臨月日記 40週2日 -人生で一番入院に近付いた経験

最近はずっと家にいるので、日記に書くほどの出来事が起きない。昨日と今日で変わったことは、今日のほうが尾てい骨が多少痛むかな..というくらいだ。

このまま陣痛が来なければ来週入院の運びになるわけだが、よくよく考えると私は人生で入院した経験がなかった。最も近いのが学生時代に盲腸にかかったときだが、投薬による治療を選び、朝夕の点滴のための通院で済んだ。

実はこの盲腸は私が高校3年生のちょうど今頃、大学受験真っ只中のときに発覚した。センター試験と私立大の入試を終え、本命の国立大の試験に向けてラストスパートをかけているところだった。最悪のタイミングで盲腸になったことは担任の先生により帰りのホームルームで大々的にお知らせされたそうで、診断されたその日の夕方には隣のクラスの友人から励ましメールがきた。担任の先生は一応思春期の生徒を預かる身なのだからもう少しデリカシーを持ってくれてもいいのに‥と思った。診断されてすぐ、医師から手術をするか薬で散らすかの選択を迫られた。手術だと抜糸が受験日の前日というキワキワなスケジュールになる上に、手術時に使用した麻酔の副作用でひどい頭痛がする人がたまにいる、薬だとそもそも効かない場合がある、とのこと。今考えてもうら若い女生徒にとって酷過ぎる選択だと思う。結局、人生で一度も経験したことのない『手術』というイベントが怖くなり薬で散らしてもらうことにした。結果、ちゃんと効いた。予定通り入試も受けることができたが、シンプルに実力不足で落ちた。

画像1

ちなみにこの盲腸の一件では、父との絆が深まるという副作用があった。父は人付き合いが不器用な人間で、私が物心ついた頃から常に塞ぎ込みがちで鬱病の既往歴があった。私が毎朝・毎夕に病院で点滴を受けなければならないとなったときに、父が送り迎えを買って出てくれた。当時父とは必要最低限しか口を聞いていなかったので、そのうち面倒がるのではと思ったが、意外にも本人は会話できる機会を持てたことが嬉しかったようだ。周りの人間から「お父さん、嬉しそうだよ」と言われて気づいた。滅多に見られない父の笑顔が新鮮だったことを覚えている。「受験が落ち着いたら、盲腸切除しないとな〜。」と話していた。しかし、実際に受験が終わると、というか薬が効いて通院の必要がなくなると、誰も盲腸の話をしなくなった。最終的に遠方の大学に進学することが決まり、初めての一人暮らしをする運びになっていよいよ「今のうちに盲腸は治しておいたほうが良い‥」という雰囲気が家庭内に立ち込めてもなお、私と父を始め皆面倒で動かなかった。切羽詰まらないと動かないところがうちの家族らしいなと思った。結局キレイなお腹のまま私は地元を離れた。以来、右脇腹が痛む度に思い出し、ヒヤヒヤするという自業自得な日々を送っている。

そのお腹に、今回もしかしたら初めてメスが入るかもしれない。そうでなくても病室で一人きりの夜を過ごす日々が数日以内に来るのだと思うと、かなり緊張してくる。なお、さくらももこのエッセイで、帝王切開のついでに盲腸まで切ってくれたエピソードがあったが、そういうことって一般的なのだろうか。さすがに図々しいだろうか。そもそも経膣分娩の予定なのに、万が一帝王切開になった場合は盲腸もついでに切ってくれ、とは言いづらい。怒られそうで聞けない。が、すごく切って欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?