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何故レシピ動画は肝心なことを何も教えてくれないのか

料理のレシピ動画をディスるつもりもなく、ただ個人的に分析したことをつらつらと記します。

肝心な事とは人それぞれ異なると思いますが、
そのレシピの記事や動画を見なくても作れるようになることでは無いかと。

作れるものを改めて調べる人はいないでしょう。

可処分所得時間が減少し、社会の変化についていくために、住環境や自身の置かれた環境に変化に日々ついていくために、それとは別に娯楽のために、急を要する事態に対応するために調べる事は山ほどあるが時間は圧倒的に足りていない。

私たちはレシピを調べなければいけないのか?

彼らが何も肝心なことを教えてくれないからだ。

なぜ彼らは肝心なことを教えてくれないのか?

だって肝心な事を教えたらサイトに訪問してくれないし、アプリのダウンロードや会員になる必要もなくなるからだ。

ちょっと過激で一方的に決めつけた良くない表現ですかね、、、

良くないかもしれないが、
それでも彼らにとっての経済合理性を成立させるためには必要なのであろう。

結論を導き出す論理として帰納法 と 演繹法 というものがある。

帰納法とは、様々な事実や事例から導き出される結論を導き出す推理方法のこと。

演繹法とは、普遍的な事実を前提として、結論を導き出す推理方法のこと。

レシピとは個人の経験や伝統や文化、祖先によって受け継がれたものを前提によるものだったりするので、これは帰納法的に導き出したレシピであるとも言える。

帰納的導き出されたレシピにはそれを真似る以外に選択がないため、そこに思考する考えや構造化する考えが働かないため、見る側も受動的に真似るしかない。

それ故にレシピを見続けるループにハマってしまう。

一方演繹法的に普遍的ルールや科学的ルールを知った場合、それらルールに従って自分で考えてチューニングしながら料理をすることが可能になる。 原理がわかるからその原理に基づいたパラメータ変更をしながら料理を作ることが可能となる。

気分や体調、食材に合わせてチューニングすることが可能となる。

でもレシピ記事や動画も使い方によっては演繹的に考えることに役立つ、
レシピや動画での作り方を参考にして、自分なりの演繹的な思考の元となるルールをアップデートする方法である。

レシピに限らず、
情報提供をする人の経済的環境を考慮したり、帰納法的提供される情報を目にしたら、注意したほうが良いのだろう。


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