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実存と構造、そうして自由性と自遊性(0)

私自身は哲学者でなく、あることをきっかけに、人文学に面白さを感じでのめり込んだエンジニアで食の体験に興味を持ち、エモーショナルなロックが好きな実存性に生きる一個人です。レヴィ=ストロース も サルトル も ボブマーリ も Rage Against The Machine も ハイスタ も Brahmanも好きな一人です。

偉そうなことを達成したことがあるわけでなく、高尚なことを語るには及ばないですが、自分の思考を整理すべく日記を書いていきたいと思います。

まずはこの絵の説明です。
シャボン玉の中では紳士の周りに素敵なオーロラがあります。こんな素敵なオーロラが自分を覆うシャボン玉の中に見えるのは、こんな近くで見えることはとても素敵なことだと思います。

一方でシャボン玉の外側にはオーロラのない夜空が広がっています。オーロラが無いといっても素敵な夜空には見えますが、、、

私が意味したいこと、、、、それは
シャボン玉は構造です。自分にっとって無意識であり無為にある構造です。

その中で見えるオーロラ これは実存的で自分が生きる意味、仕事をする意味、子育てをする意味、その他あまたの意味の象徴を意味しています。

シャボン玉の外、すなわちシャボン玉の外に出ると見える構造です。
諦めずがんばったのに結論はこんな光景かよ ってやつです。

シャボン玉は夢と現実の境界とも言えるかもしれません。
知らなくてもよかった事実を実存的意味を求めた活動の末に到達した境界なのでしょうか?

実存も構造もそれ自体に意味を求めすぎず、ただ遊び、ただ喜び、ただ生命の躍動に溢れる 、そんなことを考えていきたいと思います。

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