Mustマインドとは ⑴現代社会とMustマインド

目次
Mustマインドからの脱脚-前書き
前回記事
Mustマインドと自己肯定感
⑷なぜ、自分は自己肯定感が低くなったのか

Mustマインドとは

Mustマインドが醸成される過程について考える前に、まず、人が何か行動を起こすときの「動機」について整理しておきたい。

人が行動を実際に起こすための動機には、大きく分けて2つの軸があると考えられる。

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Want:自分が「OOしたい」という「内発的動機」
Must:第三者によって「OOしなければならない」と規定される「外発的動機」

この2つはシンプルに自分がやりたいのか、だれかにやらされるのか、という軸で「内」「外」に分けて捉えたものだ。

Mustマインドとは、自身の行動を外発的動機を中心にすることを指している。
それによって、自己肯定感が下がってしまう、というのがここまでの話だった。

逆に内発的動機を中心にすることを一旦Wantマインドと呼ぶことにしよう。

上記を一旦整理した上で、Mustマインドが醸成される過程について考えていきたい。

現代社会はMustマインドが醸成されやすい?

それでは、自分のように生まれつき理屈っぽくて、正論に頼りがちに生きてきた人間でなければ、Mustマインドとは無縁なのだろうか?

私としては、現代社会は昔に比べて、かつ現在進行形でどんどんMustマインドが醸成されやすい社会になっていると考えている。

その理由を超ざっくり時代を3つに分けて捉えて考えてみたのが以下である。

①戦後~バブル前 :MustとWantが一致
②バブル~バブル崩壊 :Mustに従っていれば生きていける
③バブル崩壊~現代 :Mustだけでは生きていけないが、Must自体が増えている

3つの時代的な背景についてと我々への心理的な影響について考えてみたい

①戦後~バブル前:MustとWantが強力に一致していた時代

・戦争により、日本という国は一度「崩壊」した
・そこからの復興が、日本国民共通の大きな「目的」となった
・個人レベルでは、まずは「生きる」ことが目的であり、手段でもあった
・財閥系と昔からの農作地を除けば事業基盤はほとんどなく、いろんな人がいろんなところで「生きるため」そして「復興するため」に事業を起こしていった
・それらはMustでもあり、Wantでもあった。やらなければ明日の生活はなかった
・それが必ずしも「いい時代だった」とは言わないが、今とは違った活力に溢れている時代でもあったと言えるのかもしれない

②バブル~バブル崩壊

・戦後の急速な復興と発展を遂げ、日本も大消費社会になっていった
・企業の売り上げと株価は右肩上がりで伸びていき、日本は世界一の経済大国となった
・売り上げが伸びることが第一となり、そのためには何でもやって、そして成果も出た
・このとき、Mustに従っていれば、生活は安泰で「豊かな未来」が約束されていた
・一方でWantとMustが徐々に一致しなくなっていった
・「モーレツ社員」は好きでその仕事をしていたのではなく、安定した未来のために身を賭して働いた
・人生のモデルケースの存在=いい学校、大企業、マイホーム、子供が2~3人、そして子供も同様かつ少し上のランクを狙う人生ができ、誰かが作ったMustに依存するようになっていった


③バブル崩壊~現代

・バブルが崩壊して、不景気が続き、大企業が次々と倒産する時代となった
・「リストラ」という言葉はその象徴で、Mustに従ったとしても安定した未来は約束されなくなった
・②の時代にWantを捨てた人々はMustだけが残ってしまった
・そして、同時に情報化社会が一気に進み監視社会化が進行した
・企業レベルから個人レベルまで、ルールに従わないと簡単に告発されるようになり、その威力も大きくなった
・また、「自治体別の条例の制定」など時間とともに法整備が進んだ
・それによって個人の権利が守られるようになると同時に、権利同士の衝突とそれを裁く判断基準の明確化が進んだ
・それはつまり「正しいことは何か」を明らかにすることであり、それに従わないことのリスクが明確になっていった
・結果として、我々は法律的にも、社会規範的にも「やってはいけない」ことがどんどん増えていった


上記を整理すると、以下のようになる。

もともとはMustとWantが一致する前提で身を賭して仕事をしていた人たちが(①の時代)、経済の発展とともに外発的動機に依存するようになり(②の時代)、そのモデルが崩壊してWantは失ったが、Mustは今もなお増え続けている(③の時代)

この状況では、生まれつき理屈っぽい子供でなくてもMustマインドが醸成されるのは当然と言えよう。
というよりも、そのように我々は教育され、追い求めてきた結果だと言っていいだろう。

確かに正論ばかり振りかざすような人はあまり好ましいとは思えないが、ルールを守り、やるべきことを果たそうとする姿勢自体にはなんら問題はないようにも思える。

例えば「公害」の問題なんかはもっての他で当然制限されるべきことだ。

しかしながら、なんでもかんでも制限がかかっている状態が望ましいかというと、そうではない部分も多いのではなかろうか。
う。

次回は、実体験を踏まえて、Mustマインドが「自己肯定感の喪失」につながっていくことについて述べていきたい。

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