Mustマインドとは ⑷Mustマインドとモラルハザード

目次
Mustマインドからの脱脚-前書き
前回記事
Mustマインドとは
⑶Mustマインドとやらされ感

前回ではMustマインドとやる気の関係性について言及した。

ただ、やる気の問題はあくまでも自分自身の問題であり、パフォーマンスが落ちて納品物のクオリティが下がって自社やお客さんに迷惑をかけることはあったとしても、それが法律に触れるということはない。

しかしながら、実際にこのMsutマインドが、今の日本でも数々の問題を起こす要因となっているのではないだろうか。

Made in Japanの失墜

山口周さんが「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるか」において、「"審・善・美"を鍛え、己の価値観に従うことこそが重要である」と説いており、今の日本で製造業における改竄や、政治家のスキャンダルなどが続発しているのは、日本が問題解決型の人間ばかりを育てた結果として"審・善・美"が劣化していったことに原因があると指摘している。

つまり、「良し悪しの判断の基準を自分の中に持つ」ということである。

私は、このことを「Mustマインド」を使って捉えなおしてみたい。

繰り返しになるが、Mustマインドは基本的に「判断の基準を自分の外に置く」思考である。
例え自らで作り出したものだとしても、「やらなければならない」という状況の方に、それを行う動機があるわけで、つまりMustマインドとは
「積極的に外発的な動機に身を委ねること」
であると言える。

例えば、ここ数年で立て続けに起きている、「品質改竄」の問題がなぜ起こるのかを考えてみよう。

もともと日本は「モノづくり」の国として高度経済成長を達成し、人件費・物価の安い国に世界の製造拠点がシフトしたあとも、その品質の高さによって「モノづくり先進国」のポジションをキープしてきたと考えられていた。

逆に言えば、コスト競争力、開発力で後進国の追従をうける中で、品質こそが日本の拠り所となっていたとも言える。(※ただし業界にもよる)

しかしながら、ここ数年でその認識を大きく揺るがすような、品質改竄の事件が立て続けに起きている。

事例をあげようと思ったが、ちょっと調べればいくらでも出てくるので、ここでは割愛したい。

個々の事件の技術的、あるいは業務プロセス的な発生要因については詳しくないのでここでは控えるが、
「当事者はなぜそのような行動を取ってしまったのか」
というアプローチで要因について、考えてみたい。

この品質改竄の件で言うと、通常であれば
「不良品を市場に出すことを防ぐため、ルールを守らなければならない」
というマインドでルールを順守していることだろう。

しかしどこかのタイミングで
「正直にルールを守っていては、大きな損失、信頼の失墜が起きてしまう」
という状況に陥ってしまう(出荷遅れによる損害賠償、不良品を作ったこと自体の材料費・加工費等の損失など)。

つまり、ルールを守ることと破ることを天秤にかけなければいけない状況だ。

冷静に考えればルールを順守することの方が優先度が高いわけだが、当事者を取り巻く「Mustの圧力」には様々なものがあるだろう。

・顧客や営業からの納期的プレッシャー
・経営陣からのコストダウンのプレッシャー
・損害、損失を出すか否かの判断をすることのプレッシャー
・結果として、自分の社内での将来へのプレッシャー

当事者の立場からすると、ルールを順守することのプレッシャーよりも、損害を回避することへのプレシャーの方が明らかに大きく、かつ自身への影響度合いも大きいだろう。

その時、Mustマインドの状態だと、内なる声ではなく
「どちらを選択しなければならないか」
という外発的動機で判断することになり、
「自分は損害回避の選択をしなければならない状況にあった
という状況のせいにし、自分を納得させることで、易きに流れてしまう。

事件の本当の当事者が会見の場に出てくることはまずないが
「本当はやりたくなかった」「そうせざるを得なかった」
と言っている姿は想像に難くない。

Mustマインドによるモラルハザード

先の節ではマスト・マインドによってやるべきではないことをやってしまうことについて触れた。

つまり、モラルハザードである。

品質改竄は一企業の事例だが、ここ数年毎年のように話題になる渋谷のハロウィンなどは、個人レベルでのモラルハザードの最たる例だろう。

このモラルハザードだが、私としては大きく2種類あると考えてる。

以前の記事でも述べたように、人が何か行動を起こすときの「動機」あるいはその行動を実際に起こすための「基準」には、大きく2つあると考えられる。

Mustマインドとは ⑴現代社会とMustマインド
https://note.com/bppmnm172/n/n9eb53c7096e3

画像1

Want:自分が「OOしたい」という内なる動機
Must:第三者によって「OOしなければならない」と規定される外なる動機

この2つはシンプルに「自分」がやりたいのか、「誰か」にやらされるのか、という軸で「内」「外」に分けて捉えただけである。

ただ、実際の「動機」という意味で考えると、それぞれに「not」を付けた裏側の軸、「Must not」と「don't Want」もあるといえる。

モラルハザードの起きるパターンをこの軸で考えたとき、
「Must not ⇒ Want」「don't Want⇒Must」
の2パターンが考えられる。

「Must not ⇒ Want」型のモラルハザード

Must not ⇒ Wantは、ハロウィーンの渋谷である。

我々は法律は守らなければならないし、人に迷惑をかけるような行動は慎まなければならないので、たとえハロウィーンであろうとも、車をひっくり返したりしてはいけないし、セクハラ行為を働くことも許されない。

しかし、渋谷という街全体が(渋谷特有の)ハロウィーンの雰囲気につつまれ、非日常的な空気で誰もが騒がしくしている中、「みんなやっている」という雰囲気にのまれ、少しずつ行動がエスカレートしていってしまい、ついには一線を越えてしまう。

「無茶苦茶に騒ぎたい」というWantを、本来なら「ルールには従わなければならない」という「Must not」(=外発的動機)で押さえていたところを、「みんなやっている」という理由によって取り除いてしまうのである。

Must notによる押さえが効かなくなり、Wantの動機しか持たないために、とんでもないことをしでかしてしまう、というのが「Must not ⇒ Want」のパターンである。

「don't Want ⇒ Must」型のモラルハザード

次に「don't Want ⇒ Must」は、品質改竄である。

品質改竄の事例では、おそらく改竄を行った、あるいは指示をした本人は「本当はやりたくない」と思っているに違いない。
(好き好んでやっているとしたら、それはもはや個人での犯罪行為とも言えよう。あるいは「何も知らないうちに加担していた」というケースはあるかもしれない)

しかし、状況としては「上から指示をされた」あるいは「そうしなければ自社・自部門に大きな損失が出てしまう」などの理由で「やらなければいけない」と考えるようになる。

その時、「自分がやりたくないとかは関係なく、やらなければいけないんだ」という誤った滅私奉公精神を発揮することによって、「やりたくない」というdon't Wantの声が途絶え、Mustにすべてを委ねてしまい(=責任転嫁をしているとも言える)、すべきではないことを実行に移してしまう。

don't Wantの動機を、Mustの動機で抑え込んでしまうのである。


以上より、問題行動の背景には「Mustがない」パターンと「Mustしかない」パターンの2つが存在すると考えられる。

すると「Mustがあってもなくても良くないのなら、どうしたらよいのか」という問が生まれると思うが、その問に次回答えていきたい。

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