Mustマインドとは ⑵Mustマインドの悪影響

目次
Mustマインドからの脱脚-前書き
前回記事
Mustマインドとは
⑴現代社会とMustマインド

Mustマインドとやる気の関係

自分は「予定が空く」のが嫌いな方で、休日も空いていればどんどん遊びの約束などを入れるか、「しっかり目に読書をする」「バッティングセンターに行く」というように、とにかく何か入れてしまう方である。

しかしながら、いざ直前になると「面倒くさい」と思ってしまうのである、やりたいから予定に入れたはずなのに。

遊びの約束も自分で言い出すことが多くなるので、予約やスケジューリングをした上で連絡するわけだが、それも「ああ、やらなきゃ」という気持ちになり、あたかも仕事をこなしているような気持ちになってしまう始末。

遊びの約束をすっぽかすことはほぼないので、実際に行って「やっぱり楽しかったな、よかったな」となるのが大半なのだが、読書やランニングなどの予定を入れた際には、誰かに迷惑をかけるわけでもないので、ついダラダラ過ごしてしまったりする。

「すべてがそのせい」というわけではないだろうが、やはりMustマインドにより「やらなければ・・・」と思うことによって、かえってやる気をそがれてしまったりしているのだろう。

Mustマインドによる自己肯定感の悪化

これだけであれば、ただ単純にやる気の問題なのだが、Mustマインドの悪影響はそれだけではない。

2度寝をしてしまうケースを考えよう。

「今日はランニングをすると決めたので、6時に起きたい、いや、起きなければいけない。
 さあ、目覚ましが鳴った。眠い、しかし眠い。
 起きなければ・・・起きなければ・・・でも、起きなかったら・・・?」

「ああ、まあ、明日頑張ればいいか・・・。」

そして、起きたときには、自分の精神力の弱さに辟易とし、自己肯定感がまた一つ下がり、体重が減少する日が一つ遠のくのである。

自ら「やらなければいけないこと」と設定したものが「やらなくてもいい」と自分で認識してしまったとき、それを行う動機が全くなくなってしまうのである。

テスト勉強中に掃除をしたくなるのも同じような原理で、自分の中での「テスト勉強よりも優先すべきこと」として「掃除」というタスクを作り出して、「勉強」という現実から逃げているという形だ。

しかし、「やらければならない」と自分の外に制約として置いた以上、その事実は残っているため、目標を果たせない自分との間にギャップが生じ、ギャップによって苦悩が生じる。

これを「ハードルの高さ設定」の問題と捉えることもできるだろう。
つまり、クリアできるレベルにハードルを設定することで、少しずつクリアすることによる快感を自分に与えて、モチベーションを維持する、という方法もある。

しかし、今回は「なんでもかんでも"Must"としてハードルを設置する」ということに問題がある、と捉えたい。

Mustマインドの状態になると、あらゆる事象に自らハードルを設置し、そして、それを越えられずに勝手に苦悩して、結果として自己肯定感が下がっていく。

自己肯定感の低さはこのようにして醸成されていくのである。

では、「なんでもかんでもハードルと捉えなければ、自己肯定感は維持できるのでは?」ということになるが、確かにその通りだ。

あまり気負わず、ゆるやかな気持ちで物事に臨んでいけば、きっと今よりはMustマインドからは脱却していけることだろう。

しかし、問題はそうも簡単には解決しない。

この世の中では、そのハードルは必ずしも自分で設置するものではなく、むしろ誰かに設置されることの方が圧倒的に多いのである。

次回はその点について述べていきたい。

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