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第2フェーズへ。 経過を書き綴る3

 梅雨だ。
 六月の終わり頃に梅雨入りだったか。
 その前の春の終わりは気持ちを整えるのに良い季節だ。夜明けの時刻が日ごとに早まる。空気がきれいだ。草木が日ごとに柔らかに萌えていく。
 六月は、ある件の第1フェーズだった。
 気持ちの良い気候の中、なんだか疲れていて、全然進められなかった。必要な書類を手にするのさえ億劫だった。心に錘をつけたみたいに気が重かった。

 おかしいな。

 自分のために自分から着手することがこんなに重い心持ちになる。

 何が作用しているのか。

 そんな深掘りさえ重いというか、必要ないのであって、その件にさっさと着手すればよいだけなんだ。

 そういえば、思い出した。人は、経験したことが無い事には、なかなか一歩を踏み出せないという。

 スモールステップで行けば良い。
 まずは、書類をテーブルに出せば良いのだ。
 今日は、それだけでいいじゃないか。

 そんなやりとりを、自分の中で繰り返して、やれなくて、他のことをして、休日を何回か過ごした。

 六月も終わる頃、ようやく書類を出した。
 見た。確実にやらなければならない。とはいえ、大した量ではない。

 書類に目を通した。必要な資料を出した。
 わからない。提出先へ初めて電話をした。
 書類が足りない。
 そのために、資料を取り寄せなければならない。
 そこで、一気に、別の窓口2箇所へ電話をして、予定を立てた。

 しかし、翌日、その書類があることに気づいた。
 どういうことかというと、この件はもう一年以上、とっかかりはつけていたことであり、既に自分で用意をしていたのだった。

 わたし、偉い。
 だけど、忘却していた。

 つまり、1年以上、心の錘を持て余しながらも、スモールステップで事務的なことを進めては、心が重くなってくるので、そこで一旦休止していたのだった。

 わたし、これでいい。
 じゅうぶんに頑張ってるよ。

 自分を許す。何が何だかわからないが、気が重いのだ。すぐにはその錘の正体はわからないが、このまんまで生きていけばいいじゃないか。

 それができない。
 今までとは違う生き方をしようとしているのではないか。ほんとうは自分がしたいことなのに、慣れない事をする自分を訝しんでいるみたいだ。自分視線ではなさそうだ。誰かの視線で、自分を責めているみたいだ。

 ま、いい。少しずつ進もう。

 第1フェーズを終えて、事務的なことなのではあるが、少し落ち着いた。少し進めたという感触もある。

 そして第2フェーズに入った。
 さあ、これからだ。
 経験した事が無い事を、これからやるのだ。

 経過報告を書くと、あとで落ち着いてくる自分を感じる。この書き物を続けると思う。 

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