒になってしまった。今の人材では自衛隊は戦争は戦えない。

当時の民主党について許せないことをもう1つだけ愚痴らせてもらいたい。
彼らは政権奪取後、調達先を日本企業に限定せず他国の企業でも可能なように法律を変えた。
元々は調達先を国内企業に限定することは、国民から集めた税金を国内に還流させる目的があった。
それを中韓企業に横流しできる仕組みを作ったのだ。
するとどうなるか?
安さでは中韓企業に敵わない。
そして安かろう悪かろうの製品が大量に入ってくる。
自衛隊で言えばフタル酸エナメル(塗料)が韓国製のものが入ってきた。それは粗悪品で車体に塗ってもすぐ剥がれてくるのだ。
タイヤもすぐに摩耗する。
その交換や処分、対応に隊力がうばわれ、国内企業で調達するよりもずっと高コストになった。

小学校や中学校では、最近でですら、中華Padを教材として割高で中韓企業から調達し、結果電池が粗悪品ですぐ電池がなくなったり煙が出るなどして回収を求めたが、業者と連絡がつかなくて対応に困っているニュースを目にする。

公務員の購入する消耗品も立派な公共事業の一つだ。
それを海外に流してしまったらどうなるだろう?
民主党は言う。
「失われた30年は自民党のせいだ!」
いや、お前ら民主党が「事業仕分け」で東電の予備電源の購入費を仕分けたがために現在原子力災害が続いてるし、
公共事業を中韓企業に横流しできる仕組みを作ってその効果を半減させているのはお前らだろう!と怒鳴りつけてやりたい。
それなのにまだ国会議員をやってる枝野を初めとする立憲民主党議員は厚顔無恥過ぎて、彼らをテレビで見る度に吐き気を催してしまう。


今回は東日本大震災の時の話をさせてもらった。
次からは具体的にどのような状態だったかを話そうと思う。
グロい表現が出てくるので苦手な人は読み飛ばして欲しい。


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