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ピクミン3DXレビュー/ピクミンが死んでも危機感を覚えない自分に驚いた話


ピクミン3DXのレビュー記事。WiiU版のピクミン3は未プレイなので、初プレイの感想。しょうもない記事タイトルで恐縮ですが、割と真面目にレビューしてます。

まずはピクミン2を振り返る

ピクミンシリーズに初めて触れたのはもう10年以上も昔の話だ。その当時、お宝コンプリートや図鑑埋めを目標にゲームキューブコントローラーを握っていた。生物図鑑やお宝の解説記事は何度も読み直したし、それくらい自分にとっては印象深い作品だ。

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ピクミン2の最大の功績は、生物の生存競争をゲーム要素として取り入れたところにあると個人的には考えている。
中でも一際目立つのが架空の生き物ピクミンの存在だ。
ピクミンは生きている。隊列の数は数値として管理できるが、それでも彼らはプログラム上の存在のようにはみえない。ピクミンというキャラクターには生物としての実体がある。本来ゲームの3Dオブジェクトに過ぎない彼らが、どうしてここまで生き物らしく振る舞うことができるのか、あるいはそのように感じさせるのか。
ポイントは死の扱いにある。
一般的にゲームジャンルにおける「死」の概念は途方もなく軽い。
プレイヤーが主人公を操作するRPG作品の場合、致命的な攻撃を食らって倒れたとしても、ロードを挟んで次の瞬間には生き返っている。アクションゲームも同様。崖から飛び降りた次の瞬間には残機が1減る代わりに、ふたたび崖の上に戻っている。
だがピクミンの死はゲーム的な死とは異なる。不可逆の性質をもつ生物的な死だ。ピクミンは無限に増やすことができるが、それでも元のピクミンが生き返ったわけではない。取り返しの付かない要素だからこそ、我々は生き物の命を尊重できるのだろう。ピクミンが生命感溢れるキャラクターに仕上がっているのも、この生物的な死が作中でしっかりと再現されているからに他ならない。また、ピクミンたちの死のバリエーションは実に多彩だ。捕食、圧死、溺死、焼死、刺殺etc...。ピクミンが死滅すると「やってしまった」という後悔と自責の念に駆られる。そして次回からは、より少ない犠牲で目標を達成しようというモチベーションが生まれる。これはピクミンシリーズにおけるゲームサイクルにもなっている。

もう一つ生物らしい側面を挙げておくと彼らは死の直前やたらと苦しむ。これは生への執着に起因するものだろう。外敵に襲われたとき、串刺しにされたとき、あるいは火炙りにされたとき、悲痛な叫び声を上げる。シミュレーションゲームおけるNPCたちが、死を前にしてこれほど苦しみ悶たりするだろうか。こういったプレイヤーを呪う怨嗟の声すらもこのゲームは巧みに利用する。いやはや本当に恐ろしい作品である。


ピクミンが死んでも危機感を覚えない自分に驚いた話


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さてここからが本題、ピクミン3のレビューである。見出しとタイトルになかなか衝撃的ことが書いてあるが、実際その通りなので仕方がない。少年時代あれほど生物を慈しむ博愛主義に満ちた心をもっていたというのに、なぜ無慈悲な大人へと成長してしまったのか。時の流れとは残酷なものである。「人間性に難あり」と指摘されてもまあ否定はしないが、自分語りをするだけでは流石にゲームレビューにはならないので今回は「ピクミン3とは何だったのか」について改めて考えてみたい。

ピクミン2との比較で、まず真っ先に頭に浮ぶのはプレイ時の恐怖が大幅にダウンしたということである。
無論、これはゲームプレイしたタイミング、すなわち当時の年齢も関係してくるとは思うが、それを差し引いてもピクミン2の探索は演出や音楽、ステージの雰囲気あわせて、とにかく恐ろしかった。
異星の星を巡る旅。ほぼ孤立無援の状態で、探索エリアには洞窟や冬山など薄気味悪い場所も含まれた。頼れるものは、何考えてるかよくわからない後輩社員とカラフルなポティペイントを纏った現地住民のみ。真面目に考えると、なかなかに胃が捻れ切れそうなシチュエーションだ。
Switchで発売されたので3世代の空白がある。光と影の描写や、そもそものゲームエンジンの違いなどもあると思うが、ピクミン3は自然の美しさや太陽の昇り沈み、果実のみずみずしさにフォーカスが当てられていた。自然界の正の側面を強調するようなビジュアルに仕上がっている。その代わり前作ピクミン2にあった不気味さは全体的になりを潜めてしまった。


アクション要素も同様。前作ピクミン2では、わけのわからないタイミングで岩が降ってきたり、機関銃の掃射にかき乱されたり、半透明のバケモノに追い回されたりと、とにかく心臓に悪いシチュエーションが多かったのが印象的だ。無論それだけではない。ピクミン2では地下洞窟の存在も大きかった。

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ピクミンシリーズには時間経過の概念が存在する。日が沈むと、夜行性の生物が活発になるため、必ず夕方までにはベースキャンプ(宇宙船)に戻らなくてはならない。ただし例外も存在する。ピクミン2の地下洞窟ではこの時間経過が発生しないのだ。つまり、どれだけ探索に時間を掛けようとも日没は訪れない。地下マップの隅々を見て回ることができたのである。
この地上と地下の時間経過の差こそが、ピクミン2の利点でもあった。時間効率を意識するパート、じっくり探索するパート、この二つのパートが交互に組み合わされることにより単調なゲームサイクルを回避していた。単なる時間効率を追い求めるゲームからの脱却し、ワンステップ進んだゲームシステムを実現していた。


地下洞窟にはもう一つ重要なポイントがあった。それはピクミンの総数を増やせないということだ。ピクミンを増やせないのなら、プレイヤーはピクミンの数を減らさないよう努力するし、地上での探索よりも慎重に行動するだろう。これらの要素も相まって、地下洞窟におけるピクミンの存在は、ときにお宝よりも価値のあるのものだった。
一方、ピクミン3の探索は、地上の探索のみに限定されている。(※地下洞窟の概念がなかった初代ピクミンに寄せているのかもしれない)
地上でピクミン増やすのはさほど難しくない。洞窟要素がない分、ピクミン3はピクミン2に比べてリソース管理が容易になった。これは攻略の難易度が下がったとも捉えられるが、それと同時にピクミンの命の価値が相対的に下がったともいえる。どれほどの数のピクミンが死滅したとしても「また増やせばいい」という安易な発想に陥りやすくなってしまった。
結構地味な違いではあるが、個人的にこの変更はピクミン3という作品のゲーム性を決定付けるものになったと思う。何が言いたいかというと、ピクミンの死に危機感を覚えなくなるということは、ピクミンを一つの生き物として扱わなくなるということであり、すなわち生き物を管理するというこの作品独自の魅力を潰してしまうことにも繋がるのだ。
大量繁殖可能なピクミンの存在価値をいかに上げるか。これはピクミンを生物としてみせるなら真っ先に解決しなければならない最重要課題である。
大量のNPCを労働力として扱うシミュレーションは星の数ほど存在する。ピクミンシリーズがそれらの作品と一線を画したのは、ピクミンという生物が、現実世界の生き物や動物と同じようにみえたからである。これが無限に湧き出る労働力になってしまっては、それこそ人材を屑同然に扱うブラック企業になってしまう。

ピクミンが死んでも危機感を覚えなかった理由は、おそらくここにあるのだろう(いやそれは単にお前の心が汚れてるからだ)

死骸を引きずる君が愛おしい


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ピクミン3で一つ感動したことがある。それはストーリー序盤でヨロヒイモムカデを倒したときこと。ピクミンたちが巨大生物の死骸を運び始めたのである。

ピクミンたちはオニオンと呼ばれる母体に生物の死骸を吸収させて繁殖を繰り返す。これ自体は特に珍しいものでもない。ピクミン2以降では見慣れた光景だが、問題はピクミンたちが運ぶ原生生物、そのサイズである。
ヨロヒイモムカデは作中でいうところの中ボスに相当するエネミーだ。最序盤とはいえ、そこそこのサイズを誇るボスなのだが、ピクミンたちはこの規格外サイズの生物を群れをなして難なく運び始めたのである。
これまでピクミンのボスキャラたちは、死亡時に運びやすいサイズまで縮むというのが恒例だった。(初代ピクミンではよくぺレットというアイテムに変換されたが)ピクミン2に代表される巨大原生生物、クイーンチャッピーやダイオウデメマダラは倒されるたび、ナメクジもびっくりの謎縮小芸を披露していた。やはりオニオンやドロフィン初号機で吸収するには絵面的に無理があったのだろうか。

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一方、本作ピクミン3では原生生物の死骸はそのままのサイズで運搬できるようになった。ヘビガラスの死体はオリジナルサイズで地中に埋まっていた脚までついているし他生物も然り。
この点に関しては個人的に嬉しいサプライズであった。自分の数倍もある巨大生物を運んでいるというだけで絵になるし、他の作品では中々お目にかかれない光景だった。ピクミンのモチーフは蟻であると、プロデューサーの宮本茂が語っていたが、これを見た瞬間「自分がこのゲームに期待していたものはこれだった」と思わずはっとした。

ピクミンの大群を率いて大型生物を倒す、という本来のゲーム要素以上に、見知らぬ星の生物の営みを眺めるというビジュアル要素に、強く惹かれたユーザーは決して少なくないはずだ。
ピクミン3(WiiU版)発売当初、生物図鑑を削って批判を浴びたという話もあったが、神は細部に宿るとはまさにこのことだろう。

まとめ

ピクミン2とピクミン3、今ここでどちらの作品が優れてるか議論するつもりはない。どの購買層に訴求するかという問題なので、どちらかというと販売戦略上の判断になる。実際、ピクミン3の絵作りは今の時代に合ってあるように感じるし、その点においては成功したともいえる。
ただ喪失感が拭えないのも事実である。ピクミン2で評価されていた要素を意図的に排除するのであれば、何か驚くような挑戦が一つや二つあってもよかったとは思う。

もし次回作が発売されるのであれば、ピクミンと原生生物の生態にスポットライトを当てた作品になることを期待したい。身の毛もよだつような気色悪い原生生物と相まみえるその日まで、ピクミン3DXのミッションモードで時間を潰すとしよう。

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