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家父長文化と個人主義ー2


 家父長文化とは、「その場の最強の男に権威と力をあたえ、その組織の最後の一人まで守らせる責任を負わせる」という文化である。もっと砕いて言えば、「強い人間が弱い人間をきちんと守り、みんなで団結して安心して生きれる共同体を作りましょう」という文化だ。要するに、あたりまえのことだ。


 このあたりまえのことが、フェミニストに言わせれば悪の権化のようになってしまう。これは男たちをバラバラにし、女たちが支配権を握るため、という狡猾な理由からである。男たちに団結をもたらす家父長文化は、フェミニストの大敵なのだ。この家父長文化に染み付いたマイナスイメージはすべて政治の産物であり、真実は逆である。


 世界中どこの国でも、歴史上つねに家父長文化でやってきた。日本でも昭和をへて、90年代半ばまではこの文化は残っていた。かつてはこの世の天国が作りだせるとまでいわれた共産主義国家は、多くの虐殺と過酷な支配をうみだし、たった70年で滅んだ。この経験から、あるシステムの善悪、真の姿が判明するには、70年くらいの時間がかかるという説がある。これは、文化においてもおそらくそうだ。


 家父長文化の対極にある、個人主義。この個人主義は、この国に浸透しだしてからせいぜい40~50年くらいしかたっていない。そしてそろそろ、この文化の限界は見えてきているように思う。筆者が見るところ、この個人主義が浸透すればするほど、この国は悪くなっていっている。社会から連帯感は無くなり、人間関係はギスギスし、そして、かつて見たことのなかったような残忍なふるまいをする人間がでてきている。


 それはこの個人主義という文化は、しょせん弱肉強食の、国でいえば戦国時代のような状況を生みだしてしまうからなのだ。


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 昭和までは、厳然として家父長文化が存在していた。そして、昭和と現在の令和とでは、もう社会を包む安心感のレベルが違う。「制限をかけた資本主義」と「強欲資本主義」という、経済システムの差はたしかに大きい。それとともに筆者は、家父長文化と個人主義という、人間関係を規定する文化の違いが大きいのではないかと思う。


 家父長文化とは、強いものが弱いものを守るという、人間に安心感をもたらす文化である。昭和のガキ大将文化は、この家父長文化の子供版にあたる。昭和には、どこにもガキ大将グループがあった。昭和の文化のすべてにマイナスイメージがついているのだが、このガキ大将文化というのは支配関係ではない、兄弟関係である。つまり、家族的なものだ。


 ガキ大将は長男で、以下序列ごとになんとなく次兄、末弟的な感じになっていく。たしかに何となく、上か下かはある。しかしそれは兄弟的なもので、見下して傷つけるというものではなかった。今の若者グループも、主だった者が長男、その他の者が弟的なかんじはあると思う。しかしいまの若者世代は全体としてはグループごとにカースト上、中、下と分断してしまっている。


 そして上のグループが下のグループを見下し、支配するような感じになっている。その分断した中での兄弟的なグループだ。かつてはクラスには仲の良いグループがいくつかあり、それがなんとなくガキ大将を中心に纏まっている、という感じだった。


 クラスの中にいくつかのグループがあるのは変わらない。かつてはそのグループを、ガキ大将がゆるく纏めていた。長兄であるガキ大将を中心に、クラスはまとまっていたという感じだろうか。今はそのいくつかのグループを、カースト上位が支配し、見下す感じになっている。そしてその支配は、クラスに分断をもたらしている。昭和と平成・令和にはこういった違いがある。


 
 もちろん昭和にも対立はあった。しかし昭和は隣のクラスや、よその学校のグループと仲が悪く対立していたのだ。これは横の対立関係であり、クラスという最小単位の中には、対立はあまりなかった。昭和は上からこられる支配関係というものは、同学年の中にはあまりなかったのだ。つまり、クラスという最小単位の中には、安心感が確保できていた。ここが、昭和の文化の肝である。


 もちろん、人を見下す人間というのはいた。しかしそれは長兄が出来の悪い弟をバカにするという感じで、人間として否定するという感じではなかった。いまはカースト上位の人間が下位の人間を、人間として否定する感じで見下してしまっている。蔑視の性質に、明らかな違いがある。


 
 だから当時は、激しく見下され自尊心を踏みにじられるということが、おそらく今ほどはなかった。ここらへんに、ある時期から人を見下す人間が異常に増えた理由がある。子供のころから、激しい見下しあいが恒常的にある環境の中にいるから、そうなってしまうのだろう。


 昭和は誰もが兄弟的なグループの中にいて、最低限の安心感を確保できていた。ここがこの文化の重要な点だ。


 誰か、気弱な人間がイジメられたとしよう。いまではイジメは行くところまで行く。良くて不登校、悪くて自殺である。しかしかつては違う。誰かがイジメられた。するとそれは、そのグループ全体に対する侮辱になるのだ。


 「○○が俺たちにケンカを売りやがった。許せねえ!」そのグループの男たちはみな、こう言って激昂する。そして当然、そのグループの中で一番ケンカの強い男がでてくる。そして、ガキ大将か荒くれもの同士のケンカになる。いまでは強い者が弱い者をイジメ、どこまでも追いこんでいく。しかしかつてはそうではなく、強い者同士の潰しあいになったわけだ。


 男の中には、暴力を振るわねばいられない人間、というのが一定数いる。かつては、そういう男同士で潰しあっていたわけだ。極めて合理的な文化である、というしかない。そういう男の中には、今ならひどいイジメをしている男だっていただろうからだ。そういうイジメ自殺をやらかしてしまうような狂暴な男を、喜んでおたがいに潰し合わせる。神の作った美しい秩序のようにしか、筆者には思えない。


 
 「墓場の鬼太郎」の作者、鬼才、水木しげる氏をご存じだろうか?この人は子供のころ、ガキ大将だったそうだ。ある時水木氏は、子分の猫安君から「ペソ(あだ名)の奴が俺のことを殴るから何とかしてくれ」と頼まれた。水木氏は「わかった」と一言返事をし、ペソのことを思いきり殴りつけた。その後猫安君は、二度とイジメられなくなったそうだ。そして水木氏はお礼に猫安君にお餅を二つ貰い、仲良く食べたとのことだ。



 さらにもう一つ、こんな例もある。筆者の知り合いに、鹿児島県出身の団塊の世代の男がいる。この人は高校時代、地元民からも恐れられる地区一番の荒くれ高校にいたのだそうだ。昭和の、日本で最も気性の荒いといわれた薩摩国の中で、一番の荒くれ学校。もう、どんなに悪いのだろうかと思ってしまうが、実際は恐ろしいことなど何もなかったのだそうだ。というのは一番強いガキ大将が、その学年の最後の一人までよく見ていて、決してイジメなどは許さなかったのだそうだ。


 こうして今ならひどいイジメを受けているような人間も、家父長文化の下では守られていたわけだ。
 


 男には、誰にでも「強者の気概」がある。自分を強い男だと認識し、誇りを持ちたいと思うものなのだ。そして、人間なら誰でも他人に尊敬されたいという「承認欲求」も抱えている。この「強者の気概」「承認欲求」を組み合わせれば、その場の最強の男を秩序の守護者へと仕立てあげることができる。ただその最強の男に「尊敬」という貢物を捧げるだけで、その男は体を張って弱者を守ってくれるのだ。


 家父長文化・・・これは深い人間認識にもとづく、合理的な文化である。この文化無くして、人間はおそらく「良き群れ」を作れない。イジメ自殺がおこるようになったのは、80年代後半からである。この時期から、イジメ自殺は日本の悪しき文化となった。昭和の中期までは、イジメ自殺はほとんど起こっていない。家父長文化の崩壊の時期とほとんどリンクしているのは、偶然ではないだろう。


 「家父長文化は前時代の遺物であり、人々を抑圧する悪しき文化である」、このフェミニズムのプロパガンダが、いかにインチキなものだかが分かる。


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 こういったことは、大人の世界でも同様だった。大人の世界でもまた、強い者が弱い者を守っていた。かつての会社組織では、家父長的な職場のボスや年長者には、権威があった。だからお局様やパワハラ系の先輩のイジメにも、ある程度のところで歯止めがかかった。職場のボスが一喝すれば、そういう連中のイジメなど、たいていピタリと収まったのだ。


 職場のボスには、権威があった。だから彼らが何か筋の通ったことをいうと、それが空気になった。職場のボスが「イジメはやめろ!」といえば、それがその場の空気になったのだ。日本人である以上、空気には逆らえない。だから、職場のボスの言うことにもとうぜん誰も逆らえない、ということになる。ましてやイジメをやるような弱虫に、空気をひっくり返す知恵や、歯向かう気概などあるはずもない。


 そしてさらに、その権威のある職場のボスには「目下の者を守らねばならない」という義務が課されていた。こうして、いまならひどいパワハラに苦しんでいるような気弱な人たちも、かつての家父長文化の下では守られていたわけだ。


 もちろん、横暴な上司というのはいた。しかしその横暴がある程度のところまで行くと、その上司はキャンセルされ、別の上司にとって代わられることになる。それは、その場のすべての人間が、「ボス(親分)たるものは目下の者を守らねばならない」という規範を共有していたからだ。その場のすべての人間が共有する規範には、誰にも逆らうことができない。規範とは、その場のすべての人間を支配してしまう力があるのだ。歴史を振りかえれば、規範はその国の王の力をすら凌くことがあった。規範は、時に神のような支配力を人間におよぼす。


 
 もともとの親分というのは、文字通り父親の代わりを果たす存在である。父たるものが、子供たちを虐待していいはずがない。だからその横暴なふるまいがある程度のところまで行くと、その場の主だった人間がその上の上司に話を通し、その横暴な上司を排斥する、ということになった。


 これは、家父長文化の子供版、ガキ大将文化においても同様である。ガキ大将にも、もちろん横暴な男の子というのはいた。しかしその男の子の横暴なふるまいがある程度のところまでいくと、やはりそのグループみんなでそのガキ大将を排斥してしまう。そして、№2の男の子をガキ大将の座に据える。というよりそもそも普段から№2,№3の男の子がガキ大将の座を狙っているから、ガキ大将も迂闊なことはできないのだ。


 こうしてかつての日本の文化には、「強い者が弱い者を守るという文化」に、何重もの仕掛けがあった。日本の文化の最も素晴らしいところは何かといえば、それは弱者を包摂する文化があった、ということなのだ。家父長文化とは、その弱者を守る文化の最たるものである。


 古代中国の周の国では、最強国の周がすべての侯国を守るという、封建制という名の家父長文化でやっていた。この時代には、その後の中国を特徴づける搾取や大虐殺がなかった。


 同じく昭和の日本でも、最強の男がその場のすべての人間を守るという、家父長文化でやっていた。この時代までは、平成、令和を特徴づけるイジメ、パワハラ自殺が頻発するような状況がなかった。


 家父長文化・・・フェミニストたちによって散々マイナスイメージがつけられてしまったが、名称など何でもいい。ただ「強い者が弱い者を守る」、この文化があることのみが重要だ。この文化があった時代には、人々は今よりは安心して生きることができた。そしてこの文化が崩壊してしまった現代では、人々はかつてない不安に苛まれ、そして弱者たちは、生きるか死ぬかの瀬戸際まで追いこまれているのである。


 ③に続きます。


 



 

 


 

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