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ギブに殺されないようにね
ギブで溢れる社会にしたい。
だから、自分からそういう行動をとる。
僕はそんなタイプだ。
だから、まずは自分からギブしなきゃいけない。
ギブできるものってなんだろう。
視野が狭くなっていた僕は、本業の施術くらいしかないなーと思ってこれをプレゼントしようと思った。
でも、プレゼントするためにはプレゼントが欲しいって思う人が必要でその人に届ける作業が必要。
そのために昨日インスタの投稿を作ったり、動画編集をしたり色々やっていた。
昨日の夜どうだったか。
「気持ちの良くない疲労感」
が出てしまった。自分にこの作業があってないんだなと。元々僕はインスタとかがあまりすきではない性質を持っている。とにかくインスタに触れると疲れる。文字より画像の方が刺激が強いのかもしれない。ちなみに文章を読むのは好きだし、疲れない。画像作るのは疲れるけど、文字を書くのは疲れないし熱中できる。
〝ギブに殺されそうになった〟
ギブで溢れる社会にしたいし、自分からギブしたいことは変わらない。
でも、ギブしようとして自分を殺しては意味がない。
これは、仕事でも言えると思う。
僕は割と、自己研鑽を仕事でもしてきたタイプだと思う。でも、それでも給料は同じだ。
相手のためにとは思うものの、自分の気持ちが置き去りになってしまっている。これでは、良いサービスなんて提供できない。
反対に僕も好きで、相手も喜ぶことが最高のギブになるってことだ。
それは僕らにとってなにかというと、僕の思考能力だと思う。僕の思考をこうやって文字にしたり、コミュニケーションの中で伝えることで喜んでくれる人がいる。この文章を読んでくれているあなたもその中の1人かもしれない。
どこにエネルギーを注ぐのかって人生において重要だと思うけど、
「自分も好き、相手も欲しい」
これを極めていくのが良いと思う。
心が気持ちいい状態ってこういう場面のことをいうんじゃないかな。
ちなみに、自分が好きで誰も求めてないってのもオッケー。自分が面白いなら、それは価値があるしいつか気づいてくれる人もいる。
僕は自分のギブに対して、犠牲を払い過ぎている。
もっと自分に正直になり、手を抜くところは抜いてもっと好きで求められていることにエネルギーを注ぎたい。
こうやって文章を書くこともそのうちの一つ。
今ジムの自転車に乗りながら書いてるけど、調子良かったよ。
また、感想でも教えてください。
1人でも求めてくれてる人がいたら書くので。
誰も求めてなくても書くけどね。
では、また!!
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