古津雨音

普通程度に探求心旺盛。「自分のそれは『人生の津波』だったんだ」というフレーズが降りてき…

古津雨音

普通程度に探求心旺盛。「自分のそれは『人生の津波』だったんだ」というフレーズが降りてきた50歳代から自分を対象に研究を始める。それをエッセイとして表現する。「『女性』が『問題』にされている」事象を読み解くこともある。時に感受性が強まる。いつも沈着冷静で居られるわけではない。

最近の記事

重なるということ 〜ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな 我が人生〜

 ある頃から、私の日常は「重なる」タイミングが押し寄せると気づき始めた。  平凡な日々が続くのが私のフツーの日常である。ちょっと忙しいときもあるが。  それが、あれあれ?と思い始めている頃には、いろんな事が「重なる」。  同じ日の同じ時間帯の調整で大変になる時もある。あるいは数日間にどひゃっといろんなタスクが詰まる時もある。  「重なる」時、気を抜くと、それらのタスクよりも上位にある大事なことを蔑ろにしかねない。いや、実際、そういう事態になることもあった。直後にものすごく反省

    • ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな 我が人生 (泣くということ)

       二人の間で重要な事が起きた。  とてもとても深淵で尊厳のある重要な事だ。  ある瞬間、その人は涙を流した。  “泣いている”  感情が表出したのだろう。  “なんで泣いているのだろう”  私にはその人の涙の理由がわからない。  泣きたいのならば、泣けばいいと思う。  泣きたい心はその人の中にある。  私の心には無い。  “泣くのは私の方でしょ”  と思っていた。  泣かない自分というものをその時に発見した。

      • ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな 我が人生(あの場所)

         子どもの頃から度々訪れていた場所へ記憶を頼りに行ってみた。  車は便利だ。とんでもない暑さの中でも冷房を効かせて座ったままガソリンの燃料で、思いの場所へ意のまま自分を現実に連れて行くことができる。  昔は、家族の車だったり、またはバスだったり電車だったりして降りたら徒歩で歩いた。  個人的に意味のある場所である。自分が誰かに育てられたという幼き人間としての記憶が付いている。  記憶のランドマークは細いバス通りの角にある小さな神社だ。確かに神社はそのままあった。遠い昔はこの辺

        • ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな わが人生

          これからのタイトルは、これにすると決めた。8月16日 2024年。 和号ではなく西暦で書くのは、なにかと計算がラクだから。 このタイトルで書いていくのは、人生をラクにやっていきたいから。 きょうは、ひとつの用事を済ませた。 それは個人的なことであり、わざわざ他人に告げるようなものではない。 そうなのだけど、書こうとする心の向きがある。 ヒトは言語でできている社会的な生物で、話さずにはいられない。自分の内部で言語化した生成物を体外から離すことは新陳代謝なのだ。 ーーならば、近し

        重なるということ 〜ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな ちっちゃな 我が人生〜

          第2フェーズへ。 経過を書き綴る3

           梅雨だ。  六月の終わり頃に梅雨入りだったか。  その前の春の終わりは気持ちを整えるのに良い季節だ。夜明けの時刻が日ごとに早まる。空気がきれいだ。草木が日ごとに柔らかに萌えていく。  六月は、ある件の第1フェーズだった。  気持ちの良い気候の中、なんだか疲れていて、全然進められなかった。必要な書類を手にするのさえ億劫だった。心に錘をつけたみたいに気が重かった。  おかしいな。  自分のために自分から着手することがこんなに重い心持ちになる。  何が作用しているのか。

          第2フェーズへ。 経過を書き綴る3

          バブル ぱふぱふ(最近感じたこと)

           私はバブル世代だ。実感は無い。経済的にキツい生活であったからだ。  それでも、やっぱり自分はバブル世代らしいと自覚する時がある。10歳ぐらい下の世代やリーマンショック世代の人たちと働いたり接する時にそう思う。  バブル時代に私は本当に苦しい生活をしていたけれど、どうにか生き延びて来れたのは、イケイケドンドンの時代の風が社会に吹いていて、それに少しは乗れていたのかもしれない。  現在でも、ちょくちょく感じるのだが、バブル世代のイケイケドンドンであった人たちと話していると、同じ

          バブル ぱふぱふ(最近感じたこと)

          痛っ! 経過を書き綴る 2

           今週中いや今月中には個人的な書類を提出すると決め、毎日少しずつ作成を進めてきた。  さきほどそれを投函した。  その過程をこうやってここに書いてアウトプットしている。  1を書き終わったら、少し心がラクになっていた。  一人で自分ごとに向き合っている最中に辛くなる時がある。  これは非常におかしな矛盾だ。なぜなら、自分が決めて納得する方向へ歩んでいるのだし、自己啓発本みたいに言えば、自分が幸せになる方向なのだから。  その心持ちを友人に話したら「なぜなんだろうね」と問いかけ

          痛っ! 経過を書き綴る 2

          ヒリヒリする 経過を書き綴る 1

           もし、これを読んでくださる人がいるのなら、今日の書き物は、書きたいことが溢れてきて、つらつら長くなるが、アウトプット、書いておこうと思ったものであることを最初に申し上げたい。 。 。 。  自分の大事なことなのに、なかなか手をつけられなかった。  今月、「それ」を行うチャンス日は数日あった。だけど、他のことをして、ゆっくり過ごして、翌日は仕事に行った。そしてリフレッシュした心地で勤務できている自分を感じた。それで自分の休み方を肯定した。  しかし、手帳には、今月の休み

          ヒリヒリする 経過を書き綴る 1

          喪失体験の痛みが疼く日の書きもの

           私がどこで生活していたか知っている人が亡くなっていく。それは親きょうだい。  家を離れて住んでた場所を、頻繁ではないけど、一回ぐらいだけど、ああここがあなたの住んでいるところねと知ってくれた人。そのときの表情は、少しかしこまったような、納得したような、目を細めたような感じだ。  それは、ささやかな生活である。寝食に必要な最低限のものがあり、小綺麗にしているぐらいの質素な生活だった。  そこへ訪れたときの親やきょうだいの表情や声が、私の中に残っている。  私という人(子)が、

          喪失体験の痛みが疼く日の書きもの

          stream 流れ

           我が身に起きた事を我が事と思う事ができなくて生きていった。  それは事件とかエピソードとか発端とか原点とかで標すことができると思う。そんな二次的な作業はずっとあとになってから、何かのきっかけがあれば、記号を付けられるようになる。そんな二次的な作業に及ぶこともなく、名付けられる事も無く、痛みを感知することもなく、そんなこともあったなとも認識もできず、生きていることがフツーなのかもしれない。  これを解説できる知見は私には無い。自分の経験を自分の言葉でここで述べてみようと思う。

          原点

           ここから入ってはいけないと言い渡したら、承諾したから、信用した。覆いかぶさってきた。抵抗したが、やめなかった。  抵抗しながらそれ以上に抵抗する方法は、大きな声を出すか、暴力的になるかだと考えた。  大声を出して近所に被害に遭ったとわかってしまったら、顔をあげて住み続けることはできないと思った。  いろんなことを考えていたと思う。ここに住み続けたかった。この場所での目標が少し先に実現するのを楽しみにしていたからだ。  混乱した。禁止して、それに同意したのに、襲ってくる、抵抗

          探求短歌

          結婚に向いていないと思い知り別れて帰る漆黒の夜

          【読み取れない/気になる言葉】晴れて

           文章を読んでいるとき、ん?と止まることがある。  しばし考え込む。意味や用例を知るためにワード検索することもある。深掘りというより浅掘りなのだが。そんなエピソードを書く。  アエラドットコムの配信記事。  タイトル中の「眞子さま結婚劇」「小室圭さんの”圧勝”だった」との表現に引き寄せられ、読み始めた。 注)本記事は「AERA dot.」2023/10/6 6:00)配信。21年10月26日配信の記事を再編集したものと明記されている。  リード文のあと、本文の冒頭の数行

          【読み取れない/気になる言葉】晴れて

          枯れ小ヤモリ

          きょうは台所で肝を冷やした。 置き放しにしていた空のジャム瓶に新種の干物か?家族が使うものか? 瓶を持ち上げて見た。 干からびた爬虫類。 ヤモリかトカゲ。 体長4センチか。 ヤモリだ。 灰色だ。 小さい。 家族に訊いた。 皆でビックリだ。 出来れば見たくない。 何かの弾みで瓶に落ちた。 滑るから出られなくなった。 人間に気づいてもらえなかった。 ヤモリは家の守り神だというのに。 まだこんなに小さいのに。 進入経路は不明だ。 私たちの家に縁があったのだろう。 庭の草むら(自然)

          枯れ小ヤモリ

          漆黒の五重の塔と見紛ひし鉄塔の影秋の夕暮れ

          漆黒の五重の塔と見紛ひし鉄塔の影秋の夕暮れ

          闘いであると後で分かるのだ。

           自分の事をするのは楽しいか?苦しいか?  楽しみに思うことをするのは楽しい。気に入った靴を買うとか、推しのバンドを聴きにいくとか、お気に入りの場所を散歩するとか。  ところが、自分を支援するためにすることは妙に負荷がかかってきて、心のエネルギーを消費して、疲れが来る。  自分のより良い未来を保障するためにする正当な手続きなのに、なぜ疲れるのか。自分のために自分が行動するのに、誰かに遠慮しているのか?  公的な手続きに出向いて歩きながら、そんな自問自答をしていた。そして気がつ

          闘いであると後で分かるのだ。