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あの日、あの街で、彼女は。〜上野駅〜

一発逆転のチャンスの先に。

上野駅は上京する前から知っていた駅のひとつだ。幼少期に上野動物園に連れてこられた彼女の面影は、今は白黒に染まっている。人気者のパンダとは大違いのツートーン。

一発逆転のチャンスは突然訪れた。上司の知り合いの会社からオファーがあり、彼女に声がかかる。今までほとんど担当しなかった業界・職種なのになんで?微かな疑念と期待が入り混じる。業績が伸び悩み、苦しみ続けた彼女を救うためのパスだと知るまで、そう時間はかからなかった。

「知り合いの知り合い」と初めて会う日ほど、緊張するシーンはない。しかも肝心の上司は同席してくれない。提案内容を確認してもらい、「お前なら、絶対に大丈夫だ」となぜか自信満々に背中を押されたが、当日に隣にいてくれないことのほうが不満だった。

「予算内で最大の効果を出せるならなんでもいいよ」任されるときに言われたい台詞No.1かもしれない。上限予算額以外のすべての決定権を委ねられるときが、全幅の信頼を感じられて一番嬉しい。結果的に、もっともいい提案プランで受注が決まった。本当に大丈夫だった、よかった。

まとまった受注額の恩恵を何ヵ月受けただろうか。おかげで達成率も回復し、インセンティブで稼げる月も続いた。下半期の評価も少しだけ上がった。

チャンスが降りかかるのも突然、雲行きが怪しくなるのも突然。全幅の信頼はあっという間に崩れ落ちた。予算額に対する結果は出していたのに、先方社内の評価軸が変わった。さらに競合の参入も加わり、潮目が不利に変わってしまった。

上司を連れて訪問に行ったときは手遅れだった。柑橘系の匂いが漂う真っ白な会議室で、気まずい空気だけが上滑りしていたあの日のこと、忘れるはずがない。上司の強張った表情と鼻息の荒さも、先方担当者の髭面営業スマイルとおしゃれなネクタイも、分厚い提案資料を出すタイミングを見計らう彼女の視線も。

一度狂った歯車を元に戻すのはとてつもない重労働で、なにより心労が大きかった。訪問の足取りが重い中、コロナが襲いかかる。しばらくフルリモート勤務が続き、訪問も禁止された。言い訳ができて安堵する彼女がいた。

コロナ禍が落ち着いてきた頃、会議室ではなくベローチェで会うことになった。カフェは込み入った話ができないから苦手だ。会う前なのに相手から一線を引かれている。気まずさは幾分も緩和されていたが、その代わりに「あなたにもう用はない」と静かに牽制されているようだった。

バラバラになってしまった三人四脚、有終の美を飾れなかった彼女を思い出す。

あの日、あの街で、彼女は。


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※基本的には経験上のノンフィクションですが、お客さん情報の身バレを防ぐために一部フィクションにしています。

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