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小洒落た街の洒落バルで、洒落たパテとか食べたい。


虎ノ門。

新居のカーテンやらテーブルやらなんやらを見に来たついでに
COFFEE葵なるお店で勉強でもしようかと思ったら、とんでもなく暗かった。

COFFEE 葵


メニューすらスマホで照らさないと読めないようなお店だったので、珈琲を味わうだけに。

ハシゴしてESPRESSO D'WORKSに。

カフェラテが380円。
こんな洒落タウンの洒落ビルの洒落ラテが、380円。
素晴らしい。近所に欲しい。
天井すら洒落ていて、イッセイミヤケのバオバオみたい。



東京の、極めて神奈川寄りの、緑豊かで公園がたくさんあって、畑や田んぼなんかもまだまだあって、洒落たお店は一つもない、お店といえば、スーパードラストコンビニエンス。そんな川沿いの街に定住することが決まったので、こんな都会の街に来ると、とてもワクワクして、今のうちに洒落成分を摂取したい!と洒落を求めて彷徨い歩く、とてもダサくて楽しい性質を私は持っている。
このダサい態度が、私は結構気に入っている。

洒落ラテを飲みながらPCを開いて、
なんだか都会のオフィスワーカーになった気分で浮ついているってなぁ、わけです。
それでnoteを書いているってなぁ、わけです。
シナリオが全然書けないってなぁ、わけです。

最近の私は、
脚本の勉強のゼミに通い始めました。
週に1回、人前で自分が書いた脚本を発表してコメントを貰うという
野蛮な試みをしています。
課題が一週間ずっと頭の片隅にあって、
何を見ても「おっ。これはシナリオに使えるのでは?」と頭を働かせざるを得ないので、そういう意味でゼミはとても勉強になっている。
皆上手いので、劣等感のようなものをずっと感じていて、それがきもちよくて、私は結構気に入っている。

9月は、坊ちゃん文学賞に応募する短編を送り出す月。
まだ、なんだか改良の余地があるような気がして、まだ、まだ、と手元に留めている。

先日、友人の子どもに会った。
赤ちゃんって眠い。
子どもって眠い。
という最近の気づき。

眠そう、ではなくて、眠い(私が)。
子どものいる空間は、空気がホワンホワンしていて、暖かくてのんびりとして、大人の話し声もトーンが下がり優しげで、空間全体がオルゴールの木箱の中のよう。

眠い。
赤ちゃんって、子どもって、眠い。

眠いって幸せだけど辛い。
赤ちゃんが眠くて泣いちゃう気持ちがちょっとだけわかる。

眠いって、懐かしいと似てる。
懐かしいって、寂しいと似てる。
私がいつも、夜になると孤独を感じていたのは、
眠さと寂しさを見間違えていただけなのかもしれない。そう、ただのカンチガイ。

だって
隣でめっぽう愛おしい夫が寝ていても、
隣で我が子がアクロバティック寝相を披露していても、私の夜は孤独だから。

勘違い、見間違い、錯覚、気のせい。

このカンチガイの寂しさが、
わたしは結構気に入っている。