Mustマインドと自己肯定感 ⑷なぜ、自分は自己肯定感が低くなったのか

目次
Mustマインドからの脱脚-前書き
前回記事
Mustマインドと自己肯定感
 ⑶自己肯定感が低いとどうなるか

年を重ねるにつれて、「~すべき」「~ねばならない」というマインドがどんどん高まってきていた、という分析になったわけだが、ではなぜそうなってしまったのか。

「~すべき」「~ねばならない」という考えてがちになってしまう心理状態を「Mustマインド」と名付け、いかに自分がMustマインドになっていったのかを考えてみたい。

以降は自分語りのようになってしまって恐縮だが、何せ具体的な話ができるサンプルはそれしかないため、一旦、自分自身の経歴を振り返りながら考えたいと思う。

幼少期

まず、自分は物心ついたときから理屈っぽくて正論を振りかざすような子どもだった。
(これはもう生まれ持ってのものなので、「なぜそういう性格になったのか」については残念ながら説明できない)

それだけならまだしも、幼少期は周囲と比べても身体が大きく、勝気な性格だったため、物理的に拳も振りかざすような子どもでもあり、ガキ大将的な存在だったように思う。

親が厳しかったため、そこまで悪いことをした記憶もないが、自分が「こうだ!」と思ったことはなんとしてでも(時には物理的な手段を講じてでも)押し通すような子どもだった。

小~中学

それから少しずつ大人になり、
「あまり物理的な手段に訴えるのは良くない」
ということを学んでいったのと、身長も気が付けば前から数えた方が早くなってしまったこともあり、自分が勝てる手段への依存度が高まっていった結果、より理屈っぽさを増して正論ばかりを言うようになっていったと思う。

高校生

高校ではそれまで続けてきた流れで野球部に入ったわけだが、野球の実力に難があった私は「上手い奴が偉い」という世界において、物理的な力でものを言わせるのがほぼ不可能になった。

才能と過去の努力不足を補うためにいろいろと野球理論を学ぶも追いつかず。

そんな中で自我を保つ方法は、当時の私にとっては一つしかなく、それは「優等生」であることだった。

つまり、「高校球児たるものこうあるべきだ」という姿に則り、校則はもちろん、部内のルールは愚直に守り(炭酸飲料・カップラーメン禁止、など)、ふさふさの眉毛を生やしていた。

おそらくこの時期にもともと持っていたMustマインドが急激に醸成され、それへの依存度も高まっていったのだと思う。

社会人

大学時代は書きにくいことが多いので割愛するとして、社会人である。

ここでは特にコンサルに転職して以降の影響が大きいだろう。

なぜならば、コンサルティングの基本ステップとは

①現状を正しくとらえる
②あるべき姿を描く
③そのギャップを把握する
④ギャップを埋めるための戦略を立て、実行する

であるからだ。

この中での「②あるべき姿を描く」とはまさに「~すべき」「~ねばならない」マインドであり、クライアントごとのあるべき姿を描くばかりでなく、自分が精通する領域・業界のあるべき姿についても常に描き、更新していかなければならない。

また、「コンサルタントとはこうあるべき」ということは、うんざりするくらいインプットされるし、自主的にそれができなければやっていけないというのもある。

自分は中途でコンサル業界に入ったので、キャッチアップするためにもより一層強く意識していたように思う。

以上のような経緯で、もともと正論野郎だったのが正論に頼らざるを得なくなりMustマインドが醸成され、それを仕事でフル活用することによって、Mustマインドの塊になっていったのだろう、と考えられる。

では、世の中に目を向けたときに、人々のMustマインドが醸成されていくのか、について、次回述べていきたいと思う。

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