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ウズベキスタンサッカー 夏のニュース遅報

 今夏もサッカー界では活発な移籍が行われた。パリに行った人やマンチェスターに帰ってきた人など、今年のマーケットは特に動きの多い印象を受ける。ウズベキスタン国内やウズベキスタン人選手にもそれなりの動きがあった。すでに夏も終わりでニュースの鮮度は高くないが、簡単にまとめた。

 なお、投稿をサボっていた間に、1979年にパフタコルの選手を乗せた航空機が現在のウクライナに墜落した事故(ドニプロゼルジーンシク空中衝突事故)が起きた8月11日を迎えた。事故から42年が経った今も、タシケントでは故人を偲ぶ催しが行われたり、サッカー連盟主催のOBによる記念試合が行われたりした。
 当事故について、過去に記事を書いているので、詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。

 また、9月1日はウズベキスタンの独立記念日。1991年にソ連から独立を宣言したウズベキスタンは、今年で30年目。節目の年ということで各地でそこそこ盛大に祝われたようだ。「グレート・ゲーム」の舞台になっていた19世紀、1868年にブハラ・アミール国とコーカンド・ハーン国が、1873年にヒヴァ・ハーン国がロシアの保護国化し独立を失ってから、120年近くの激動の時代に翻弄されたウズベキスタン。近代国家の道を歩み始めてまだ30年、改めてまだ若い国だなあと思った。隣国がいよいよきな臭くなっているが、ウズベキスタンは果たして"Kelajagi buyuk davlat"になれるのだろうか。

ジャルクルゴン発、ロシア経由ローマ行き

エルドル・ショムロドフ(ジェノア → ローマ)
 ウズベキスタン最強の名手が、イタリア強豪の門を叩いた。昨シーズンは決して強くはないジェノアで気を吐き、監督の好みによりなかなか出番をもらえない時期もあったが、終わってみれば33試合で8得点。シーズン終盤から移籍が噂になっていたが、8月に入り正式に決定。5年契約で移籍金は1,750万ユーロ、言うまでもなくウズベキスタン人史上最高額。背番号は代表チームでも使用する14。
 元来圧倒的なスピードと強靭なフィジカルで縦方向に突破するプレーが持ち味だったが、イタリアで揉まれ守備能力を大きく向上。ロストフの頃からせっせとフォアチェックしていたが、ボール奪取率を大きく向上させた。利他的なプレーにも磨きがかかり、派手さはないが一回り大きな、ビッグリーグに相応しい選手に成長。
 ローマという世界的なチームについては、ここで書くよりももっと詳細は文献はいくらでもあるため説明を省く。そして監督はかのジョゼ・モウリーニョ。こちらについてもあまり触れる必要はないと思われる。ショムロドフは氏の志向するスタイルにふさわしいタイプの選手として、高評価を得ている。
 実はモウリーニョ監督は以前から彼のことを知っていた。2019年、モスクワで行われたアイスホッケーの試合を観戦したついでに、知人で彼の代理人のヘルマン・トカチェンコ氏の仲立ちにより、ロストフでブレイク中だった彼に会っている。かつてチェルシーを率いた頃も、オーナーのロマン・アブラモーヴィチ氏の下で働いており、何かとロシア方面に縁があるようだ。

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 この移籍が地球上の全ウズベキスタンサッカーファンを歓喜させたのは言うまでもない。まずセリエAの時点で信じられない。そしてあのローマ、さらにスペシャル・ワン……。こんなチームでウズベキスタン人選手がプレーすることを想像する人はいただろうか。あまりの出来事に、フィクションにさえ思えてしまう。蛇足だが、筆者は彼のプレーが見たいがためだけにDAZNに加入したほどである。
 しかし冷静な見方をすれば、彼はおそらく「ジャッロロッシ」でいきなりレギュラーをバンバン張ることはないだろう。3トップを敷く攻撃陣はムヒタリヤン、エイブラハム、ペレス、エル・シャーラウィー、ザニオーロなど、これまでウズベキスタンのサッカーばかり追っていた筆者の目が眩むほどの選手がズラリ。まずはバックアップとして、カップ戦や欧州大会の予選から首脳陣の信頼を勝ち取っていくことになるだろう。

 チーム合流後、プレシーズンマッチでチームに順応すると、その後行われた加入後初の公式戦、UEFAカンファレンスリーグ予選のトラブゾンスポル戦で早速ゴール。続くセリエA開幕戦でも途中出場から得点。中央アジアの片田舎から始まった男の大冒険は、道なき道を切り開き今まさにクライマックスを迎えようとしている。現在26歳、そのプレーで我々にどんな夢を見せてくれるのだろうか。

 これまで毎年、もっともっと成長できるように目標を立ててきました。自分の価値を証明し、ローマで活躍するのが待ちきれません。ポジションは中央でもサイドでも構いません。ローマのためになるかどうかが重要だと思っています。もしエイブラハムとコンビを組むのがチームの最善策になるのなら、彼とプレーするのが非常に楽しみですが、やっぱりローマにとって何がいいかを考えるのが先決です。大事なのは勝利への飽くなき欲求です。チームを助け、タイトルをもたらせるように頑張ります。(中略)
 「ローマが興味を示している」という知らせを聞いたとき、即座に「イエス」と答えました。ローマのため、ファンのため、ゴールのため、そして世界最高の監督であるモウリーニョのために頑張ります。
―エルドル・ショムロドフ


登竜門にやってきたユルドシェフ

イブロヒムハリル・ユルドシェフ(パフタコル → ニージニー・ノヴゴロド)
 2001年生まれ、ウズベキスタン期待の若手サイドバックが国内を飛び出した。移籍先は今季からロシア1部に参戦のニージニー・ノヴゴロド。
 2019年に期限付き移籍先のブニョドコルでデビューすると、当時のアブラモフ監督に見出されレギュラーを獲得。翌年にパフタコル復帰すると、左にサイフィエフ、右にアリジョノフというウズベキスタン代表レギュラーが在籍する中で準レギュラーとして研鑽を積み、先のアブラモフ氏が兼任していたウズベキスタン代表にも定期的に呼ばれるような存在になった。

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 最大の特徴は攻撃力。豊かなスピードと切れ味鋭いドリブル、オーバーラップで左サイドをガンガン攻め上がり、高速クロスを放り込む。ほぼ左足しか使わないが、ボール扱いも自国の選手に比べるとかなりうまい。デビュー当時はひ弱な印象だったが、代表デビューした頃から一気にたくましくなり90分戦い抜くタフさと球際の粘り強さが出てきた。ただこの手の選手によくあることだが守備力に難があり、間合いや距離の取り方、守備時のプレー選択、当たりの弱さなど改善点は多い。彼のサイドをあっさり崩される場面もしばしば。
 これまでも国外移籍が取り沙汰されており、2020年にヒムキ移籍が決まりかけたが直前で破談。今夏もスイスのシオンへの噂が浮上した後は、イタリアのジェノアの移籍話が進んでいた。先に所属していたショムロドフで味を占めたのか(ショムロドフと同じ「プロスポーツマネジメント」社と契約しているのも関係しているか?)具体的なオファーもあったようだが、しかし土壇場でロシア行きを決断。この背景には先にイタリアでプレーする先輩からのアドバイスがあったようだ。

 ヨーロッパからのオファーがありました。第一候補はジェノアでしたが、ショムロドフから「まずはロシアで実力をアピールしてから、ヨーロッパに挑戦したほうがいい」とアドバイスをもらいました。私も同感でした。
                  ―イブロヒムハリル・ユルドシェフ

 背番号は6。ニージニー・ノヴゴロドは2015年に設立。発足当初は「ヴォルガ」というチームのファーム扱いだったが、翌年に母体クラブが消滅し、これまでの関係を解消し独立。ニージニー・ノヴゴロド市の「トップチーム」と位置づけられ、当局の積極的なサポートもあり急成長。5年でトップディビジョンに上り詰めた。
 今季からチームを率いるのはゼニトやロシア代表で活躍したレジェンドFW、アレクサンドル・ケルジャコーフ氏。3バックを敷くチームの左ウイングバックとして、加入直後のディナモ(モスクワ)戦で早速スタメン出場。満足の行くパフォーマンスとはならなかったうえに、彼と交代した選手が同点ゴールをアシストするなどいきなり逆風となった。しかし、ロストフ時代のショムロドフだって、加入当初は明らかに「格落ち」でベンチ入りもままならず、いつ見切られてもおかしくないレベルだった。カルピン監督の指導で才能を開花させたが、それまではウイングバックで出場するなど2年近く困難な時を過ごした。まだまだこれからだ。
 ポジションは全く異なるが、「国内からロシアを経て欧州に挑む」という偉大な先輩が辿ったのと同じルートに乗ったユルドシェフ。タシケント近郊のヤンギイェル出身。決して大きくない町で生まれ育ったというのも、不思議にもショムロドフと同じ。自らのプレーさながらに、広大なロシアで自身のキャリアを切り開いていけるか。


ウズベキスタン代表監督にカタネツ氏が就任

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 6月のW杯アジア2次予選敗退をもってアブラモフ前監督が退任したウズベキスタン代表。その後監督人事が進んでいたが、8月についに発表があった。スロヴェニア人のスレチコ・カタネツ氏だ。
 現役時代は旧ユーゴスラヴィア代表の守備的MFとして活躍。オシム監督に率いられ、ストイコヴィッチ、プロシネチキ、サヴィチェヴィッチ、パンチェフ、ヤルニ、ボクシッチ、スシッチらを擁するスター軍団をエネルギッシュかつ泥臭いディフェンスで陰ながら支えた。
 引退後はすぐに独立したばかりの「祖国」スロヴェニア代表監督を務めるなど指導者の道に進み、近年はUAEやイラクといったアジア方面に活動の場所を置いていた。2018年からイラク代表を率い、2019年のアジアカップではベスト16入りを果たす。今回のW杯予選でもイラクを2次予選突破に導いたが、半年間給与未払いなど協会と長く確執が続いており7月に退任。すぐさまウズベキスタンにやってきた。

 実はカタネツ氏に対して、ウズベキスタン代表は過去3戦で3敗。2010年のアジアカップ予選(ウズベキスタン 0 - 1 UAE)、2020年の親善試合(イラク 2 - 1ウズベキスタン)、2021年のW杯予選(ウズベキスタン 0 - 1 イラク)で、この内公式戦2つはウズベキスタンのホームゲーム試合。この驚くべき好相性も考慮に入っていたのかもしれない。さらに、国内には近年「外国人監督待望論」のようなものがいびつとも思えるほど高まっており、それに応える形ともなった。
 もっとも、2018年にはアルゼンチン人のエクトル・クーペル氏が就任。2019年のアジアカップではベスト16進出を果たしたが、その後のW杯2次予選の緒戦でパレスチナに敗れ、結局1年と少しで解任された。「W杯予選を落とすようなことがあれば大変だ」「緊急事態においては、自国の指導者に任せるべきだ」という世論と連盟の意向にいいように翻弄され国を去った「カベソン」だったが、結局ウズベキスタン代表は急登板したアブラモフ氏の奮闘もむなしくW杯2次予選で敗退。
 世論がコロコロ変わる中、新しい船長はさまよえる「ウズベキスタン代表号」をW杯まで導けるだろうか。奇しくもクーペル氏とよく似た守備的なスタイルを採る監督。早々とW杯予選から脱落している分、尽力すべきは2022年2月開始予定のアジアカップ3次予選。敗退は残念ではあるが、大本命である次のW杯予選はまだまだ先に控えていることから、じっくりと腰を据えて準備ができるともいえる。

 早速9月8日に初陣となる親善試合を行い、ストックホルムでスウェーデン代表と対戦。2-1で敗れたようだが、映像が全く入ってこないのでどんな試合だったかわからない。しかしサイフィエフのパスから抜け出したショムロドフが得点しているのは確認できた。
 招集メンバーを見ると、明確に世代交代を意識した人選をしている。この時期の「負け組」チームはたいていそうするものだが、4位に入った2020年のAFC U-23選手権(現U-23アジアカップ)出場メンバーが続々とフル代表の門を叩き始めている。さらに、今季から中国1部の重慶両江でプレーするCBドストンベク・トゥルスノフが代表入りし、スウェーデン戦でもプレーした。これまで代表でなかなか出番をもらえなかった選手だが、こういった選手にも今後チャンスが与えられるかもしれない。なお、トゥルスノフは2019年に当時J2のレノファ山口でプレー経験がある(登録名は「ドストン」)。その後は東アジアで活動を続け、韓国の釜山アイパークを経て今季から中国に上陸した。

アブドゥマンノポフがベラルーシのチームに移籍

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 アンディジャン所属のドニヨル・アブドゥマンノポフがベラルーシのエネルへティクBGUに移籍した。
 2000年生まれのアブドゥマンノポフは、スピードに乗ったエネルギッシュな突破が持ち味の若手ウインガー。ウズベキスタンの東の端、キルギス国境沿いの町アンディジャン州マルハマト出身。タシケントに本拠地を置くブニョドコルの育成組織で育ち、18歳で放出されると地元のアンディジャンに加入。そこからメキメキと頭角を表し、決して強いとは言えないチームながら印象的なプレーを連発、2020年末ごろより国内の強豪チームが彼を狙っているという報道がちらほら出るまでになった。そんな中、7月26日にベラルーシ行きが決まった
 加入先のエネルへティクBGUは、本ページで幾度となく言及しているウズベキスタン人選手大好きチーム。2020年に獲得したヤフシボエフ(現シェリフ)が大当たりしたことで味を占めたようで、それ以来短期間に大量のウズベキスタン人選手をリクルートしている。事実、ヤフシボエフ以外にもウマロフ(現BATE)、イミノフ(現パフタコル)がプレーし、現在もFWシャフゾド・ウバイドゥッラエフとFWボブル・アブドゥホリコフが所属。欧州挑戦を目指すウズベキスタン人選手の前哨基地のようになっている。

 加入後はすぐに国内カップ戦でデビューしたが、まだトップチームにはあまり絡めていない様子。チームにフィットしてチャンスを貰えるか、乗り越えるべき最初の壁にぶつかった形だ。
 なお、アンディジャンは今夏の移籍市場でブアチー、ジャロリッディノフ、アブドゥマンノポフとチームの核を3人も一気に失ってしまった。その代わりにエネルへティクBGUからヴァシーリエフとソフペルという2選手を獲得している。何らかの協力関係があるのだろうか?

苦しむウルノフが再度ウファに加入

 2020年にウファから名門スパルターク(モスクワ)に加入したオストン・ウルノフ。しかし自身の怪我と外国人枠(ロシアではウズベキスタン人選手は外国人扱い)、更に自身と近いタイミングで社長に就任したシャミル・ガズィゾフ氏の「いやげもの」のような立場だったことから出場機会はほとんどなく、昨シーズンも冬期移籍市場でウファに期限付きでプレーしていた。

 ウルノフは若く才能のある選手です。しかし、状況が少し異なりました。チームには外国人選手の制限がありましたし、負傷から回復まで長い時間がかかりました。彼がすべての試合でプレーすることはさせず、少しずつ起用していくつもりでした。しかし、外国人枠のためウルノフを使用することはできませんでした。彼の可能性を引き出すことは困難でした。
          ―アンドレアス・ヒンケル(元スパルタークコーチ)

 シーズンオフに期限満了につきスパルタークに復帰したが、当然のことながら居場所はなく、再度ウファへの期限付き移籍が発表された。期限は1年間で、全試合の60%以上に出場した場合はウファに買取義務が発生する条件。
 ちなみにスパルタークのガズィゾフ氏は今年から再びウファの社長の座に戻っている。当初完全移籍の獲得を目指していたが、スパルタークからは300万ユーロ以下で売るつもりはなく、100万ユーロのバイアウトオプション付きの期限付きという形に収まった。
 おそらく育てて高く売っぱらってしまおうくらいの思惑しかないだろうが、ガズィゾフ氏はいたくウルノフを気に入っているようだ。そのせいでスパルタークの大株主で石油企業ルクオイルCEOのレオニード・フェドゥーン氏の妻に「ガズィゾフの息子」と呼ばれてしまうなんてことも(ガズィゾフ氏の経歴を見れば、フェドゥーン氏と何事かあっただろうことは容易に想像できる)。

 ウファはシーズン開幕当初に「バシコルトスタン共和国からのサポートがなくなり、資金が底を尽きる可能性がある」と報じられ、深刻な財政難に陥る可能性が指摘された。新スポンサーから10億ルーブルほど資金提供を受けると報じられたこともあったが、9月初頭にガズィゾフ氏が「8月分の給与を遅れさせなければ、9月12日のソチ戦の遠征費用が捻出できなくなる」とコメント。結局試合は行われ(ソチが3 - 1で勝利)たが、予断を許さぬチーム状況のようだ。

 昨年、対戦相手の監督から突如年齢詐称疑惑を指摘されたり、自身のInstagramにて「グッチとルイ・ヴィトンを身に着けて誇らしげにポーズを取る写真」を投稿し、すぐに削除するなど妙なゴシップが取り沙汰され、少し気の毒なウルノフ。今季は開幕2試合に途中出場しているが、その後は試合に絡めていない。ロシアの報道によると足の指を痛めており現在は別メニュー調整中とのこと。彼は細かい負傷が多いためいつやったかはわからないが、当初9月初頭の代表ウィーク休み明けに復帰できるとしていたものの思ったより長引いているという。ポテンシャルはウズベキスタン人選手でも群を抜く。チームともども困難な状況が続くが、ピッチの中の話題をもっともっと提供し、この苦境を脱し活躍する姿を見たいものである。

 彼はスパルタクでもっとプレーすると思っていました。オストンはこのチームに移った直後に負傷し、その後チャンスは与えられませんでした。彼の将来について話すなら、まずロシアでアピールをしてからヨーロッパに行くことです。 オストンにはヨーロッパでプレーする才能があります。彼がウファで成功することを願っています。私自身、ウルノフにヨーロッパでプレーしてもらいたいのですが、それほど楽にできることではありません。自分自身を証明し、オファーに値する選手になる必要があります。ショムロドフの次は、間違いなく彼でしょう。
                       ―オディル・アフメドフ

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